飾織は赤。


 音を吸うような雨の日の、静かな昼下がりだった。榎坂えのざか区の商店街を、蝙蝠傘こうもりがさを差した青年が歩いている。


〈霊境崩壊〉の憂き目に遭った中で、被害を最小限に留めた地区は生憎あいにくの雨天にあっても活気づいていた。……それが、すぐそばまでにじり寄って来ている恐怖を払拭ふっしょくするかのような、空元気に近いモノであったとしても。民草の目に生気があるのは良いことなのだろう、とそれをよろこぶ誰かの顔を思い浮かべては道を進む。


 人通りの多い中を歩く彼は慶永けいえいの時代にやや珍しい、英国式の礼服スーツに身を包んでいた。それが行き交う人々の視線に時折まる。傘の影に隠れているせいで顔はうかがえないが、日ノ国の民を象徴する、濡羽ぬれば色の髪が歩みに合わせて揺れている。


 独り歩く彼は、ふと最後にこの商店街に足を運んだ時の事を思い出していた。


 あれからまだ、半年と経っていない。その時は二人で、晴れた日の下で、何か他愛のない話でもしながら、だったと思う。


 目的地は同じだった。店内の商品が硝子ガラス越しに飾られている、洋風仕立ての雑貨屋。


 傘を畳み、艶のある柿木かきぎドアを開けると、上部に備え付けられた錫鈴カウベルがカランコロンと唄い、客の来訪を告げた。


「いらっしゃいませ――まぁあの時の! お元気でしたか! 良かったぁ……ささ、中へどうぞ!」


 出迎えた女給姿の店員の、驚きの後の咲くような笑顔。その反応は予想できたものだった。


 ――いまを生きている誰しも。自分が見てきた顔の幾つかは、もう見る事はないのだと認めざるを得ない状況なのだ。……自分の顔を覚えられていたことだけは、少し意外ではあったが。


「……ええと、本日はお一人、でしょうか」


 その、知っているのは客としての顔くらいで。名前も知らない相手の事に踏み込むのは不躾であると解っていながらも、その連れ合いの安否がどうしても気になって出てしまった問いの言葉に、青年は、



「ン……あぁ、心配せんでも連れは元気でやっているよ。今日はおれだけの用事で買い物に来たンだ」


 ――百鬼なきり椿つばきは表情を変えずに、声色だけをやわらかくして答えた。



 /


 霊境崩壊が起こるより前の、ある日の話だ。


『椿、椿どうしよう……僕は彼女に、七香なのかに贈り物をしたいんだ。だけど彼女が何を喜ぶのか解らないんだよ』


『……おれは『朝霞あさか家当主神鷹じんよう殿より、急を要する事案有り』っつー報を受けて百鬼家当主として、このおまえンまで来たってのに内容がソレでびっくりだよ』


 確かに幼い頃、人前で無様を晒すなというたぐいのことを言ったりはしたが。この朝霞神鷹という男は公私を。人前に出せば誰にはばかることのない、〈夕京五家〉の若き当主だが……自室に椿を呼んだ、今のような私的な場ではである。


 ……幼馴染の成長や、婚約者との相性に問題がない事を喜ぶべきか否か。椿はほぼ自分専用となっている灰皿に、紙巻タバコすべて灰になって落ちるまでの時間を使ってからようやく口を開いた。


『つーか年頃の女子おなごに贈る物の相談をおれにする時点で間違ってると思うンだが。オマエのとこに若ェ連中なら幾らでも居るじゃあねェか』


『だっ駄目だよそんなのは! 朝霞の当主がそんなみっともないこと出来るわけないだろう!』


『絶妙に体裁ていさいの取り方を履き違えてやがる。……あのなぁ、神鷹』


 椿はさとすように神鷹へと告げた。


 ず、百鬼椿の専門は霊魔を狩ることであって、そういうコトに特別の明るさを持ってなどいないということ。


 いで、朝霞神鷹の婚約者……深山みやま七香は椿から見ても神鷹に好意を抱いているということ。


 それから、それが何であれ神鷹が七香のことを想って選んだ物であるのなら、喜びこそすれ決して嫌がりなどしないだろうということ。


 なぜだか否定する部分を見出せない強い確信を持って告げられたこの三つを聞く間に、朝霞家当主の表情は三度変わった。


 本当はもうひとつあったのだが、それは胸のうちに秘めたまま、おそらく告げることはないだろう。


 軽いどころではない、正真正銘の既視感デジャ・ヴ


 神鷹は納得した。椿にとっては当たり前である。確かな裏づけに基づいた言葉だったのだから。



 ――つい先週、当の朝霞神鷹の婚約者に、もありなん、といった具合である。


 好意を伝えることに控えめそんなところまで似通うこともなかろうに、と二本目の紙巻を吸いながら、椿はそんな風に思っていた。


 話は終わりだな、武運長久ぶうんちょうきゅうを祈ってるぜ朝霞殿。しからば御免。


 あいや待たれよ百鬼殿、まだ終わってはござらん。これより先は大戦オオイクサにて。どうか共に駆けてはくれまいか。



 要約すると。帰ろうとした椿を『やっぱり不安だから椿も一緒に選んでくれ!』という幼馴染の手を振り切れず、半ば以上の諦観をってそれを受け入れた椿は、朝霞区では都合が悪いと言われ、わざわざ足を榎坂まで伸ばしてのこの雑貨屋で更に一刻以上の時を使い、七香への贈り物を選ぶ神鷹に付き合ったのだった。



 /


 あの時、神鷹が選んだかんざしのあった場所には、今は意匠いしょうの違う簪が置かれている。


「それで、首尾の方は如何いかがでしたか?」


 女性店員はかつて訪れた、この客の連れ合いは今も元気だと聞いて嬉しそうにを尋ねてきた。


「直接聞いたわけじゃあないが、その後に相手の方に会う機会があってね。きちんと髪に挿していたから成果は上々と言ったところだろうさ。あン時は世話ァかけたなお嬢さん。たった一品で一刻も粘るのは上客じゃあなかろうよ」


 いえいえそんな、と笑う顔に想う。


「本当はお連れ様の最初におっしゃった『この棚の全部を』は少し惜しいと思いましたけれど」


「おっと、それを止めた側としては耳が痛ェな。バツが悪ィことにおれもおれで、今日はひとつふたつしか買う予定がないンだ」


 場を和ませるような軽口を投げては返す。


 ……結末はこうして話した。は、もう知らせずとも良いだろう。


「それで、お客様も贈り物を?」


「あぁ」


「お相手は女性でしょうか」


「まぁ、だろうな」


「ふふ。それは少し、妬けちゃいますね」


「そうかい? ……よし、これと、これにしてくれ」


「あらお早い」


「決断の早い男は減点かい?」


「いいえ、素敵でございますとも!」



 またのお越しを! という声を背に受けて扉を開ける。長居はしなかったが、それでも雨は上がっていた。見上げる空に探せど、虹は見つかることもなく。


 傘は畳んだまま、今の住処へと足を向ける。あの時は朝霞へ戻り、泊まりの誘いを断って迫間はざまにある屋敷へとそのまま帰ったのだった。けれど今回は同じ榎坂、花霞かすみ邸が椿の――〈花守〉たちの拠点だ。日が暮れるよりもずっと早く、辿り着くのだろう。



 /


 自室に戻る直前。椿は廊下を通る朝霞杏李あんりと鉢合わせた。椿の、花守とは違った洋装スーツ姿が珍しいのか、普段のけんのある表情はなりを潜め、立ち止まってほうと見上げている。


、手ェ出せ」


「?」


 言われるがままに差し出された杏李の手に、雑貨屋で買ったうちの一ツをぽんと落としてすれ違う。


「あ、あの、百鬼様……これは?」


「眠りが浅いっつってたろ、そんだけだ」


 匂い袋を手に乗せたままの、きょとんとする少女をそのまま置き去りにして、歩む速度も変えずに部屋へと戻る。



 /


(戻ったか。)


「あぁ」


 首帯タイをしゅるりと外し、上着を壁にかけながら己の刀霊――〈そそぎ〉との短いやり取り。


(おかえり。)


「あぁ、ただいま」


 それはもう一振りが相手でも同じで、椿は椅子に座ると伸ばした手で脇差の柄を握って寄せた。


(?)


 どうせすぐ使うと言ったのに何故か丁寧に包装されてしまった封を口で開け、取り出した赤をその柄の、鍔の真下へと結びつける。


(つばき、これは?)


「いつだったか、赤が好きだと言ってたろう」


 脇差の刀霊〈薄氷うすらい〉は、しばらく自分に巻かれた赤い飾織リボンを不思議そうに眺めて。


『……うん。赤い色は、すきだ。ありがとう、つばき』


 秋はもう終わる。


 これより先、十二月の日ノ国帝都夕京は激動を迎える。


 天皇依花よるかの暗殺未遂事件を、〈山郷さんごう戦〉と呼ばれる慶永六年最後の大乱に彼らは挑む。


 これは、それよりも少しだけ前。十月の終わりにあった、人目を喜ばせるためでなくひっそりと夜に咲く花に似た一幕。





 /或いは、仙人掌サボテンのような

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