おおかみつき


 古狼は語る。


『日ノ国が人の世となり、最も安らかであった時代。同時に、現世うつしよ幽世かくりよの境界が最も曖昧であった頃の話だ』



 /


 平安時代、駿河国するがのくにの西。遠江とおとうみにて、その一門はおこった。


 陽光の影に、夜の道に。跋扈ばっこし溢れる、この世ならざる〈魔〉を討ち続ける。


 ――憎悪ではない。憎悪それで獣は牙を研がない。


 ――快楽でもない。快楽それで鳥は空を飛ばない。


 鉄をち、刃を為し、憂う神霊と契約し、〈魔〉を屠る。ただれのみを生きる意味にした彼らは、後の人類史が示すように、の一点においてのみ、だった。


 魔性を血に交えさせることもなく、ただ狩り続けること……


 できるから。できてしまうから。しなければならないから。しばしばこの種族は、


 この一門の根底が何に起因しているか定かではない。物の怪、人の怪の区別なく。並べたむくろで現世と幽世の境界をく。


 夜道の怪異は際限が無い、筈だった。


 ぬえの鳴き声が聞こえなくなった、と誰かが言った。柳の下で男を誘う女の姿が見えなくなった、と誰かが言った。


 その段になって、時の国主は一門に名を与えた。


 。怪異を撫で斬るひとし。


 撫斬なきりという意味を、その鬼たちに下賜し、百鬼ナキリと成ってからも、彼らがすることは変わらない。


 なにせ、生き物が生きている。一度や二度、三度根絶させたところで、生ある者の逝き先が在り。曖昧になった境界に迷うモノ、現世に想念を抱き渡るモノ。それらはあの世の全てではなかろうが、けれど到底、無くなるモノではなかったが故に。


 だから百鬼のすることは変わらない。


 数が減ったから、は理由にならない。


 此方こちらに在る以上は、斬り伏せ、骸の骸で野を築く。



 ――契機は世が何度か乱れた後。二つの朝廷が日ノ国を二つに分けて争った時代。


 百鬼は世の変遷へんせんに興味などなかった。けれどちまたには嘆きが溢れた。それは生きている間もそうで、死して尚、忘れることなど出来なかったのだろう。


 人類史上、最も刃金はがねの真実に近づいた時代。刀という存在の極限に至るむろの頃。百鬼の一門は唯一にして最大の災厄を、自らの手で引き起こすこととなった。



 正気を失い、瘴気を得た者の末路は何度も見ていて知っていた。だからその血統は幽世への耐性をこそ求め続けた。


 一時でも永く。一体でも多く〈魔〉を狩る為につちかわれた性能。練り上げられた魂の強度。


 平安の時代、百鬼夜行を根絶させた実績があって尚、現世が嘆きに包まれた時代の乱れが、


 が、この世に誕生した。厳密には時の百鬼家当主が、幽世の存在へと成り果てた。


 連綿と練り上げたわざが。その血と肉と魂を穢したおびただしい瘴気が。昼夜を問わず遠江の民を、魔を屠る筈の一門をひとり、またひとりと死者へと変えて行く。


 殺意は足りている。けれど埋められない圧倒的な性能の差。


 ――変わり果てた父親を討つ為に、では何が足りないのか。


 元から奪い合う間柄。討ち死ぬ覚悟は足りている。


 鍛造技術は極限に達し、にくかみよろいの区別無く。


 世を憂う神霊は、多く在り。八百万すべての内に、一を足す。


 


 陽光の神が居るように。幽世の神が居るように。万象をつかさどる神に、未だその席が空白なれば――この血脈と魂をって証とする。


〈魔を討つ神〉が、居れば良い。


 愛刀には詫びるばかりだ、とその男は笑い――


 大刀〈無明むめい〉を首に当てる。


(本当に良いのか。)


「無論」


 永く一門と戦ってきた神霊に、父親が霊魔となった百鬼の当主は頷く。


「貴方にも詫びるばかりだ。それまでの意味を奪うことを、どうか赦さないでいて欲しい」


(……この身は鉄であれば。鍛たれた末が刀か茶釜か、それでも末路は変わろうよ。)


 或る、長い冬の間に止むことを忘れた、雪の日の話だ。


「では、後を頼む。お主にとっては祖父であろうが、百鬼の本懐を遂げるよう。――頼んだぞ、


「畏まりました。これからも宜しくお願い申し上げます――父上」


 それは春を待ち、枯れぬままに落ちる紅の花。


 その後も続くであろう、子孫の命さえもをべて成す〈大神憑おおかみつき〉。



 鉄の神に己を食わせ、魔を討つ神として新生した百鬼当主。初代の椿つばき


 百鬼せつは名を二代目椿と改め、その愛刀ちちを以って、霊魔そふを討ち果たすことに成功した。



 ――繰り返すこと、六十三度。世に蔓延はびこる〈魔〉を討ち続け、やがてそのいのちが穢れ堕ちる前に、その首を落として刀霊と成る。


 その、神と百鬼の血脈との契約の証として、『椿』を継ぐ者の首には全て、赤い線が刻まれた。


 当世椿は、生まれながらにその首に赤を引く――百鬼千年の最高傑作として、生を受けた存在である。



 /


「……では、貴方さまは……」


 既に用意した緑茶は熱を失っている。乾いた喉を潤そうともせず、百鬼りつは畏れるように、口を開いた。


『うむ。〈無明〉から銘を奪い、契約していた神に身を食わせ、父の仕出しでかした事の始末をせつにやらせたよ。獣の姿が似合いであろう?』


 大神おおかみの刀霊は、かつて人で在った頃の唯一の名残……狐の面を揺らして笑った。


 だが、と初代椿――かつての百鬼そそぎは付け加える。


『歴代の椿が全て刀霊へと成ったわけでもなくてな。六十三代の内、大体半分くらいはそのまま生を終えている。真っ当かどうかはさておきな。……当世とうぜの父親も健在だぞ? 今は依花よるか殿の命で、皇居の守護をしている』


「では、椿さまも……」


 その、雪解けのように儚い希望を、


『つばきの首は、わたしが落とす』


 の刀霊〈薄氷うすらい〉が、銘の通りの冷たい瞳で遮った。


『それが契約』


『本来は我の役目だというのに、この娘御むすめごは聞かなんだ』


 ため息の後、〈雪〉は続ける。


『律殿、当世の事を想うのであれば心せよ。……あれは椿を始めた我が言うのも何だが、


 開けたままの窓から入る冬の夜風は冷たい。けれど、閉めることも律には憚られた。


 ――自ら可能性を、閉ざしてしまうようで。

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