桜路町奪還戦

鬼神楽

 慶永六年、十月。


〈夕京五家〉現在筆頭にして〈花守隊はなもりたい〉総長・かこい麗華れいかは既に老齢と言って差し支えのない歳に相応そうおうの落ち着きと、相応ふさわしからぬ若々しい声でって告げる。


「……陛下の号令のもと、この夕京に戦力は整いました。これより桜路町おうじちょうの完全奪還、ならびに皇居霊脈の確保を行います。桜路を取り戻すことは陛下の――ひいては我々クニの民すべての悲願、夕京を〈幽世かくりよ〉の闇から解き放つ暁への第一歩となるでしょう。みな、決死の……いいえ」


 微笑む。


を以って挑みましょう。――羽瀬はぜ参謀」


「は」


 麗華が座り、控えに立っていた羽瀬斎宮いつきが一歩前に出る。羽瀬は花守ではないが、第22代内閣総理大臣・南条志信なんじょうしのぶの若き副官として花守隊に貸し出された参謀役だ。〈霊境崩壊〉の霊災に乗じて実権を握ろうとする軍部を抑え続ける南条に代わり、その頭脳を幽世からの軍勢を押し返すために使う。


「……榎坂えのざか山郷さんごう方面から圧をかけつつ、一気に皇居霊脈の奪取をはかります。榎坂の本隊は総長、山郷は当主・伊之助いのすけ殿。南方、羽柴はしばの霊魔は桜路町より溢れたもの。桜路を奪還すれば掃討は容易いかと。羽柴守護の花守各位は戦線を押し上げていただく。それと、」


 そして――


「皇居へは朝霞あさか家当主・神鷹じんよう殿。……既に陥落している東方、神守かんもりからの敵戦力のを、百鬼なきり殿、お任せいたします」


 では下せない、その冷徹。何も矛盾などしていない、敵を討たねば訪れない未来と、その為に支払う犠牲への痛心。という参謀の、眼鏡ガラスで隠した視線の色を汲み取りながらも椿はそれを無視した。


。後方待機なんぞ命じられたらどうしようかと不安だった」


 そんなものは不要だ、と言うように笑う。


「いずれ落ちる首だ。それまでは使


「ええ、使


「んじゃ、使われついでにお前さんとこに一人、つかわす。存分に役立ててやれ」



 /


「椿……椿!」


「ぁン?」


 支度を整え、帽子を被った椿の後姿に追いついた神鷹へと振り返る。


「……無茶をするなよ。危なくなったら、」


「はッ。。そうなる前に、さっさと皇居を制圧すンのがの仕事だよ、神鷹。おれに無茶をさせたくないっつーなら、な」


 白手袋をめた拳が神鷹の胸を叩き、


「……陛下を二人で連れ出したことがあったろう?」


「あぁ。あの時は後でこっぴどく叱られたね……」


「おれたちも、あれからちっとは大人になって、色々覚えた。に練った作戦が何時いつまで経っても使えないってのはシャクだ。違うか?」


 笑った。神鷹も笑った。


「……そうだね。うん、そうだ。必ず桜路町を取り戻す。殿、御武運を」


「あいよ。殿も存分に」



 ――くて火蓋は切って落とされた。榎坂より東方へと進撃した花守本隊は皇居と、その奥……神守から迫る霊魔共を駆逐する殲滅隊とを別けて刃をる。


 /


 迫間はざまの時とは違う。背後の心配などしなくて良いし、味方の状況も逐一把握できる。霊子れいし通信を阻害する程の濃度の瘴気は、桜路町では存在しない。


 桜路町・神守境界線。そこが百鬼椿の戦線だった。


「〈薄氷うすらい〉、は在るか」


。大物もそんなに、こっちへは来ていない。)


(いっそ一纏めにしてしまうのはどうだ?)


 脇差の索敵と大刀の提案。ぶん、と刃に残った黒い血を振り払い、椿はそうな、と頷いた。


「ヒト同士のイクサよか余程やすいわな。……スイの必要性を見出す前に片付けるとするか。――


 握りこんだ札に呼びかけると、跳ねたような声が返ってくる。通信先は榎坂、指令本部である。


《はっははははい!》


「羽瀬に両翼を少し前進させろと伝えてくれ。無理させない程度に、とも付け足してな」


《りょ、了解です。……あれ? でもそうすると霊魔が一箇所に……というか、》


 司令本部で椿の声を受けている少女――霧原きりはら灯花とうかは広げられた地図を見下ろし、疑問符浮かべまくりの当惑した声で聞き返した。


 霧原灯花。霊境崩壊の折に自身だけを残し、霊魔に家族の凡てを奪われた花守、霧原家最後の生き残りであり……刀霊〈霧渡キリワタリ〉の契約者でもある少女。花守としての鍛錬やその責務を受け継がず、霊災の爪痕さえ癒せることなく。その身に刀を握る事を宿命付けられた彼女は、椿が羽瀬へ預けるだけの異能を――もとい、前線に送り込むなどは愚策に過ぎるを持っていた。


りゃ解ンだろうが」


《いえ、その百鬼様? そうすると霊魔が百鬼様のところに集中してしまうわけで……》


 眼鏡を外した少女の視界。〈霧渡〉の持つ霊力が重なり、夕京の地図に


「それが狙いだ。消耗戦なんぞこっちだって願い下げだからな。策を打たれる前に。そう伝えろ」


《えぇー……!》


(……策? ?)


 それを聞き返す前に、通信は切れた。涙の浮かんだ目元を擦り、羽瀬へと椿の案を律儀に伝える灯花なのであった。



 /


(つばき。来た。)


「いし。片付けるとするか」


 一門を率いて椿が駆ける。落とした首など数えずに、それはさながら網漁の如きであった。


当世とうぜ目論もくろみ通り大物が来たぞ。)


 月下の桜路町に影が重なる。見上げるばかりの虚大きょだいな鎧武者。そそぎの三倍はあろうかという長さの黒刀と、牛かと見紛う四肢の太さ。全長は平屋の屋根より高い。ニ丈に届かず6メートルといったところか。


 その巨腕が、大きく振りかぶられる。椿は腰から脇差うすらいを鞘ごと外し、右手に握り――黒い瀑布ばくふが叩き込まれた。巻き上がる粉塵と瘴気。それを切り裂いてが鞘ごと鎧武者の頭の上に舞い上がった。


(……つばき。)


 どこか非難めいた声を椿は無視する。空中で刀身を握っているのは、刀傷をそのかおに走らせた童女の刀霊。凛とした精緻な人形を思わせる美しさ。……曲がった柳眉りゅうびが不満さをそのまま表していた――突き立てる。


『―――!?』


 花守がただの刀では霊魔を討てないことと同じで、刀霊も自身だけでは霊魔を討てない。兜の奥で当惑する瞳にその刃を打ち込まれても致命傷とはならない。。煩わしそうに伸ばされた鎧武者の左腕は、薄氷をその霊体ごと握り潰そうとし、


 がくん、とその高度を落とした。


 続けざまに銀が閃く。


「よいせ、っと」


 晴れる土煙。何事か、と見下ろした先で、が無造作に大刀を振りかぶろうとしていた、と鎧武者は虚ろな脳裏にその状況を認識し。


 自分が、くるぶしから順々に切り倒されているのだと、知った。


『■、■■■■……!』


 続く一閃は胴を薙ぐ。


「吼えンじゃねェよ、鬱陶しい」


 もはや地に這い蹲るばかりの自分――たったひとりの鬼に、今は見下ろされている。


 音もなく眉間から抜かれた脇差は右手に。大刀と併せて丸太のような頚に交差された二ツの刃は、あまりにもいびつハサミのようだった。


(つばきの……百鬼の戦い方は知っている。)


 嘆息たんそく、そして自分をなだめようとするような声だった。


(知っているけど。)


 じょきん、と命無き者の命を断つ音。真黒い返り血を浴びる主へ、薄氷はやはり不満げに言った。


はどうかと、やっぱり思う。)


「そうか。慣れろ」


 左右の二刀を振り、血を払って鞘へ納める。それから顔を拭って振り返った。


「……さて。神鷹のヤツは上手くやっているかな」



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