初雨
冬の日は短い。傾き始めた夕京の、
「百鬼様」
「
右の腰に差した大小。
「……また、往かれるのですね」
「なンだ、おれの心配をしてくれるのか。優しいお嬢さんだぜ」
「なっ……そんなの、」
当たり前だ、とも。見当違いだ、とも。どちらの答えも喉に
「……
言い訳のように、その名を口にした。
「だろうな。アイツはアイツで頑固者だ、後ろに控えてどんと構える、なんてことは性根から無理だろうし」
教わるわけでもなく、百鬼椿にとって朝霞
ちくり、と胸を刺した小さな痛みは、だから何に起因しているのかを少女は理解できない。だから、
「はい。……百鬼様、朝霞様をどうか、よろしくお願いします」
真実である筈の願いを、頭を下げて乞う。
――奪われ続けてきた杏李にはもう、神鷹しか
産まれ育った深山の家は、自身を閉じ込める広大な檻のようで。今や〈
変わらないあたたかさをくれるのは、神鷹しか残されていなかった。
「……気に入らンな」
思わず出たであろうその言葉に、杏李は顔を上げる。言葉の通りに、椿が不機嫌さを隠そうともしない
「お前さんくらいの歳の娘がしていい面でも、願いでもない。もっと
それを誰と重ねた言葉なのか、杏李には解らず。そもそもにして椿の口にした願望そのものが、
――だから、椿はそれが気に食わない。
「深山の。おれが前線で戦うのも、神鷹が前線で戦うのも、おれがアレを放って置かんのも勘定の内だ。他にもっと無ェのか。往きたい場所だとか、見たいモノとかさ」
「見たい……もの……」
多くが浮かび、悩むのではない。たった一ツを浮かばせることさえ、この少女には願いが足りていない。
「……花火を、」
ややあって、杏李はそっと、赦しを乞うようにその『願い』を口にした。
「花火を、見てみたいです。少し前に、一度だけ見たことがあって。きれい、だったので」
「……………
椿が踏み出す。白手袋の
「ンなもん、生きてりゃこの先
ぐしゃり、と乱暴に撫でて通り過ぎた。布に阻まれて、その向こうの掌の温度は感じられない。
/
百鬼の一門が山郷の屋敷に出向いたのは夜が明けてからだった。禁止令の通り、霊魔は夜が最も活発になる。手土産に
「椿、お疲れさま」
「応。作戦は決まったかい」
「うん、他に
「…………オマエな」
何で嬉しそうにしてンだよ、
「だってさ、やっと椿と一緒に前線で戦える。肩を並べて。不謹慎かもしれないけど、僕にはやっぱり意味が大きい」
「本当に不謹慎だわ。それより神鷹、気づいたか?」
「うん。確かに急いだけど山郷の損害が少ない。山郷殿はやっぱり機を見るに
そう。壊滅しかかってからの救援要請では遅い。その前に戦力の補強を図った山郷家当主は、それまで平穏を保っていた夕京において戦上手であったことを知らしめた。
「それに〈異人隊〉、か。質はまだ解らンが、数で頼めるっつーのはやっぱデカいよな」
花守はそもそもにして絶対数が少ない。日ノ国全土を見ても百家あるかどうかだろう。その中で〈霊境崩壊〉を耐え抜いた夕京の花守に、今上天皇
或いは、病魔に侵された身体の免疫のように――この世界の崩された
山郷伊之助はそんな外国人たちを纏め上げ、花守として刀霊憑きの刀を与え、訓練を施し、戦力として加えた。その真価が
「つーうーさーんっ!」
火を点けようと
腰を上げかけた椿に、
「おっま、いきなり何すンだ」
容赦の無さはどちらも、といったところ。椿の腰に抱き付こうとしたその女の顔を右手で押しのけ、回されようとした両腕のうち、右手の手首を掴んで封殺する。
「うえぇ、つーさんヒドい! せっかく逢いに来てくれたんだからもっと熱烈にこう、ハグっと抱きしめてくれてもいいじゃないさ!」
「お前さんに逢いに来たわけじゃ無ェわ。山郷の姫君がはしたねェ真似するんじゃありません」
「さらにヒドい! じんよーサマも何とか言ってくださいよー!」
「ええと……そういうのは人目を
「えぇー。揃いも揃ってカタいなぁ。あーしがどれだけつーさんに焦がれていたかを御存知ない? 恋する乙女を
「相ッ変わらず口が軽ィ娘だなオイ。乙女だったら裾を気にしろ」
「なァに、つーさん。あーしの魅惑の
百鬼椿のデコピンが、伊之助の孫娘――山郷
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます