〈鬼神〉


 ――どうして。


「ッッぜあぁぁぁッ!」


 どうして。どうして。


「お、ぉッ!」


 どうして。どうして。どうして。どうしてどうしてどうして!


「――次ィ!」


「どうして戦えるのさ!?」


 状況は最悪。退路は断たれた。全滅は必至。壁を背に追い込まれ、三方を霊魔に囲まれ、明ける筈の日光は無く、落ちたままトバリは空気に瘴気を孕ませている。


 その絶望。〈霊境崩壊〉という大霊災の直撃を、身をって知った者は二度と経験したくもない筈だ。まぬがれたものはただの一度とて直面したくない筈だ。


 ――だと、いうのに。


「――〈薄氷うすらい〉ッッ!」


「〈無銘むめい〉――ッッ!」


 人間の頭部が繋がり、個々の耳から節足を生やした百足むかでのような霊魔が飛び掛り、次にはまな板の上の鰻のように切り裂かれる。その傷口から煙のような瘴気が大気に溶け、二人の肺腑はいふを苛んでいく。


 押し寄せる霊魔に際限は無い。だが既に斬り伏せられた大型霊魔は八体を超え、ヒトの姿を模した霊魔はことごとくが首を刎ねられ、畜生をかたどったモノ共は大半が再びの死を与えられて転がっている。


 とどめたむくろで塚を築かんばかりに。


 片方は不意を打たれ、霊障れいしょうにより利き腕である左が封じられ。


 もう片方は生来の霊力の低さから刻一刻と戦闘不能へ向かっている。


 ――だと、いうのに……!


「おっかしいでしょ!? つーさんもじんよーサマも! ねぇ! 状況解ってる!?」


 山郷初雨うめの叫びに呼応するかのように、夜闇の影から霊魔が湧き上がる。


 先手を打って百鬼なきり椿つばきが踏み込み、顕現した瞬間の鎧武者の、まだ構えも覚束おぼつか無い太刀を弾き。


 椿が拓いた間を朝霞あさか神鷹じんようが喰らい、隙だらけの胴を袈裟に斬る。


「ふぅぅ……」


「はぁ……」


 冬の夕京に白く霞む吐息。阿吽の呼吸どころではない。この絶死の極限空間にいて、二者の連携はいよいよもって冴えわたる。


「こ、の……!」


 その気迫に圧されたのか。後ろに下がりそうになった初雨の背がビタリと止まる。これ以上の後退は許容できない。本能ではなくがカタチを持ってその背を支えた。何本もの手。瘴気に染まった娘の魂が、それを良しとして受け入れ構築した質量の無い肉体。〈幽世かくりよ〉の力。


 射出される。何かを求めるように高速で伸びた腕は八本。放射状に広がるそれらは一つとて二人を目指さず、癇癪かんしゃくめいて幽世に堕ちた山郷区に今も存在する家々や木の電柱、煉瓦レンガの壁に突き刺さり、或いは掴む。


 少女の姿をした〈魔〉が、爆ぜた。軋む八腕が投玉パチンコのように本体を弾き出す。瞬間で間を食い散らかす、魔速の移動。それだけに飽き足らず、銀色のままに穢れきった打刀が逆胴に吼えた。


「〈周防様すおうサマ〉ァーーーッ!」


「椿ッ、!」


 地面と水平に走る黒銀の一太刀に割って入った神鷹は〈無銘〉ともう一振りの脇差〈凪風なぎかぜ〉を抜き、肩で十字を組んだ二刀を以って凶刃を受け止めた。


 刀と刀、霊気と瘴気。ぶつかり合った衝撃が大気を振るわせる。


「づぅっ……! 初雨殿、いい加減にっ、!?」


「あーしさぁ!!」


 触れ合うほどの距離。山郷初雨は刃を防いだ朝霞神鷹の言葉を遮って声を荒げる。


「ずっと、ずっと見てたんだよ?」


 その先の――百鬼椿の瞳を。温度の無い、昆虫のようなその目を。


「初めてだったの! 夢中になったの! つーさんが欲しいの! !」


 その渇望。唐突にふたりは理解する。


 嗚呼。、と。


 どうして霊境が破れ、幽世が現世を侵食したのか。それは解らない。ただ、死して向こう側の住人になった者たちが再び此方を求めるのであれば――死して尚、求めてしまう程の何か。


 八本のねがいが収束する。抱きしめるように囲う。


 この娘は、幽世の方が現世よりも良いと思ったから裏切ったのではない。


 山郷初雨ひとのままでは百鬼椿ひとでなしを手に入れられないから、望んで魔に堕ちたのだ。


 ――現世を捨ててまで、欲しいと願ってしまったのか。


「……色男は辛いね? 椿」


 軽口を叩く神鷹の額を冷や汗が滴り落ちる。


〈周防〉が押し込まれる。娘の力とは思えないほどの膂力りょりょく……霊力の差。


 鳥を閉じ込める籠か、あるいは新生を育む繭か。視界は織り重なる腕に遮られ、文字通り手中に収められるその刹那。


ッッッッじゃねェの」


 サン、と閃いた刃がさなぎに成るなど御免だ、とばかりに腕を切り裂いた。


「いぎっ!?」


 祓われたからではなく、拒絶の痛みで初雨が怯む。一歩横に踏み込んだ椿は返す刀で容赦なく初雨の首を飛ばそうとし、


「こ、のっ!」


 並では在り得ない、両腕に怪異の腕を添えた四本の膂力で〈周防〉を振り抜いた初雨が、防ぐ神鷹諸共に椿を壁に叩きつけた。


 粉砕された壁が砂煙を孕む。


「ナンデ!? いいじゃんか、こんな世の中なんて放っておいても! あーしはつーさんだけでいいって、こんなに想ってるのにさぁ!!!」


 もう何度目か。群がり始めた霊魔を、その腕が掴み、


「どうして!」


 投げ込む。


「どうして!」


 投げ込む。


 所作と言動だけ見れば癇癪を起こした幼児おさなごのそれ。頭を掴まれ投げ込まれる霊魔もたまったものではなく、瓦礫に埋もれる二人の花守はその都度致命への階段を昇っていく。


 ――砂塵を切り裂いた閃きは三本。一拍の間を置いて分割されながら吹き飛ぶ有象無象。煙を引きながら駆け抜ける〈花守〉が二人。


 絶望など、食らい飽きている。


 甘い言葉にほだされ現世を見限る余地すらも無い。


 ――夕京五家が一、朝霞家当主・神鷹にはこの地を護り抜くという責務が在り。百鬼椿は霊魔を屠る為だけに生きている。


 と、〈人魔うめ〉の嘆きに呼応して立ち昇る霊魔の怨嗟えんさ、怨嗟、怨嗟、怨嗟。


 今度こそその生を根こそぎ食らい、同じ処まで堕とさんと、地上に現われた津波の如く押し寄せる。


 背後には結界を張った最後の守り。すでに瘴気に侵され戦えぬ者は、今上天皇依花よるかより賜った毒薬を手に、その瞬間に備えて迫る怒濤を見ていた。



 ――ずん、と地を揺らす霊気の衝撃。


 次いで起きた光景を、少女は生涯忘れない。


 /


 呼吸するだけでも苦しかった山郷区の決戦。二人の花守が死闘を演じるその背後に展開された結界。そのさらに後方――西


「山郷霊脈が――」


「――復活した!?」



 白く澄んだ青。ほんの一晩だけなのに、こんなにも懐かしく思ってしまう。


 防波堤に砕かれる波のように、天照アマテラス様の威光にお二人を飲み込もうとした群霊が跳ね除けられる。


 手足の震えは、歓喜か怖れか。おそらくはどちらも。今なら。いや、今しかない。わたしたちを守るように突き立つ刃が、朝陽を浴びて銀色に煌いている。


 きっと恨まれて、きっと怒られる。


 深呼吸……だいじょうぶ、苦しくない。わたしは立ち上がり、その柄を掴んだ。


「……失礼つかまつります」


 馴染む気など全く起こらないその柄はけれど、呵呵カカと快活に笑い飛ばすかのように頼もしい霊力で応えた。ままに駆ける。


 理由はひとつしかない。わたしが望む未来は。わたしが望んで良いと許された未来は、前にしか存在しないのだから。



「椿さま……!」


 足がもつれる。届かない。


(構わん、侭に投げつけてやれい。)


 なんと頼もしいお言葉か。転ぶ勢いそのままに、わたしは大刀を渦中に投げ入れた。


 椿さまが振り返る。一瞬だけ視線が交わった。それだけで、何故か泣きそうになってしまう。


「お任せっ、致します……!」


「はッ。上等だな、りつ


 転ぶ瞬間に、滅多に見えない笑みを、見た気がする。


 即座の判断で〈薄氷〉様を口にくわえた椿さまは伸ばした手でわたしが投擲した大刀――〈そそぎ〉様を握り、そのまま一閃を振るう。


 切り裂かれる霊魔。それに合わせさらに一閃を重ねる朝霞さま。


 窮地は変わらない。ただ、生存が絶無だったこの山郷での戦いにこの瞬間、一縷いちるの望みが見えたのだ。





 ――後に〈山郷決戦〉と呼ばれるこの大戦を生き残った花守達が伝え広めた事実。


 かばね存野ありしのを築き上げた二人の〈花守〉。


 山郷決戦の英雄。その名と戦いぶりから、百鬼椿と朝霞神鷹は〈鬼神〉と呼ばれ謡われることになる。

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