〈恋獄〉
経過した時間はそのままに、人の営みという成分だけが蒸発したような町並み。
――こう成ってしまえば、生者の方が異物だ。
霊魔を斬り伏せた時に起こる魂の〈穢れ〉どころではない、此処が
加えて
戦国の世でもあるまいに、刀を
「つーうーさーん……!」
笑みを浮かべる山郷
「
利き手を潰された椿の、呟きのような号令に従って百鬼の一門が迎撃する。
当主がそうしたように、二人一組で一人の〈人魔〉の首を落としては路を拓く。
「――――――」
その、あまりに血の通わない光景に声を失ったのは、果たして誰か。思わず動きの固まった初雨を尻目に、椿は後ろを振り返ってはため息を吐いた。
「……
怪異の類は
「一ツであれば
本命を無視し、独白めいた言葉と共に向けた足は、動けずにいる
神鷹の前には、一体の人型が立っている。
それが神鷹の目にどう映っているか、椿には推察するまでもなかった。
/
違う。これは違うと神鷹の理性と本能は否定する。それでもこの瞳に映ったその姿に、どうして刃を向けられるものか。
「…………
目の前の少女は、最後に見た日のままの、
違う。七香は死んだ。死んでしまった。もうこの世にはいない。
「七香、僕は――」
少女の像が歩み寄って来る。退く事も迎え撃つこともできずに、その場に立ったまま、伸ばされた両手がその頬に触れる刹那――
「……百も斬って落とせば、もはや人で無し。鬼と呼ぶしかなくなったのさ」
微笑みをその
「椿……」
「
神気の乗った一刀に転がった頭と、首の断面から黒煙のように消えて逝く。
「此処で刃を振るえないっつーならそれでも良い。適材適所で、百鬼はこういう時の為に血を重ねてきたようなもんだからな。残りの
「つうさんッッ! あーしを見てよッッ!!」
「ッ、椿様……!」
初雨の背から伸びた何本もの腕が、ともすれば求めるように伸び、絡み合い、一匹の大蛇の姿となって椿の背へと大口を開けて噛み付く。
「うっせぇ、ちと待ってろ」
それを、振り向きざまに突き立てた〈
まな板の鰻のように
「君に……」
「ぁン?」
「君に、何が解るっていうんだ……!」
握り締めた〈
「七香を喪った僕の、才なんて持っていない僕の何が、椿に解るんだ……!」
――それは、この地獄に在って初めて
なんだそんなことか、と椿はため息を吐き。
「ンなもんこれっぽっちも解るわきゃ無ェだろうが」
莫ッ迦じゃねェのおまえ、と心底呆れたように口にした。
持たざる者の
「おまえがどれだけ七香くんを大事に想っていたかなんて、横にいただけのおれには解らんし、才無しと断じられたおまえがした苦労がどれだけのもんかも解らん。おれには慕情を抱くような女も居ねェし霊魔を狩るためにした努力っつーのも無ェからな。ただ――」
椿はその蟲のように温度の無い眼を眩しそうに細めて、悔しさの滲む幼馴染の顔を見た。
「ただ、おまえの掌が
神鷹が顔を上げる。椿は困ったように笑っていた。
「僕は――」
その語らいを見守るほど、霊魔たちは道理が通じる相手ではない。未だ
「……ごめんよ、椿。随分と待たせたみたいだ」
「おまえの
――朝霞神鷹の手にある、〈無銘〉の刃に他ならない。
「さて……こっちも待たせちまったな、ウメ公」
薄氷を引き抜き、ずるりと戻った蛇の先――山郷初雨に椿は顔を向けた。
「そのあだ名やめてって言ったじゃん、つーさん」
不服げに顔を歪ませる初雨はけれど、次には嬉しそうに
「ぶっちゃけヨユーっぽいけど、じんよーサマに
「……あァ」
それは、肯定の頷きではない。得心がいっただけだ。
幼き日から変わらず、自分を乗せて続くこの世界を捨てると言ったこの娘とは、交わる心がないと。
その感情。たった一ツの願望で作り上げたこの
一門により拓かれた血路。膳立てられたその路を進む椿の耳が、断絶されたままの霊子通信から零れた声を拾った。
『……ーカ! しっかりしろ、トーカ!』
瘴気により阻害されているはずの通信に乗る声は男のものだ。ザザザザザと走り続ける雑音の中で何故か鮮明なそれを、かつて椿は一度だけ聞いたことがあった。
「……この声、
『ッ!? 俺の声が聞こえるのか――そうか、山郷が幽世と繋がったからか! 君は百鬼の、ツバキだな? ハルユキが世話になった』
「世辞も挨拶もしてる場合じゃねェだろ。それに春雪にした世話なんざ無ェよ。お前さんの声が聞こえるとか
〈迫間の退き口〉にて、椿たち百鬼は一人の花守を助けることはできず、一本の刀を形見として桜路に持ち帰った。
霧原家の刀霊〈霧渡り〉はその特性上、霊力の
その〈霧渡り〉は今、たったひとり生き残った霧原
「……なんとか霧原にお前さんの声が届けば、状況を覆せるンだが……」
『それはトーカには酷な事態なんだが……っと!』
殺到する異形の列をかわし、初雨の下へと進む椿。
光明は見えた。だがそれは垂らされた蜘蛛の糸よりも儚く、掴みどころのない霧のようなものであった。
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