第参話【或ヒハ、仙人掌ノヤウナ】

ナキリ


 延寿えんじゅ十六年の冬に、彼は産声を上げた。


 迫間はざま守護の花守、百鬼なきり家後継ぎの誕生。当主である六十二代目椿つばきはたいそう喜び、抱き上げた赤子の首に走った、べからざる一筋を認め、その目をすがめた。


 百鬼の当主は、その座と共に代々『椿』を継承する習わしである。端的に言うのであれば、当主となる人物は二つの名を与えられる。この六十二代目がそうであるように。


『……そう。おまえの名は■■■だ――』


 春は遠く。帝都夕京ゆうきょうが雪化粧を纏った日の、夜のことである。


 ――あるいはそれは、それまでの剥奪はくだつされ、新たな鬼生じんせいを歩むことを宿命付けられた一門の呪い、かもしれなかった。



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 の誕生をよろこんだのは一門の者ばかりではない。この地の統括花守である〈夕京五家〉が一、迫間家の当主・賢一郎けんいちろうには世継よつぎがいなかった。そうでなくとも室町の頃から親交の途絶えたことのない両家だ、賢一郎は我が子のように彼を可愛がり、幼い彼もまた賢一郎を『親仁おやじどの』と呼び慕っていた。


 百鬼の屋敷は人は少ないが、声が途絶えることもなく。第二の実家と言っても過言ではない迫間家に出向く度に、やれ『また背が伸びたか』『き面構えになったなあ』とあたたかく迎えられ『親仁どの、おれはたけのこではありませぬ』と表情ひとつ変えずに返すことさえも笑って受け止められた。


 おおむね、その人生は順風満帆じゅんぷうまんぱんだったと言えよう。


 厳しくも愛を持って育ててくれた父母おや日毎夜毎ひごとよごとの成長を我が事のように慶ぶもうひとつの父母おや。彼は一日の多くを独りで過ごす事も少なくはなかったが、けっしてそれは真に孤独だったというわけでもない。


 ただひとつ。百鬼の人々と共に彼がこの世に生を授かった日から見守っていた、守護刀霊〈そそぎ〉は、彼の子どもらしからぬ心の在りようを、そっといたんでいた。


 たとえばそれは、うららかな陽の下。丸奈川まながわの河川敷に咲いた桜を眺めている時だとか。


 夏のはじまり。晴れ渡った七夕の夜など、思わず目を背けたくなってしまったほどに。


 どうすればよわいにして十に満たない子どもの心が、そうもしてしまえるのだろう、と。



 秋口。そっとささやくように聞こえた鈴虫の鳴き声に、幼い彼は言ったのだ。


『――ああ。これが  か』と。


 の、安堵あんどの溜め息だった。



 ――そして、かれの人生は終わはじまりを迎える。



 /


 夕京五家がそれぞれ、その血と霊力をって〈幽世かくりよ〉の滲出しんしゅつを防いでいる霊脈の一ツ、迫間霊脈の在るドウの入り口には百鬼の一門と、迫間家の精鋭が揃っていた。松明たいまつの灯りと、それが浮き彫りにした影が幾つにも増え、こうと揺らめいている。


 百鬼の祖は平安の時代、東海道を遥か西――遠江とおとうみにておこった滅魔の血筋だ。代々『魔』を滅することだけをその生涯としてきたの一門は、室町の時代に自らが直因となった霊災を自らの手で片を付け、自ら望んでその地を放逐された。そのわざを迫間の先祖に見初められ、帝に召し上げられ、当時から〈幽世〉との境とされていた丸奈川にあらわれる霊魔を討つ『迫間の獄卒』となったのが、夕京百鬼のいまである。


 その報酬として百鬼が迫間に求めたのが、一門当主を選定する為の場所――この大霊脈だった。


 洞の中に生者は居ない。霊脈を伝い、此方に流れ着いてしまう、この世ならざる存在たちだけが、けれどこの暗闇の中から一歩も動けずとらわれている。


『この洞の中で、七日七晩、生き延びよ』


 条件はこの、たった一ツ。


 それを告げた実の父親……六十二代目椿の手には、同じく彼の成長を見守ってきた大刀〈雪〉が在った。


 子どもの手にはいささか大きな百鬼の打刀うちがたなを右の腰にいた彼はうなづき、それまでの人生を何ら惜しむ事なく暗闇の中へと這入はいって往った。



 七日七晩の後、どうあれこの洞に這入った者は戻ってくる。当代の椿が〈雪〉を手にしている理由はひとつだけ。


 ヒトであればそれで良し。霊魔となって戻ってきたのであれば、速やかにその首を落として滅する。それが椿の一ツだからだ。


 延寿二十八年。シンと凍て付く冬の話だ。


 。寝ずの番をしながら『その時』を待ち続けた彼らの前に、抜き身の打刀を担いだ少年が戻ってきた。おびただしい瘴気と真黒い返り血を全身にまとって現われた彼は――珍しく――困ったように、言った。



『……親父殿。もう此処には


 面食らう百鬼と迫間の面々に、少年と同じく全刃ぜんしんを血で染めた打刀の刀霊が顕現けんげん――その白狼は、どうしたものかと案を求めるように付け足す。


げんに偽りなくば。残りの一夜を座して待つなどと云うものだから、であれば戻ってみたら如何いかがか、と』



 この瞬間、六十三代目の『椿』がこの地に咲いた。十二歳の時である。


 次の春、彼は朝霞神鷹あさかじんようと出逢い――


 そこから更に十四年。この日ノ国を未曾有みぞうの大霊災、〈霊境崩壊〉が襲う。


 予期できぬはずのそれを見越したかのように成長した両者は、この時二十四と二十六歳であった。


 やがてきたる山郷決戦。最前線で数多くの霊魔をほふり、勝利をもたらした百鬼椿と朝霞神鷹はあわせて〈鬼神〉と呼ばれることとなる。



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