十一


 激変した山郷さんごう霊脈。堂の中に造られた広大な空間に、その巨大な要石かなめいしは横綱を巻き鎮座していた。


雄一郎ゆういちろう……何故だ、」


 山郷家当主、伊之助いのすけは黒血のようにおぞましい霊力を帯びる要石の前に立ちはだかるに、おのが大太刀〈大和やまと〉の切っ先を向ける。


 孫であり次期当主ともくされていた青年、雄一郎の瞳は最早もはや生気を失い濁っていた。赤く染まった胸元からは、同じ色をした切っ先が伸びていた。


「何故だ、何故こんなことをしたッ! 応えろ、……!」


 雄一郎の背後。易々とその背を取り、一突きで実の兄に致命を負わせた男は――山郷信次しんじヒビのように笑った。


「アンタがいけないンだぜェ、御館様おやかたさま。アンタがって言うから」


 ずるり、と刃が抜け、雄一郎の体がくずおれる。刀身に付いた血を拭うこともせず、信次はホウと天井を見上げた。


。兄貴を見ろよ、可哀想に。オレの事を認めてくれなかったばっかりに、こんな何も解って無いような面ァして死んじまって、あぁ~あ」


「た……」


 たった、たったで? 山郷家を継げない、たったそれだけの理由でこの孫は兄を手にかけ、山郷霊脈を――日ノ国を売り渡したというのか。伊之助には理解ができない。現世が幽世に呑まれることを良しとできる精神性なぞ、この老花守は持ち併せている筈がなかった。


「ッッ、信次ィィィィ!」


 振りかぶられる〈大和〉。その魂の慟哭どうこくに呼応するかのように刃が唸りを上げ、不埒の徒と化した孫を一刀両断せんと踏み出す。


「御館様ァ、アンタもう歳だろう? 休んでいいぜ、なぁ――〈信濃しなの〉ォ!」


 オン、と信次が持つ太刀が纏ったのは紛れも無く。信次は笑みを崩さず、また一歩も動かずに迫り来る大祖父を眺めている。


 振り下ろされる〈大和〉。悲鳴のような金属音。未だ残る迷いごと斬り伏せんと放たれた袈裟けさを止める、


「貴様ッ、信次ッッ! 何処まで我らをおとしめれば気が済むッッ! 退けィ、ッッ!」


 今しがた弟に背後から串刺され絶命した、山郷家長男だった。


「お゛……お゛ォ……」


「そうそう。兄貴は弟を守るンだって決まってるもんなァ」


 ――胸から零れたモノを注ぐように。今や護国の霊気ではなく幽世からの瘴気を拭き出す要石から、ツタのようにその汚濁が雄一郎の胸へと伸びていた。


「おぶッ、ばッ、、ぎっ……お゛や゛がだざま゛、に、にげ」


 その汚染は〈大和〉を受け止めているもう一振りの太刀……〈武蔵むさし〉の銀色を黒く塗り潰していく。ぎちぎちと噛み合わせの悪い口のように、二本の刃が鳴っている。


「雄一郎、雄一郎ッ! しっかりせい!」


 それは叱咤のような懇願。


「にげに、にげにげにげにげにげげげげげげげげ!!!」


 だが届かない。開かれたまなこは墨のように真黒く、過剰な瘴気を注がれた故か、あるいは悔恨か。血の涙を流しながら伊之助の大太刀を跳ね上げた。


〈花守〉の戦いは常に決死である。その理由がだ。常人と比べるべくもない高い霊力とに加え、刀に憑いた神――刀霊との契約を為し得るだけの感応力の高さ。その魂の外殻が剥がれ落ち、活力の代わりにの瘴気をべられた場合どうなるか。


 故に身を切る想いで今上天皇依花よるかは凡ての花守にその毒を賜らせたのだ。安らかに死ねるように。生者を襲う霊魔へと成り果てぬように、と。


〈幽世〉の軍勢に対し圧倒的に数で劣る〈花守〉。日々の闘いで少なからず培われた絆を嘲笑あざわらうかのように、闘いの中で死した仲間が敵に変わってしまう絶望。それが血を分けた愛しい孫であるのなら、その心に負うキズは如何ほどか。


 ――儂が斬らねば。


 そう決意して握り締める〈大和〉の、何と重いことか。


 このような決断を、彼の一門は幾度越えて今に在るのだろうか。否、迷いは消せ。


「……ふぅぅぅぅ」


 されど思い出が吸い込んだ空気と共に脳裏に巡る。天稟てんぴんが確かに雄一郎には在った。だがそれがどうしたというのだ。生まれてきた孫三人、赤子の時分に抱き上げた時の愛は、今尚以って薄れてはいない。どの子も可愛く、夜泣きすらも煩わしく思ったことなど無いというのに。それを、この手に掛けろというのか。あまりにもな仕打ちではないか。揺らぐ決意。この土壇場で思い知らされる、どうしようもなく自分はヒトであるという事実。


 だがその情を、塗り潰された長子も、自ら進んで投げ捨てた次子も持ち併せていなかった。


 黒刃が迫る。


「すまない。初雨うめ、お前だけは……」


 近いようで遠い戦地の孫娘を想う。





「アッハァ。御館様ァ? この話持ってきたの、初雨アイツだぜェ?」


 ――砕かれたというのなら、信次のこの一言にだろう。もはや〈大和〉の、主を呼ぶ声すらも遠く。構えることもできずに凶刃の進む先がこの身であろうと動かせるだけの心は、山郷伊之助に残されていなかった。



 /


「――“祓戸大神等ハラエドノオオカミタチ”」


 絶望の淵に、いわおのようないのりが静かに届く。


きまする。よろしいか」


 駆け抜ける四足の蹄音ヒヅメネ


「是非も無し、いざ。“畏畏白カシコミモカシコミモモウス”」


 それは間も無くをして、二足の二ツが駆ける足音に変わった。


「〈百鉄ヒャクテツ〉――ッッ!」


「!?」


 降り下ろされた〈武蔵〉の、刃の腹から打ち払った一閃はいず日輪がちりんのような孤を描き。


「――〈絶刀ゼットウ〉」


「なんッッッだお前ェら!?」


 信次は飛び込みざまに振るわれた小太刀に蹈鞴たたらを踏んで仰け反る。


「……御影みかげ瑞己みずき。好機をいっし恥じ入るばかりなりて」


 名乗り上げながら、使い込まれた着流しに襤褸ボロのような外套インバネスを羽織った青年は「むぅ」と唸った。


ぬしら……」


 伊之助は自身と雄一郎の間に立ちはだかる偉丈夫いじょうふ……この慶永にあって甲冑に身を包んだ男の背を見る。


せつやなぎ家が花守、景千代かげちよと申す。山郷伊之助殿、御無事であれば何より――して、御影殿」


「ああ。百鬼なきり殿のげんの通りだったな。肉親を貶めるなど、下劣の極み」


「伊之助殿はお下がりを。斯様かようなお役目、御身の心に疵をつけるばかりでしょう。どうか拙にお譲り下さります様」


「私は自信がない……」


「御影殿」


「いやさ弱音よ、うん。……これが武者震いというやつか」


 いや参った参った、と小太刀を握り直す瑞己。



 ――かくて役者は揃い、二人のさぶらいしるしを得んと、どちらともなく踏み込んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る