、ナレド遠キ壱枚画


 ……百鬼なきり椿つばきの策は大凡おおよそ成功したとみられた。


 魂の剥離はくりが進んだ朝霞あさか神鷹じんようを『餌』に。


 天才と称されながらも花守になれず、そして理解されなかったそのいびつさはけれど、決して付け入るにはなり得ないかこい斉一せいいちが『釣り針』。


 予想のしようもなかった『魚』の凶悪さに今、こうして倒れている訳だが。



『――朝霞神鷹にお気をつけください』


 警戒の対象をに誘導させた。自然、下手人はせいいちに手を出し易くなる。そして……深山みやま名護なもりと〈生駒いこま〉がくみし易いと踏んだこの男は歪であれ、その性根に屈折が在ると誰が見ても明らかなこの男は――



「…………。君は正しい選択をすると、思っていたんだけれどね――ねえ、斉一君?」


「……五月蠅うるさいよ」


 軍刀サーベルが沈む。踏み込み。青眼を外した切っ先が次には喉元へと突き上がる。その、真後ろからの明確なに反応した深山杏李あんりが反射的に飛び退く。狭い室内で踊るような位置入れ替えは、初めて行えるような連携ではなかった。それがどうしてか未だわからぬ杏李の耳にすれ違いざま


「霊魔はお前の領分だろ」


 そう、悔しそうなしじが届いた。振り返りながら〈無銘むめい〉を振るう。まとめて胴をはらわれた百足ムカデは、しかしそのカタチ通りにしぶとかった。断面から血煙のように瘴気を霧散させながらも斉一の展開した術壁を破ろうとのたうっている。


 深山名護が一歩退いた。軍刀の刺突を確かに見切り、同時にその鋭さに暗い廊下へと後退を余儀なくされながら。


「斉一君。私と〈生駒〉なら君の望みを叶えられる。嫌いなんだろう? 君を認めなかった〈夕京五家〉が。その才を認めないこの世界が」


「五月蠅いって、言ってるだろ――オマエに、オマエらに、オマエらみたいに」


 この男は確かに世界を、他の花守を嫌っている。この未曽有みぞうの危機に在って最前線で戦う者たちを憎んでいる。どうして、


 。〈幽世かくりよ〉へと成り果てた迫間はざまで戦い続けていた百鬼椿のように。才無しと誰もに諦められ、けれど自身を諦めずに当主となり、同じ戦サ場へとせた朝霞神鷹のように。その、永劫えいごうほどに遠い一歩に踏み出す『資格』を、ついぞ得られなかった男に残された、最後の矜持きょうじ


 見下していたはずなのに先に行ってしまった男も。最初から最後までに執着している意味がわからず見向きもしなかった男も。


――!」


 憐憫れんびんの目だけはけして向けて来なかった。。勝ち取った努力も、最初からそう定められていた運命も憎い。だがそれ以上に自分自身のことが嫌いだった。なんでもできるくせにたった一ツだけができない自分をこそ、囲斉一は憎んでいる。


 花守ではない囲斉一には霊魔をたおせない。だがそれがどうだというのだろう。


 その手にある軍刀は。神域に至った剣技の後塵を排し続けたその技は。名家の嫡男として備わったその才能は。他者をいつくしめないその傲岸ごうがんさは。


 この世に在る生き物なら殺せるのだ。だから椿は斉一を選んだ。例えば、生きながらにして現世うつしよを裏切った眼前の男や、男が持つ日本刀のように。明確に分けられた領分。霊魔など、殺せる奴が殺せば良い。



 斉一の背後、杏李の手で霊魔が祓われた。まったく不快だ。神鷹がかつて持っていた名刀でもない数打ちの刀に宿ったで、自分にできないことをしたこの死にぞこない。きっと少女は青年の心を理解できない。青年に少女の心を理解できないように。上段突きの構えに軍刀を引く。近衛このえ隊士に支給された、よく切れるだけの刃に神は宿らない。だが、神の宿った刀も、それに選ばれた男も殺せる。



 ――その性根の屈折は、あるいは金剛石ダイヤモンドが輝く理由に似ているのかもしれないと、ふと思ってしまい。


「…………ク」


 百鬼椿は己の抱いた感傷に、うめくような笑いを嚙み殺して立ち上がった。


 その強度。どうして堕ちないのか。


「……実際見ると引くなあ、、頑丈すぎるんじゃないの」


「良いとこ育ちのとは違うンでな。……さて」


 深山杏李。囲斉一。百鬼椿。現状揃え得る最高の戦力が深山名護を見る。


「……参ったな。多勢に無勢じゃないか。ところで――」


 なおも、その余裕が崩れない。


 瘴気の排された花霞かすみ邸で。たった独りで。


「私が、神鷹君の部屋に来るまで何もしなかったと思っているのかい?」


 ――無数の気配が、うごめいている。この一幕の間に、集まってきている。


(つばき。)


「あァ。……やってくれたな、深山名護」


 次の作戦に向けて、戦える花守は桜路おうじへとっている。では戦えなくなった花守は?


 もう、瘴気渦巻く戦サ場で、これ以上は無理だと判断された者たちが、それ以上を浴びたらどうなるか――


 それは、いつか杏李が見た姿。山郷さんごうで神鷹が見た姿。椿が迫間で見た姿。


 魂を剥離され、奪われた命を取り戻そうとかつえる、肉体を持ったまま霊魔と化した――花守の、成れの果て。


「上手くいくと思ったけれど、今回は諦めよう」


「待てッ」


 杏李の制止の声など受ける義理は無い。名護は暗闇へと身を投じ、



『――深山にて待つ。足掻あがいて見せよ、現世の希望』


 消えた姿に入れ替わり、血の気の失せた腕を伸ばして花守れいまが部屋に殺到する。


(……当世とうぜ。)


「あァ、くぞ〈そそぎ〉」


 その紛れもない死地に、鞘ごと大刀を担いだ椿が飛び込む。洋靴ブーツの靴裏が花守の腹に埋まり、勢いそのままに踏み倒して廊下へと躍り出た。……明かりは消えている。名護の姿は既に無い。残ったのは、灯に誘われるのように神鷹の部屋へと集まりつつある、嘗ての戦友たちだけ。


「斉一」


 逆手に抜いた脇差〈薄氷うすらい〉の刃が閃く。手近な仲間の首が、先ず一ツ落ちた。


「神鷹を頼む」


 手の中でひるがえって順手。踏みつけていた仲間の首が転がる。


「ボクに指図するな。……解かったよ」


 それを平然と行う幼馴染の姿に何を思ったのか。斉一は忌々いまいましげに頷いた。


「ほんとう、貸しだからな朝霞」


「……すまない、斉一」


 下がり、神鷹の傍に控える斉一。


「謝るなよバカ。……クソッ」


 そんな二人を、杏李は心の置き場所が見いだせずに眺めていた。


「ボサっとしてねェで仕事しろ深山ァ!」


「は、はいっ!」


 椿の一喝いっかつが、半ば条件反射のように少女のからだを死地へと投じさせる。不覚にも、そう不覚にも。共に戦った間に、そのようにされてしまっていた。


 部屋を振り返る。洋床ベッドの神鷹と傍に立つ斉一。


 どうしてか、その光景が……今日まで見ることがなかった、はじめての筈のが。


 再び見ることは適わないとでも言うように、郷愁きょうしゅうに似て、少女の胸を甘苦く軋ませた。

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