第伍話〈百鬼の椿〉
律すれば恋い願ふ
西洋式の扉は訪ねる時に拳の裏で三回、叩くのが礼儀らしい。
――空白に思う。果たして訪ねて、では何をしようとしていたのだろう。
「……あわわっ」
途端に恥ずかしくなってしまい、扉に背を向ける。報告することなど何もなくて、手ぶらの
胸に手を当て深呼吸。一回、二回。いつもの動作。三回もすれば落ち着きを取り戻せる。
(構わん、入ってよいぞ。)
「――!?」
その三回目は、息を吸い込んで止まってしまった。
止まった息を吐き出し、意を決して扉を開ける。
「……失礼します」
冷たい空気がするりと、開いた扉から逃げ出して行く。
果たして、訪ねた部屋には主の姿はなく。開け放たれた窓、冬の夜風が
「……
居ると当たり前に考えていた
見回せど決して広くなどない部屋だ、隠れん坊などするお方でもない。
壁に掛かった隊服の上着と
狐に
(
あれは時折、独りになりたがるから、と。
……声は頭に直接。隊服と同じく部屋の壁に佇む、椿さまがいつも
「
思わずひれ伏し頭を下げる。刀霊〈雪〉。百鬼家当主、椿の愛刀。そうでなくとも普段から耳にしないその声の神気。他意も
(……
「は、はい……」
けれど正座から立ち上がることも、かと言って足を崩すことも何故だかできない。
微妙な空気が場に流れる。ややあって、雪さまは諭すようなやわらかさで、再び口を開いた。
(先も言ったが当世は外している。用向きなら後で伝えるが。)
「い、いえ。その、申し訳ありません……これといった用があったわけでは、」
ないのです。
呼吸三つ分の間。
(……お主も苦労をするなぁ。あれは決して鈍くなどは無いが、乙女の
「――――っ」
けそう、と胸の内を明確に口に出されて顔を覆ってしまう。熱い。
(
「は、はい。……それは、はい。わたしも多くを、聞きはしませんでしたので」
百鬼律。それが今のわたしの名前だ。上から数えて、二番目に大事なもの。
あれから二月あまり。日々の巡回や霊魔の討伐を一緒にしながら、けれど彼の多くを未だ、知らない。
それは渡りに舟のように魅力的で、同時に当事者のいないまま聞くのは後ろめたい提案だった。
(なに、気に病むこともあるまいて。
といっても、鼻で笑って終わらすだろうが、と。
「そ、それでは……お願いいたします」
結局。わたしはその魅力に抗えなかった。
(少し長くなる。飲み物でも持ってくるが良いて……お主の分だけで構わんぞ?)
どうしてか、刀に憑いた神霊でありながら、その主である椿さまよりも余程……ひとのあたたかさ、というものを感じさせた。
「はい。……では、一旦失礼致します」
立ち上がり、開けたばかりの扉をまた開け、廊下に出る。
/
考える事は多かったはずなのに、何一つ思い浮かばないまま。気付けば忠告を無視して、
(楽にせよ。どこに座っても当世は気にしなかろう……床はやめるように。)
先に釘を刺され、やはり部屋を見回し……
(そうさな――では、)
神気の高まりを感じる。瞬きの後、
『……先ずは、ナキリのあらましから始めよう』
この部屋は広くない、と改めて思う。
おおきなおおきなおおかみが、少し窮屈そうに顕現していた。
その、ヒトと比べて大きすぎる頭に、髪飾りのようにヒト用の狐面を着けている――これが、雪さま。
「あ、あの……そういえば、椿さまは何処へ?」
答えは下方。
『……屋根の上。つばきは空を見るのが、好きだから』
そんな雪さまに背を預け床に座る、
「……
童女――薄氷さまはこくり、と頷いた。
……だから窓が開いたままだったのか、と。早くも
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