窮地


 倒れた百鬼なきり椿つばき。現れた男。瘴気しょうきで創られた百足ムカデ。動けない朝霞あさか神鷹じんよう。目をかこい斉一せいいち


 ――ゆえに。


「あぁすまない。私はな、」


「――お前が」


 刃がはしる。一足で間合いを埋め、ままに胴薙ぎ。脇差わきざしとなった〈無銘むめい〉はを上下に分割わかつ為に今の持ち主のからだを動かす。深山みやま杏李あんりいしも異を挟まない。


「、元凶――!」


 


 神気の残滓ざんしに同調し、金眼がきらめき残光を引く。


 男どころか背後の扉まで両断しかねない、完璧に再現された。それが、


「……悪い子だ、杏李。まだ話は始まってさえいないというのに」


「――――ッ!?」


 。左腰から逆手に抜かれた白刃が必殺を否定する。男女の筋力差だけでは説明ができないほど明確に。。男は涼やかな笑みを浮かべた侭、杏李へとたしなめるように言い、何事もなかったかのように続けた。


「私は名護なもり。……亡き父に代わり、深山家の当主をしている者だ。


 見れば、その血に塗れた隊服は花守のもので。そもそも日ノ国にいて日本刀の帯刀を許された者は花守以外にはいない。


「あ、に……?」


 予想だにしなかった言葉を受けた杏李は思考に空白を生む。けれど〈無銘〉の遺思いしが圧を緩めない。刃の拮抗は続いている。


「いや、それはおかしい。深山の長男、名護殿は生来から体が弱く、表に出てこれなかった。それに、」


 寝床ベッドで上半身だけを起こした神鷹は、事実を一度、深く己に言い聞かせるように口の中に置き、苦味と共に吐き出した。


「……それに、のはずだ。当主の影辰かげたつ殿も、奥方も……七香なのかも。霊境崩壊の夜に、全員が死んでしまったはずなんだ」


 だから、貴方は誰だと瞳で問う。深山家の中で隔離されて育った杏李も、〈夕京五家〉である神鷹も斉一も、男が深山名護を名乗ったところでその顔を見たことが無いのだから。椿にしてもそうだろう。


 夕京五家筆頭・深山家の嫡男は公の場に出たことがない、記録だけの存在だった。けれど実在すればこそ、その妹である七香が朝霞家に嫁ぐという結果が在ったのだ。それが、果たされぬ侭についえた婚姻であったとしても。


 男――名護は薄い笑みをかおに張り付けてうなづいた。


「そう。私はいつ死ぬとも解からぬ身だった。父上はそんな私をじて、いやあの人は深山さえ筆頭だったらそれで良かったんだろうね。五家としての面子を保つためだけに私は生かされ続けた。杏李のこともに聞くまで知らなかったんだ。ごめんね、杏李。でももう大丈夫だ。――そうだろう? 〈生駒いこま〉」


『そうとも、我が担い手よ』


 名護の持った打刀うちがたなの神気が応える。――顕現けんげんする刀霊は、美しいヒトのカタチをしていた。


『久しいな、朝霞神鷹。囲斉一。当代の百鬼椿はまだ息があるな? 結構。杏李のこともいつも見ていた、たとえお前からは見えずとも。それは朝霞の当主も同じことだったが。皮肉なことだ。どちらも死の淵に至ってようやく、こうして顔を合わせて話すことができる。我がは生駒。深山家の守護刀霊にして、お前たちを解き放つ救世ぐぜの刃である』


 朗々ろうろうと語る。その違和感。あまりにも澄んだ心は、寸刻前に椿を、そうでなければ神鷹を殺しかかった者たちの発言とは思えない。つまりはそう。


 


 名護が歓喜を抑えながら言う。


「私は、神鷹君、君と逆だったんだ。霊力の強さに身体がついていけなかった。だからこそ父上も勿体もったいないと思ったんだろうけど。どの道この世界では長く生きられない。〈生駒〉はそんな私に道を示してくれた。――、と」


「そ、れが……」


 この夕京を襲った【霊境崩壊】だとでも言いたいのか。


 神鷹の脳裏にぎるのは、ある少女の顔だ。


 ――自身ではなく、自身を取り巻く世界の方が間違っている。


 この刀霊は、そう、深山名護に道を示したように……


「……オ、マエが、」


「おや……? ははは、凄いなあ本当に!」


「オマエらが、を、そそのかし、やがったのか……!」


 ぎちり、という音は口の中の歯か。それとも鞘の中のか。まぎれもない致命を受けたはずつばきが右手を突いて立ち上がろうとしている。


「椿……!」


『まあ聞け滅魔の鬼、その当代よ。これはお前たちにとっても良い話だぞ?』


 扉の向こうは暗闇だった。そこからキチキチときしむ音が聞こえてくる。


『なにせ世がくつがれば、


現世うつしよを売り払ったばかりか百鬼われらへの愚弄ぐろう

 ぞ、〈生駒〉――!』


 ――応えたのは、椿が握り締めた侭の大刀だいとうだった。


病犬ヤマイヌめが。お前ら千年も続けて来たろう? 向こう千年は、新たな世界で励むとよい』


 暗闇から再び巨大な瘴気の百足が飛び出る。その数、五。


『そうら馳走してやろう。平らげてみよ、人で無し――!』


「百鬼様!」


「椿……ッ!」


 避けられない。斬り伏せられない。それはあまりに濃く、また執拗しつようで徹底的だった。


 椿、という強い意志。椿の躰ごとその魂を喰い尽くさんと迫り来る致命。


 ――考えるよりも先に、腕が伸びていた。










「…………。君は正しい選択をすると、思っていたんだけれどね」



 放たれた五枚の札が中空で五芒ごぼうを結び、椿へと襲い掛かった百足をさえぎっていた。


 ――巫術ふじゅつ、護法の壱番『ヘキ』。


「――ねえ、斉一君?」


「…………」


 斉一は応えず、瘴気の百足すべてを防いだ。


 その天稟てんぴん。〈夕京五家〉の中で誰もが大成を信じてまなかった

 この霊力の高さ。舌を巻くこの技量。術式展開から発動までの速さ。この対応の感性センス


 凡そ望まれるすべてを持って生まれた彼は、この程度の瘴撃など取るに足らないとでも言いたげにあっけなくそれを防いで見せ。


 同時に眉間に深く苦悩のしわを寄せていた。

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