三寸


 ――幼い瞳が此方こちらを見上げている。しばし見つめ合った後、椿つばきは視線を切って長い溜息ためいきをついた。


「あの、御迷惑、だったでしょうか……百鬼なきりさま」


「いや……」


 少女の名は宗方むなかた鹿立すだちよわい十二の、である。……時勢を見れば、珍しい話でもない。若くしてと云うにも若すぎる歳で家督を継ぐことになった花守は、この夕京に何人でもいる。それほどに〈霊境崩壊〉の爪痕は酷いものだった。それだけの話だ。


「お前さんが悪いわけでもない」


 相手は子どもだが、自分とてきちんと大人になりきれていないのだろう、と。椿は不機嫌の理由はこの少女に無いと明言しておきながら、不機嫌であることを隠しきれなかった自分の至らなさをそっとじ。


「よりにもよって、おれなんぞに任すことにしたが悪い。……往くか」


「は、はい……」


 揃って花霞かすみ邸の門を出る。鹿立も花守で、腰には大小二本をいている。その姿を不恰好であるだとか、似合わないだとかは当の椿が持って良い感想ではなかった。変わらない不文律。霊魔は花守にしか狩れず、花守と刀霊の宿る刀剣はあわせなければ霊魔を討てないのだし。


 ――椿本人も同じ歳の時に、同じように長大な刀を佩いて歩いていたのだし。


 はなはだ不本意というよりも、相応しくないと思っているのは言葉の通り、彼女に対してではない。


〈夕京五家〉の内二ツの当主と、花守隊の参謀から直々の指令でなければいつものように断っていた案件だ。


「ったく、何を考えてやがるンだか……」


 現在の夕京、花守隊の本陣である榎坂えのざかはそうでなければ困るがだ。結界はとどこおりなく作用しているし、三里先が戦サ場であることを忘れてしまうくらいに活気がある。店屋の類も当たり前に開いていて、往来の人々はその多くが――花守という職の希少さをみれば当たり前に――普通の、日ノ国の住人だ。


 そんな榎坂の見回りをしろ、という今日の任務だけでも首を傾げて然るべきなのに、五家当主、朝霞あさか神鷹じんようかこい麗華れいかはその同伴としてこの宗方鹿立という少女を任命した。鹿立と面識がないわけでもないが、宗方家と懇意こんいにしていたのは朝霞家であり、この幼い花守と普段接しているのは神鷹で、その現在の朝霞家の当主と言えば遠出をするのでその間の面倒を見ろ、ということらしい。


『椿なら安心だから』


が言うなら椿にお任せするわ』


 おおやけの場でない打ち合わせで、幼馴染と馴染みの婆はそんな風にのたまい、権力を私情で振るったというわけだ。


 ――不本意、というのであれば。今日の仕事が前線に出るのことではなく榎坂の見回りを任されてしまったことに尽きる。椿は別段、戦闘狂というわけではない。霊魔を討つのが日常だが、。ただ、百鬼は突出した一門だ。


(……薄氷うすらいの気持ちがちったあ解るな、これは。)


 知らず、右手の乗せられた柄に、顕現していない童女の刀霊が首を傾げた気がした。


 大江おおえの通りを進む、普段よりも大分ゆっくりとした歩調は、三歩後ろをついて来る少女の歩幅に合わせてのことだ。その視線が先ほどから自分の背に刺さりっぱなしであることに、椿は今度こそ少女に由来する溜息をついて振り返る。


「……あのな、宗方の」


「は、はい」


「どうせ神鷹から『椿から目を離さないで欲しい』とでも言われたンだろうが、そりゃ便だ。ここんとこお前さんも忙しかったろうし、その歳の頃は色んなモンに目移りするのが普通の女子のすることだよ」


 その言葉に、鹿立は肩をぴくんと跳ねさせた。


「百鬼さまは、神兄じんにいさまが私におっしゃったことを、御存知だったのですか……?」


「まったくこれっぽっちも御存知じゃねェが予想は付いてる。大方アイツ、こう言ったンだろ? 『椿はすぐに無茶をするから、鹿立に椿を見ていて欲しい。できる?』とかさ」


「わ、一言一句たがいません! 百鬼さまは神通力じんつうりきをお持ちなのですか……?」


。アイツとの付き合いはお前さんが生まれるよりも前からなんだ、言いそうなことくらい解る。……だから便なンだよ」


 椿に鹿立を任せた理由と、鹿立を椿にてた理由はとどのつまり、同じだろうと椿は推測する。日ノ国の現況は逼迫ひっぱくしている。一日も早く、幽世かくりよからこの夕京全土を奪還しなければならないが、それを成すための花守は有限である――その、魂すらも。霊魔たちとの戦い、それも幽世に堕ちた地での戦闘は常に瘴気に心身を侵される。その末期が如何いかなるモノかは、今上天皇依花よるかの令がすべてを物語っている。この夕京に集結した花守たちは命を懸けて戦うが……その理由の幾つかに、が含まれている。それは椿にとっては遠い感情だったが。


 ともあれ、戦い抜くには休息も必要だ。前線に出続ける花守ならば尚更に。幼い花守ならば尚更に。そして神鷹も椿も、同じことをおそらく考えている。


「……ニンゲンってのはってわけじゃあ、なかろ。その歳で遠慮なンざ覚えても大人の方が立つ瀬なくなるっつーことだ」


 依花も、神鷹も、麗華も。……そして、椿も。


 勝ち取ったあかつきが『眩しいもの』であって欲しいと思っている。


「ま、連れ合いの歳がお前さんに合って無ェのはアイツらの落ち度だからおれを責めないでくれ。宗方の、」


 何食いたい? という椿の問いに、鹿立は視線を左右させた後……やはり、遠慮がちに、


「……洋菓子ケイク、というものを食べてみたい、です」


 と囁くように言った。


 ……さて。百鬼椿には本来こんな時にの希望に沿った案内を要領良くできるような知識は存在しない。存在しないが、頭の回る幼馴染というのは厄介で、前日に渡されたに都合良く茶店カフェが記されていたのを頭に入れてあったのだった。


(ま、神鷹アイツならこの嬢ちゃんの好きな物くらいは知ってるか。)


諒解りょうかいした、レディ。まずハズレにはならんだろうさ」


 言って、再び歩き出す。



 日は真天に昇ったばかり。歩幅はいつもより、三寸短く。


 急ぐことこそが無粋な道のりを、ふたりの花守はゆっくりと歩いて行った。


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