或る結末。


「シィィィィッ!」


 瘴気を纏った〈武蔵むさし〉の斬閃はドス黒い赤。


「ぬぅん!!」


 それを迎え、打つ〈百鉄ひゃくてつ〉の刃は霊気により青く燐光している。


「まっこと怖ろしきは山郷さんごう直系である。流石は雄一郎ゆういちろう殿! 命を落としながらもこの技の冴えとは!」


 霊魔と見紛うな鎧武者――やなぎ景千代かげちよの声には隠しきれない慶びがあった。この死のちまたに悦楽しているのではない。


 と。刀が廃された時代になって尚、棄てられなかった剣の道。柳家が連綿と受け継がせてきたそのわざを、刃の閃きを活かせる――決して、無駄などではなかったのだと。代々が遺し、至った今。その正しさを証明できることをこそ、景千代は誇る。


「おぉッ!」


 死を賭して踏み込む一歩が。


「――――!」


 雄一郎の繰り出す技のを見極め、呼吸なき死者と合わせる呼吸が。


 具足が山郷霊脈の土を踏みしめ、巨躯に見合わぬ精緻な動きで開けた半身分の間を赤い刃が過ぎ去る瞬間が、すべて。


 凡て、明日に繋がっている――!


「いやぁーッ!」


 胴薙ぎ。確信する、刹那の後に訪れるであろう肉を断つ感触。


ォォ、アァッ!!!」


「何ッ!?」


 だが。この帝都……否、この日ノ国で最も優れた〈夕京五家〉、その次期当主ともくされた雄一郎の天稟てんぴんが手柄を易々と得ることを赦さない。


 振り下ろしかわされた筈の雄一郎の刃が爆ぜ、手首の返しのみで直角に曲がる。瘴気による推進力。魂を侵され、命を奪われ、霊魔と成って尚顕在化する。およそ人間の技ではない。そしてそれでこそ当たり前である。花守の相手は常に、現世を脅かす霊魔なのだから。


 鎧が纏う霊気が瘴気と衝突し、紫電が迸る。その圧力は必殺の胴薙ぎを不発たらしめ、残り一寸という間を残したままに景千代の身体を押しのけた。


 皇室よりたまわった〈百鉄〉の防禦ぼうぎょ力をってしても心身を蝕む瘴気は、そのまま山郷雄一郎という青年が持つ霊力の高さを示している。


 ――なんと、口惜しいことか。


 苦痛ではなく、悔恨の念から景千代は兜の影に隠れた表情を歪ませた。


 これ程の才。これ程の技を、生きて御国の為に使えない。それどころか仇を為すこの現状。


 雄一郎を中心に、羅針コンパスのように描いた半円。間合いは変わらず。


 当代一の花守れいまは瘴気による加速でいち早く再びの上段を完成させ。


 柳景千代は両手に握る太刀を引き寄せ、腰を深く落とす。


「……ッ!」


 喉元を狙い青眼から最短で放つ景千代の突き。


「〈武蔵ムサシ〉ィィィィ!」


 それより確かに速く、山郷剣術奥伝おうでん兜割かぶとわり』が振り下ろしという軌道きょりの不利を覆す魔速で奔った。




 /


「ちィィィっ! うっざいンだよお前ェ!」


 一方、〈人魔〉へと堕した山郷信次しんじに対し御影みかげ瑞己みずきが仕掛けたのは超至近戦。太刀〈信濃しなの〉を持つ信次の懐に這入はいり込む。その一歩という距離を踏破するためだけに全霊を懸けて挑み続けた。


 それを赦す筈もない山郷信次の剣術。兄に天稟が在れど、次期当主に選ばれなかった彼は無才であるか? 否。断じての否。


 その振る舞いに全くと言っていいほどに見合わぬ手堅い太刀捌きは、懐に迫ろうとする御影瑞己の間合いを殺し続け、その最後の一歩を千里へと変貌させている。


 瑞己は一言も発さない。言葉一つ吐くだけで得るべき一瞬が遠ざかるとでも言うように、淡々と自らの命を絶死の間合いへとべ続ける。


 絶えず閃く小太刀〈絶影ぜつえい〉が、〈信濃〉の太刀筋を比喩無しの間一髪で逸らす。そうして、数センチに満たない距離を一合ずつ、詰めていく。


「なんなんだよお前ッ!」


 信次もとっくに理解していた。退。現世を〈幽世〉に売り払い、人を辞めてなお自らの生命と肉は健在だ。斬られれば痛み、急所を貫かれれば死ぬ。わらいながら兄を手に掛けた今更、知りもしない花守に対し命を奪う忌避感など持ち合わせてはいない。だから殺すつもりで〈信濃〉を振るっている。


 相手は人間だ。太刀傷ひとつで片が付く。それが〈幽世〉の瘴気を纏っているともなれば言うに及ばず。猛毒の刃に等しい必殺。


 その必殺が、五合を放っても決まらないのはどういうことか。


「ふッ……」


 間合いを開ければ。その有利はそれだけで此方こちらに軍配を上げる。


 打ち払いでも胴でもいい。押し退ければ。


 二合目はそうして放たれ、けれど空を切った。上体を逸らし、けれど足は一歩も引かないまま、刃が通り過ぎた空間に怯むことなく踏み込んだのだ。


 続く三合目は逆袈裟。小太刀に阻まれ軌道を逸らされた。


 四合目は。五合目は。


「ふッざッけッンッじゃ、ねェェッ!」


 どこの誰かも知らない木っ端花守に追い詰められているという事実が怒りとなって爆発する。


 大上段に構えられた〈信濃〉の刀身が瘴気を纏って歪む。


「オレはッ山郷信次だぞッ!?」


 堕して尚、縋るようなその矜持。太刀は直線でありながら蛇のように揺らめき、本来の刀身と軌道を捻じ曲げる。


「………………」


 その中で、御影瑞己は上段に構えた。躱せるはずもない必殺。躱したとて首にも心臓にも届かぬその間合い。


 血迷ったか、と血走った眼で山郷信次は哂い――禍々しく穢れた〈信濃〉を振り下ろした。


 /


 結末は一瞬。


「ぐぶっ」


 口から血を溢しながら、その刃が瘴気を祓い、取り戻してくれた視界。


 喉を貫かれた山郷雄一郎は、己が必殺が何故不発に終わったのかを知る。


(よもや兜を割れぬどころか……)


 柳景千代が放った〈百鉄〉は、突きながらにして〈武蔵〉の鍔元を、主に凶刃を届かせぬ侭、敵のしるしに叩き込んでいた。


「……柳流、『雨傘あまがさ』」


 引き抜く。


 山郷雄一郎は、霊魔へと堕ちた自分を止めた鎧武者に詫びるように、いっそ穏やかな笑みでくずおれた。


 /


 ――った。


 同時に相手も振り下ろしているが、だからどうしたというのだ。オレの〈信濃〉の間合いで、飛びもしなければ刀身が伸びるわけでもない小太刀で何ができるのだ。


 ただ奇妙なのは、相手の花守の小太刀はとっくに振り終わっているのに、〈信濃〉はまだ額に到達していない。


 どころか、時を逆巻いたように跳ね上がる。


「――は?」


 男が構わぬとばかりに踏み込んで来る。信次はたまらず刃を引き寄せようとして――ことを知った。


「腕っ、? おっオレの腕っ!? 手ェ!!!」


『切り落とし』。御影瑞己が狙ったのは首などではない。合わせて打ち下ろした信次の、太刀を握る手首そのものだ。


 同じ軌道、同じ速度で、では頭を狙う大円と手首を狙う小円。どちらが時を要さないか。答えは見ての通りである。


 千里に等しい一歩を踏破し、〈絶影〉が山郷信次の首を攫う。


「……一刀で済ませられぬ私を、どうか赦されよ」


 残心……血払い、そして納刀。その凡てを終えても、御影瑞己の顔からけんは抜けていなかった。




『敵』は討った。


伊之助いのすけ殿!」


 勝利に奮えるのはまだ早い。


「霊脈の奪還を!」



 ――かくて山郷区は『朝』を取り戻す。


 西より取り払われたトバリが、最前線にどのような結末をもたらすのかを、ふたりの花守はまだ知らず。


 知らずとも、信じていた。


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