金平糖
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「百鬼家当主、六十三代目椿。
「は」
廊下と錯覚しそうなほどの、磨き抜かれた光沢を持つ床に正座し頭を下げていた椿は短く応え、顔を上げる――遠く、玉座の
「……
「は」
「また、かの地にて多くの霊魔を
「
「よい。良いのです。……椿、
「……は」
立ち上がり、一歩二歩と近づく。それでも依花の貌には影が差し込み、見えないつくりとなっていた。椿は令に従ったものの、まだ十二分に距離を保ち再び正座した。頭を下げる。
――ややあって、両脇に控える近衛たちが息を呑んだのを椿は悟る。何が起きたのかも。
「椿」
声は、随分と近くから降りてきた。
「は」
「顔を、上げてください」
再び顔を上げると、椿のすぐ目の前まで進んできた天皇依花が、悲哀をたたえた瞳で見下ろしていた。
「無茶をして」
「……百鬼はこう、でありますが
伸ばされた手に、瞳を閉じ、頭を下げる。椿が
――まだ、幼いと言って差し支えがないほどにちいさな少女の手だった。それが椿の髪を慈しむように撫でる。
依花が即位し、天皇となったのは六歳の時。そして〈霊境崩壊〉に見舞われた今でさえ、十二歳なのだ。
その身に背負うには、あまりに多くの、大きな重責と日ノ国の民の命と行く末。
所詮、霊魔を狩ることくらいしかできない
「あなたの一門だけですよ、受け取らなかったのは」
その、民を愛して
「畏れながら」
霊魔に堕ちるのであればその前に自ら命を断て。そんな命令を下すことに、この少女がどれほど心を
「我ら百鬼一門――その覚悟は千年前に終わらせております故。陛下から
椿を撫でる手は止まらず、椿の言葉も続く。
「百鬼から霊魔となる者も、おりません」
御存知でしょうが、との言葉は告げずに。
「ですから陛下。我らに下さる分のお気持ちはどうか、
「椿の……百鬼の
それは、どこか
「あなたも、あなたたちも。私にとっては大事な大事な、日ノ国の民なのです。それをどうか、忘れないで
「……は」
言葉は途切れた。依花が椿を撫でる手は……止まらない。ともすれば赤子を寝かしつける母親のように続いていた。
「……陛下」
「なんですか、椿」
「そろそろ、お手を離すのは
近衛たちは無言のまま同調する。それを、
「……駄目?」
たったの二文字で封殺された。提案は赦されても、拒否をすることなどこの場において出来る者は存在しない。
撫で続けられながら椿は思考を高速で回転させる。身に沁みているが、こうなった陛下は余程の切返しでないと引いてはくれない。霊魔を討ちに? だめだ、休息を言い渡されたばかりである。仕事が残っている? そう言い訳してこの謁見を報告だけに済まそうとしていて、今がこれだ。この手は使えない。八雲殿は既に渡した後であるし、神鷹のヤツどこに行きやがった。
詰んだか。陛下の気が済むまでこの状態を甘んじて受ける、という以外に執れる行動がない、まで考えて。果たして
『その位にしてあげたらどうか、依花殿』
思わぬ助け舟が、椿の超至近距離から出された。
ざわり、と空気が震える。霊力の集中――あまりに濃密な神気が積もり、
『
「まあ! お久しゅう御座います、
――
狐の面を横被りにしたこの灰狼こそ、椿の大刀――その
『今は斜陽なれど、日は昇り桜はまた咲くもの。
遠まわしに『椿が恥ずかしがっている』と告げる。その
「生還の褒美を、まだ渡してはおりません」
『
「それはそれ、これはこれ、と」
『百鬼に功勲は不要……と申しても納得はされませぬな。けれども薬が御心を傷めるのであれば――』
/
「それで……これ?」
「あぁ」
「ははっ。それで逃げてたのか。大体予想が付いてきたよ、椿」
「……百鬼様はもう、その袋を
察した
「今日になってやっぱり一門全員分、とか言い出してな。しかも陛下の手ずからとか言い出すもんだから思わず逃げちまったよ。っつーわけでこれな」
袖から、同じ袋を二つ取り出して神鷹と杏李の手に乗せる。神鷹は懐かしそうに、杏李は物珍しそうに受け取ったそれを眺めている。
「あの、百鬼様、これは何ですか?」
「ぁン? 何って飴だよ。金平糖」
ったくガキかっつーの、と背伸びをして椿は部屋を後にしようとする……今度はきちんと、扉から。
「僕にくれるのかい? 椿がもらったものだろう」
「嫌いじゃあないが、甘い物はそんなに得意でもないンだよ。知ってるだろ? おまえが食わないってンならチビっ子どもにくれてやると良いよ。
「はは、そうだね。有難う」
「邪魔したな」
扉を閉める時、
「……こんぺいとう……」
手の中の小さな星。それをまるで生まれて初めて見たかのような少女の姿が、やけに印象に残っていた。
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