〈  〉


 互いに駆ける。いま、確かな気配とカタチをって神鷹じんよう相対あいたいしているのは首の無い霊魔だ。それ自体は〈幽世かくりよ〉のモノの形状としてそう珍しい部類の存在ではない。目ではない何かで此方を視認し、肺ではない何処かで瘴気を吸い込み活動している。有象無象うぞうむぞうの霊魔なら特段、問題の無い相手。――有象無象でないのが、この瞬間が窮地きゅうちたる最大要因なのだが。


 首が無い。つまり落とせる急所がひとつ減っている、ということ。


 視線が無い。つまりそこから意図を読み解けない。


 呼吸をしない。の『成り』を、予見できない。


 かつて朝霞あさか神鷹は幼馴染おさななじみであり霊魔殺しの百鬼椿なきりつばきに訊いたことがある。


『どうして百鬼は霊魔のを落とすの?』と。


 椿はその質問を、意外そうな顔で受け止めた。当たり前に過ぎ、意識したことなどなかった、とでも言うように。


『まぁ……ず前提条件として、連中は。霊力を乗せた刀霊憑きの刃でなら、ぶっちゃければ首を落とす必要も無く殺せる。ただ――』


 幼少の椿の言葉は、この霊境崩壊に見舞われた現在まで、実感に遠い言葉だった。神鷹が特別なのではなく、日ノ国に〈花守〉として生きる人々のそのほとんどが、その刃を振るう機会などそうそう無いほどに……霊魔、という存在。幽世という場所は、すぐ隣に在りながらあくまでも対岸だったのだから。


『そう、便ンだ。一度死んだ連中にも解り易くが伝わる。霊魔だなんだッつっても、どいつもこいつもかつては生きていたからな』


 そうして、平安の時代よりに霊魔をほふり続けた一門は、刈り取った霊魔たちのこうべで野を築いてきたのだと、その当代は語る。


『ま、もしもの話だ。お前さんがいつか霊魔と戦うような事態になったとして、ソイツに首が在ったなら速やかに落とすこった。無かったら、』


 、と霊魔の身体ではなくが認識するような一撃を叩き込め、と。そんなことを言っていた。



 ――距離、六尺。瞬く間に過ぎ去った時間に、かつて追いかけた姿は今、この場には無い。在るのは看過などできない大霊。此処で討たねばならぬ相手と、自分のみ。


 瞬間、桜路の石畳ごと神鷹を竹のように割る一撃が大上段から放たれた。結末が訪れるまでに秒もかからないその極限の中で、神鷹は踏み込んだ左足を起点に身体をまわす。砂を噛む洋靴ブーツの悲鳴。ざあ、と右足の先が三日月を地面に描き、踏み留まる。首無し公が右手に持つ太刀の切っ先が地に触れる前に、その更に右側に廻り込んだ神鷹は、相手がそうであったように――初手にて必殺の一撃を、その胴に叩き込んだ。


 ずん、と〈無銘むめい〉の刃越しに伝わる、瘴気にくの重み。


「…………ふッッッ!」


 ままに、振り抜く。された首無し公と圧しきった神鷹。両者の距離は再び開き――



 、その胴体は、尚もわかたれてはいなかった。


 首の無い霊魔が向き直る。神鷹は止めていた呼吸を再開させる。今更のように、神鷹の三編みつあみがほどける。先の一合の中で断たれた髪紐が落ちた。



嗚呼あぁ。君に逢いたいな、七香なのか――)


 一度たりとて忘れたことの無い、いとしいひと。護ることも、その最期さえ看取みとることの出来なかった不甲斐無ふがいない自分を、神鷹はともすれば霊境崩壊という霊災よりも、ヒトに害をす霊魔たちよりも憎んでいる。彼女をうしなうくらいであれば、その不幸がどうして自分に降り注いではくれなかったのだろう、と。


(いや――)


 ふるり、と首を振ってその甘い誘惑を断ち切った。だからこそ、いま逢いにくわけにはいかない。。何もせず愛した女性を護れなかった神鷹ぼくは、せめてすべてを護ってから死ぬべきだ。


 おそらくは数瞬にも満たなかった時間。両者は再び構えを取った。目を閉じれば今も浮かぶ七香の笑顔をこの時だけは脳裏から消し、神鷹は目の前の敵だけに集中する。


 青眼に構えられた太刀の切っ先は、果たして首無し公のにどう映ったのか。その身に纏った瘴気がぶるり、と震えた。それは断じて大霊が抱いた怖気などではなく――



 /


 皇居門前にて発生した窮地の報は、霊子通信を用いて百鬼の耳に届いた。


「……ほど


『霊脈の確保は目前。朝霞様の救援は――』


だろ、そんなの」


 右鞘に二刀を戻した椿は煙草をくわえ、紫煙を吐いてから参謀・羽瀬はぜ斎宮いつきの声に返す。


「おれが出向いたところで此処からじゃ間に合わん。かこいの本隊も他ンとこも動かさん方が良かろうよ。確かに妙手だぁな。ヘタすりゃ詰み


 状況をかんがみる。桜路町おうじまちの――皇居の霊脈確保に向かった〈花守〉を、ともすれば逃げ道のない皇居の内部で一網打尽に出来る一手だった。ついでに霊脈も落とせる。数で勝っている霊魔たちが、その物量でなく蹂躙じゅうりんするという、悪夢に近い『策』。やはりそういった手を打つが居る、という椿の懸念は的中していた。その可能性は〈夕京五家〉やこの羽瀬に伝えてもあった。


 だが、此方を罠にめたつもりの霊魔がおちいった誤算が在る。


 椿は、にぃ、と底意地の悪い笑みを浮かべた。


「そりゃあ警戒もせんし、だろうよ。の霊力は並以下なンだ。満を持して大物を投入してみろ。結果なぞ火を見るよか明らかだろう」


 古来からそうであったように。霊魔にとっての警戒対象は家柄ではない。結果としてそうなっているというだけで、いつだって自分を殺しる強力な霊力を持った〈花守〉と、それらが持つ霊刀・神刀、それに宿る〈刀霊〉だ。


 椿や他の者たちが評したように、朝霞神鷹という男にはそれが圧倒的に足りない。持っている刀も、歴史の長さだけはあるが、それだけの刀霊だ。


「ここいらで一ツ、考えをあらためるべきだと思うぜ、羽瀬参謀。アイツ自身もな。朝霞神鷹に才は無いが――」


(つばき。次が来る。)


 ふーっ、と最後の紫煙を吐き出して椿は煙草を放った。


奴だぞ、アレ」


 通信を切る。何度目かの霊魔の攻勢を、真っ向から切り伏せる椿に、左手に握られた大刀の刀霊――〈そそぎ〉が愉快げに問う。


当世とうぜが試合で神鷹殿に負けたのはさて、何度だったか。)


「当主の恥をさかなにすンな。今と同じだよ」


 数えるのも億劫だ、と自らの黒星を誇るような嘆息。


(朝霞当主の剣は、きれい。……つばきと違って。)



 /


 たかく。たかく。朝霞神鷹の意識は握る太刀の切っ先のように研ぎ澄まされていく。


 最早もはや目の前の霊魔に、この剣が通じるかどうかという疑問さえも浮かばない。できる、という確信さえも不純物として取り除かれている。


 才無しと誰もが断じ、自分でその無才を認めた時に彼は生まれた。


 ――それから十四年。休むことなく振るい続けたつるぎは、この霊境崩壊を迎えた落陽の日ノ国に在って此処に結実する。


 その一歩は、日の出に霞む空気のように静かだった。迎え討つ首無し公の反応が、来ると解っていながらも、遅れた。けれども。渾身の袈裟けさ斬りは先刻のような回避をゆるさない。黒光こっこうが爆ぜる。


 ――どれだけ手を伸ばそうとも、人の手は月に届かない。けれど、人は歩むことが出来る。神鷹はただ、その歩みを今日こんにちまで止めなかっただけ。


 一刀は左肩から右腰まで。すれ違いざまに振るった一筋は紛れも無く、とおった。わずかな――本来は自分をしいするには到底足り得ぬ霊力の刃。それが『斬撃』という事象と共に振るわれた一太刀に自身を別つ。あまりにも鮮やかでうつくしい致命。




『――――。美事也みごとなり


 首無し公は、消滅の際に自身の言を伝えるがないことを悔やんだ。


 ――無想・霞二段かすみにだんことわりを超え神域にまで至った朝霞神鷹の剣は、最早もはや霊力の多寡たかなど意味を為さない、紛れも無いである。


〈無銘〉を鞘に戻し、神鷹は少しの眩しさに目を細める。


 桜路町の霊脈確保をしらせるときの声が、随分と前から響いていたことに、今更ながら気が付いた。



 ――


 やがて東――神守かんもりから役目を終えて戻り、朝陽を背に合流した百鬼一門を迎えて就いた帰路。榎坂えのざかまでの道のりを歩きながら、霊魔の返り血で全身を黒く染めた椿に、神鷹は言った。


「……そういえばお腹いたなぁ」


 椿は応える。


「そうな。今日くらいは鱈腹たらふく食っても良いンじゃねえの?」


 迂遠うえんな賛辞に、くすりと笑う。


〈無銘〉の声は、相変わらずに聞こえない。


 けれども柄に乗せた手に、温かいなにかが重ねられた気がした。



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