初雨


 冬の日は短い。傾き始めた夕京の、榎坂えのざか花霞かすみ邸から北東に位置する山郷さんごうへと一門を引き連れて向かう百鬼なきり椿つばきの足は一度、廊下で止まった。


「百鬼様」


深山みやまの。どうかしたかい」


 右の腰に差した大小。けがれを受け止めると言われている外套インバネス。洋装の隊服は全体的に黒く、後ろに控える、当主と同じように(あるいは意図的に)表情を消した一門の姿は葬列を思わせて。心に浮かんだ不穏を、深山杏李あんりはふるりと首を振って払う。見上げた椿の表情は、いつも通りだった。


「……また、往かれるのですね」


「なンだ、おれの心配をしてくれるのか。優しいお嬢さんだぜ」


「なっ……そんなの、」


 当たり前だ、とも。見当違いだ、とも。どちらの答えも喉につかえて、その口から出ることはなかった。だから、


「……朝霞あさか様も、出られるのでしょうか……」


 、その名を口にした。


「だろうな。アイツはアイツで頑固者だ、後ろに控えてどんと構える、なんてことは性根から無理だろうし」


 いやになるね? と椿は……少し諧謔かいぎゃく気味で、哀しさを持った笑みを浮かべた。


 教わるわけでもなく、百鬼椿にとって朝霞神鷹じんようは喪いたくない人物であろうことは、杏李にも解っていた。言われずとも自分にとって大事な人物であることも、理解していた。


 ちくり、と胸を刺した小さな痛みは、だから何に起因しているのかを少女は理解できない。だから、


「はい。……百鬼様、朝霞様をどうか、よろしくお願いします」


 真実である筈の願いを、頭を下げて乞う。


 ――奪われ続けてきた杏李にはもう、神鷹しかどころが無い。


 産まれ育った深山の家は、自身を閉じ込める広大な檻のようで。今や〈幽世かくりよ〉へと堕ちた其処そこは、そもそもにして安住の地などではなかった。傷を負い、それでも生き残り与えられたこの花霞邸で、キズを負いながらも命を懸けて夕京を取り戻そうと奔走する花守たちを――実感も共感も覚えることが出来ない程に彼らを――ただ待つことが、まるでへの罰であるかのように少女をさいなむ。


 変わらないあたたかさをくれるのは、神鷹しか残されていなかった。


「……気に入らンな」


 思わず出たであろうその言葉に、杏李は顔を上げる。言葉の通りに、椿が不機嫌さを隠そうともしないかおで見下ろしていた。


「お前さんくらいの歳の娘がしていい面でも、願いでもない。もっと流行はやりの服だとか、話題の歌劇だとか、食い物だとか、懸想けそうした男のことだとかで悩むべきなンだよ、本当は」


 それをと重ねた言葉なのか、杏李には解らず。そもそもにして椿の口にした願望そのものが、すべて杏李には遠い、星のように遠い出来事のようだった。


 ――だから、椿


「深山の。おれが前線で戦うのも、神鷹が前線で戦うのも、おれがアレを放って置かんのもだ。他にもっと無ェのか。往きたい場所だとか、見たいモノとかさ」


「見たい……もの……」


 多くが浮かび、悩むのではない。たった一ツを浮かばせることさえ、この少女には願いが足りていない。


「……花火を、」


 ややあって、杏李はそっと、赦しを乞うようにその『願い』を口にした。


「花火を、見てみたいです。に、一度だけ見たことがあって。きれい、だったので」


「……………


 椿が踏み出す。白手袋のはまった手が伸びる。反射的にびくりと肩を震わせうつむく杏李の頭を、


「ンなもん、生きてりゃこの先いくらでもられる。だいたい、花火っつーのは夏に観るもんだ」


 ぐしゃり、と乱暴に撫でて通り過ぎた。布に阻まれて、その向こうの掌の温度は感じられない。


 ひとでなしの葬列は振り返らずに門へと向かう。振り返った杏李は立ち尽くしたまま、それを見送った。



 /


 百鬼の一門が山郷の屋敷に出向いたのは夜が明けてからだった。禁止令の通り、霊魔は夜が最も活発になる。手土産に神守かんもりから境界を踏み越えんとしていたを一掃し、前線に出ていた山郷区の花守たちに休息と驚嘆を与えた後、身を改めて当主・山郷伊之助いのすけへと挨拶。一門へと貸し出された屋敷の大部屋で各自が次のイクサに備え、刀や衣服、持ち物の確認をしていたところへ、半日遅れで朝霞神鷹が現われた。


「椿、お疲れさま」


「応。作戦は決まったかい」


「うん、他にりようがないけど迫間はざまと神守への二面戦だね。司令は榎坂からいつも通り。神守へは桜路おうじ経由で麗華れいかさん率いるかこい家が応援。迫間方面はで押し返すことになったよ」


「…………オマエな」


 何で嬉しそうにしてンだよ、紙巻タバコを銜えながらジト目で神鷹を見る椿。


「だってさ、やっと椿と一緒に前線で戦える。肩を並べて。不謹慎かもしれないけど、僕にはやっぱり意味が大きい」


「本当に不謹慎だわ。それより神鷹、か?」


「うん。確かに急いだけど。山郷殿はやっぱり機を見るにさとい、というか……上手だね」


 そう。壊滅しかかってからの救援要請では遅い。前に戦力の補強を図った山郷家当主は、それまで平穏を保っていた夕京において戦上手であったことを知らしめた。


「それに〈異人隊〉、か。質はまだ解らンが、数で頼めるっつーのはやっぱデカいよな」


 花守はそもそもにして絶対数が少ない。日ノ国全土を見ても百家あるかどうかだろう。その中で〈霊境崩壊〉を耐え抜いた夕京の花守に、今上天皇依花よるかの令で参じた者たちがだ。


 或いは、病魔に侵された身体の免疫のように――この世界の崩された均衡きんこうに抗うかのように、新たに花守としてした者もいた。それは日ノ国の民だけでなく……文明開化の延寿えんじゅからこの国に移住し、共に生きてきた舶来の人々の中にも在った。


 山郷伊之助はそんな外国人たちを纏め上げ、花守として刀霊憑きの刀を与え、訓練を施し、戦力として加えた。その真価が如何程いかほどであるかが解るのは、この先に控える大戦サである。


「つーうーさーんっ!」


 火を点けようと燐寸マッチを持った椿の手がしかし、唐突に開いたふすまからの不意打ちで阻害される。


 腰を上げかけた椿に、ヒョウさながらのしなやかさで飛び込む影。ざわ、と周囲が驚きに染まり、中には腰の刀に手をかける者も居た。


「おっま、いきなり何すンだ」


 容赦の無さはどちらも、といったところ。椿の腰に抱き付こうとしたその女の顔を右手で押しのけ、回されようとした両腕のうち、右手の手首を掴んで封殺する。


「うえぇ、ヒドい! せっかく逢いに来てくれたんだからもっと熱烈にこう、ハグっと抱きしめてくれてもいいじゃないさ!」


「お前さんに逢いに来たわけじゃ無ェわ。がはしたねェ真似するんじゃありません」


「さらにヒドい! じんよーサマも何とか言ってくださいよー!」


「ええと……そういうのは人目をはばかるべき、かな? その辺にしておこうか、初雨うめ殿」


「えぇー。揃いも揃ってカタいなぁ。あーしがどれだけつーさんに焦がれていたかを御存知ない? 恋する乙女をないがしろにするとバチが当たりますよーだ!」


「相ッ変わらず口が軽ィ娘だなオイ。乙女だったら裾を気にしろ」


「なァに、つーさん。あーしの魅惑の生足ナマアシ、もっと見た、あ痛っ!?」


 百鬼椿のデコピンが、伊之助の孫娘――山郷初雨うめの額をしたたかに打った。


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