鰊に月見、油揚げ


〈霊魔〉は何処いずこより現われるのか。無論〈幽世かくりよ〉だ。


 では〈霊魔〉は何処に潜むのか。それは――


「っし。こんなもんだろう。〈薄氷うすらい〉、は無ェな?」


 既に二本を右の腰に戻した百鬼なきり椿つばきはその内の一本……脇差の〈薄氷〉に気配の探知をさせる。


(ん……ない。もう此処ここに霊魔は、居ない。)


「ぃ良し、ンじゃあ今日はここまでだな」


 くわえた紙巻タバコに火をともし、紫煙を一つ吐いてから椿はきびすを返した。


 ――たとえばこの、夕日が沈む姿を望める丘の上の神社はいきょのように。他にも地下道だとか路地裏だとか、〈霊境崩壊〉にり遺棄された学舎であるとか。現世に来てしまった霊魔たちはこういった……の吹きまる場所に、好んで留まる。


「……ま、こんなのは昔っから変わらんけどな。何もこの霊災が起こってからそうなった、ってわけでもない」


 隣り合う此岸こちら彼岸あちら。元々、物理的にその境界が存在しているモノでもない。とても曖昧あいまいだったそのほつれたことも、日ノ国の歴史において一度や二度ではない、と椿は崩れた石造りの――潜るいみを失った――鳥居を抜けながら言葉に出す。独白めいてはいたが、きちんとそれを訊いて、聞いていた者がその後ろに続く。


「つーか、今更おれがンなことを改めて言わんでも教えてくれそうなのがすぐ近くに居るじゃあねェか。お前さんたちはそんなに無口とも思わンのだが」


 石段を降りながら、椿は振り返る。見上げるかたちになったその視線の先で、ふたりの〈花守〉はそれぞれ頬を掻く、視線を逸らすなどした。


「それが、私のは『幽世から直々に来た霊魔は違うかもしれない』って言う、んですよ。たはは」


「俺の場合は、『折角だから同じ花守に訊け』と、なにやら面白がっていて」


 そんな返答を聞いた椿は溜息を混ぜた紫煙を吐き出し、また石段を下る。


「……ま、も居たら個性もある、か。神っつーのは永くる分、クセが強ェ性格の連中が多い。妙な手間を増やされるのは好みじゃあねェンだが……」


 やれやれだ、と歩を進める椿に追いつくように少女――ひし千利せんりはとんとんとん、と一段飛ばしで降り。青年――かつら司暮しぐれは速度を変えずにその後ろに続く。


「まぁまぁまぁ、朝霞あさかの大将さんが言ってましたよ? 百鬼の兄さんは夕京の花守でも殊更ことさら霊魔にお詳しい、って」


「確かに。今日の異形も、見た事のないモノばかりだったが、百鬼殿は慣れた様子で斬っていた。……手馴れる程に、知っているということだろう」


「つっても座学を開くなンざいよいよおれの仕事じゃねェし、そんな悠長なコトしてもられねえ現状だっつーのはお前さん達も知るところだろうに」


「それじゃあ」


 ととん、と椿を追い抜き最後を飛び降りた千利は広がる道を背に、後ろ手を組んだ格好で腰を折って椿と司暮を見上げて、にっと笑った。短く揃えた髪が夜を混ぜた風に揺れる。


「晩御飯ついでに、ちょっとだけでも教えてくださいよ」


「――これまた食い気の遠ざかる話題を持ち出したな、菱


のお嬢さん」


 本当にそんなんで良いのか、と怪訝けげんそうにする椿と、


「それは、良い案だと思う」


 うなづく司暮。


 神鷹じんようの奴には後で何かしらのツケを払わせよう、と椿は思い――


「それで、おすすめのお店とかあります? 何しろ私、夕京は初めてで……」


「……蕎麦そば屋で良いなら榎坂えのざかまで戻るついでの桜路おうじにある。わざわざ遠回りで店に寄るってのは御免だよ」


 観念した様子に二人は二人なりの笑みをこぼしたのであった。


 ――椿としても、無碍むげにできない。いくら百鬼と言えど、単独で霊魔のすべてをほふり切れるとは思っていないし、そのことは既にだった。今上天皇依花よるかの令に馳せ散じた花守たちの全部が、自分の家ナキリのように霊魔を殺すことを日常としてきたわけでないことも承知している。だから、しっかりとした時間があれば自分でない別の誰かが霊魔の知識を教授する、という事は大いに結構だと思っているし、そんなことをしてもいられない現状だというのも本当で。


 知識と経験があると無いとでは、生き残ることに対しての結果が全然違う。それは花守としての才覚より重要だとも、理解していた。


 なにより。


(――。)


 その言葉はカタチにならず、紙巻と一緒に放って捨てられた。



 /


 暖簾のれんを背に、屋台の長椅子に座る三人の前に湯気を上げる椀が並んだ。


 仲良く行儀良く手を合わせ『いただきます』と唱和し箸を取る。


「…………なんか、ヘンなの」


 月見蕎麦の黄身に箸を入れていた千利が、思い出したかのように口をこぼした。


「変、とは」


「や、さっきまで私ら、霊魔と殺し合いしとったやないですか。それなのに日が暮れたらこうして三人でお蕎麦屋さんで晩御飯しとるって、なんか」


「……あぁ」


「おれは菱のお嬢さんの口調が砕けたことにびっくりだわ」


「……あぁ」


「ちょちょちょ、なんや急に恥ずかしくなってきてもうた! 百鬼の兄さんやめて!?」


「別に出自を気にする者はいないと思うが……」


 と言ってからきつね蕎麦の油揚げを避けつつすする司暮と、言うだけ言って蕎麦の上に鎮座するニシンの切り身を二つに割る椿。


「伸びても知らンぞおれは」


「え、なん? 私がおかしいんこれ?」


 納得いかへんと頬を膨らませながら、少女もとりあえず食事に戻った。




「……さっきのお嬢さんの気分だがな」


 やがてさっさと自分の分を食べ終えた椿は『御馳走さまでした』と手を合わせ、出された緑茶を一口飲み込んでから話を戻す。


「遠征じゃないから、っつえば解るかな。……で盛大にやり合っているが、同じ夕京の中でのイクサだからだよ。桜路から三里も離れれば地獄に辿り着く、やたらと短い黄泉路よみじの往復だ。ま、それだけキワっつーことでもあるンだが」


 そう。この現状が――現世うつしよ幽世かくりよと思わされるこの現状が、たとえ瘴気を浴びずともヒトの心を蝕んでいく。


「――けれど、貴方は。どういった人生を送ればそうなるのか、俺には見当も付かない」


『ほ、ほ。でなければ鬼のあざをひとつでなく百も冠したりはせんじゃろ』


「……〈香擁かよう〉」


 最後まで司暮の椀に残っていた――それを「なんでやろ」と千利は思っていた――油揚げがスッと消える。


 背にした暖簾がであるかのように、摘んだ油揚げをぱくりと食べる、神なるモノ。


 華風かふうの衣に身を包んだ狐人きつねびとの刀霊が、くつくつと喉を鳴らして背中越しに笑っている。


『百鬼殿が主と良くしてくれて嬉しいの。早死にせんで済みそう』


「そりゃあどうも。桂家の刀霊にそう言われたンならちったあ甲斐かいもあるさ。ウチの薄氷とも仲良くしてやってくれ。コイツ知己が少ねェからな」


 合わせたような軽口に、隣にあらわれた童女の刀霊がむ、と口の端を曲げた。


『……つばき』


「折角に生きてンだ。おまえも少しくらいそういうのを覚えた方がいいのさ」


 言って席を立つ。その背を追うように千利が暖簾を分けて声をかける。


「あの、百鬼の兄さん。今日はほんまにありがとうございました!」


 椿は去ろうとした脚を止め、紙巻を銜えて顔を向けた。


「…………椿でいい」


「う、え?」


「いや、の感傷だ。忘れてくれ」


 くゆる紫煙に何を視たのか。目を細めた千利は、そっと微笑み――


「……ほんなら、これからもよろしゅうお願いします、椿


 遠ざかる足音は一人分。


 それは、どこか同じ洋靴ブーツの靴音をいたむような響きだった。

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