空隙を埋める


 花守たちが文字通り命懸けで取り戻した桜路町おうじちょう。けれど戦闘域――〈幽世かくりよ〉と隣接したこの区に陛下は戻らず、取りえず損害の具合と使えるかどうかの目処めどを立てる為に人をって暫くの後。


 今ではすっかり人気ひとけがある。……かつてのようにはいかないが。


 戻って来た者。離れられなかった者。それぞれだが、開いた店に関してはそのほとんどが花守とそれに関係する者たちだった。


 まだ、どこか嘘寒い外の風景。喫茶店カフェで対面に座るソイツはこう言った。



『私なら、私たちなら君の望みを叶えてあげられるかもしれない』


 続ける。


『だって、君も思っているんだろう? と』



 ――ボクは、



 /


 夜。


 朝霞あさか杏李あんりは一度退室し、朝霞神鷹じんようの部屋には百鬼なきり椿つばきが残っている。


 扉の向こうから杏李の気配がきちんと遠ざかったのを察してから、神鷹は口を開いた。




「……それで、椿。君は


「信じているさ」


 それは、朝霞神鷹の無罪をか。再起をか。それとも百鬼椿の、怪異殺しとしての直観をか。


 問えずに続ける。


「椿、椿。君が持ってきたこの作戦に関する資料に嘘は無い。――でも、。もう花守たちは花霞邸かすみていを出て桜路に向かっている。違うかい?」


「そうだな。あざむいたのはお前さんじゃなくてあの嬢ちゃんの方だよ」


 ……杏李か。彼女の異能ちからには不確定要素が多い。戦サ場への投入は百鬼椿の同行が必須だ。だから、だから椿が残るためには杏李も残さなければならない。


さんが手を出すなら、陛下が不在となった今を除いては無ェだろうと踏んだ」


 今上天皇依花よるか。日ノ国で必ず護らなければならない最上級かつ唯一絶対の命であり、同時に最強の霊力保持者。如何いかに〈幽世〉と言えど、その瘴気は届かない。現世うつしよの神にして。彼女を護るということが虚しく思える程に、花守と花霞邸は彼女に霊的に護られているというのが実態だった。


 その天皇は出雲いずもった。


「だろうね」


 朝霞神鷹は百鬼椿を信頼している。彼は間違えない。


 だから、あの山郷さんごうで死ぬ筈だった自分を生かして連れ戻った選択も、間違いではないと信じている。


 その椿が、神鷹じんようをどう判断しているのか。


 もう一度、それを問う為に開きかけた口はけれど言葉を発さず。代わりに扉がいささか乱暴に開かれた。杏李ではない。



「なんだよ百鬼も居るのか」


斉一せいいち……?」



 ――〈夕京五家〉現在筆頭、かこい家の嫡男にして天皇直属の近衛師団兵、囲斉一はつまらなそうに顎をしゃくって息を吐いた。


「どうして斉一が花霞邸に? 陛下の警護で出雲へ行ったんじゃないのか」


 舌打ち。斉一は椿を横目で見、眉を寄せて問いを流す。


「ハァ? なに、お前言ってなかったの? 人間の言葉忘れ過ぎじゃない百鬼」


月蠅ェなァ囲のボンは。一々いちいち噛み付かなきゃあ身を立てらンねェとか犬ッコロかよ」


「クッソ不敬」


「ヒトじゃあ無いンでね」


 途端に険悪になる空気。だがそれだけではない。斉一が椿を下に見るのも、椿が毒を吐くことを躊躇ためらわないのも、神鷹が終わりまで止めることがないのもだった。何しろ十年では足りない。


 三人は合わせて竹馬ちくばの友、とはとても言えるような間柄ではなかったが、共に幼馴染なのだから。


 遣り取りに飽きたのか、斉一はため息を一つ吐いて扉を閉めた。


「このが陛下の同行から下げるように掛け合って来たんだよ。それもお婆様と羽瀬はぜのヤツまで使って。陛下もボクなら安心して任せられるって仰せだからさ。そうまで言われちゃ断れないだろ」


「斉一ひとりくらい欠けても問題無ェってことじゃねェの」


「だからお前が掛け合って来たんじゃん百鬼さあ!」


「ええと……つまり……?」


「なに。弱ってる弱ってるって思ったけど頭の巡りまで瘴気に侵されたの? もう諦めて隠居したら良いんじゃない朝霞」


 つまり。


「近衛で、腕が立って、霊力も強いボクが、くたばりかけの、誰かさんの、警護に入ったって言ってんの」


が大きく出たなァ」


に言われたくないんですけどォ!?」


「……そうか」


 そうか。


 斉一が、僕を。


 椿が、斉一を。


「はは……うん、斉一が守ってくれるなら、心強いよ。すごく」


「万年一位が言うと嫌味っぽいなァ」


「調子狂うからホントやめろよな、朝霞。……ボクだって心外なんだぜ、お前が守られる側だなんて」


 そうだ。


 朝霞神鷹は誰かを守る男だ。百鬼椿は何かを切り伏せる男だ。囲斉一は天皇を守るのが仕事だ。


 いまこの瞬間。誰もが、その本来の役割を放棄してこの部屋に居る。



 ――僕は。その信頼に、応えられるのだろうか。


 疑念が拭えない。


 自分が霊魔に堕ちることがあったとして。これから堕ちるとして。


 そうなった自分を止める為に斉一を呼んだのではないのかい、椿。


 そんな、自分を疑う友の、人間味の無い瞳に。


 



 そうまでして、、という疑念を拭えない。


「椿、斉一、僕は……」


 またも、言葉は続かなかった。控えめなノックの後。


「失礼します」


 再びの入室を果たした朝霞杏李は、部屋の中に囲斉一の姿を認めて動きを止めた。


「…………どうして、囲様が?」


 その瞳に剣呑けんのんが宿る。


 杏李は斉一が神鷹に行った仕打ちを見ている。知っている。看過など、できない。


「……ボク、同じこと説明するの嫌だからね」


「斉一、オマエ深山みやまの嬢ちゃんに何したンだよ」


「ええと、杏李。とりあえず大丈夫だから、ね?」


 ――このように。当事者ではない誰かがこの三人の幼馴染を見るとき。それはとても良い関係を築いている、とは言い難い空気を形成しているのであった。


 それが、好意を持って見ている相手が含まれている場合、特段に。



 ……淹れ直した茶の温度が、下がったと錯覚するほど。

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