金平糖


 百鬼なきり椿つばきは事の顛末をやや省いて二人に語る。


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 桜路町おうじちょうにある本来の禁裏とは規模も内装も違うが、臨時とはいえこの榎坂えのざか花霞かすみ邸にある謁見の間にも、相応ふさわしいだけのが存在した。


「百鬼家当主、六十三代目椿。おもてを上げなさい」


「は」



 廊下と錯覚しそうなほどの、磨き抜かれた光沢を持つ床に正座し頭を下げていた椿は短く応え、顔を上げる――遠く、玉座の今上きんじょう天皇、依花よるかの顔はガイに隠されていて見えない。


「……ずは迫間はざまより、無事にこの榎坂へ来てくれたこと、嬉しく思います」


「は」


「また、かの地にて多くの霊魔をほふり、神刀八雲やくもを我が元へ送り届けてくれたことにも、感謝を」


おそれれながら。百鬼ナキリの百鬼たるを果たしたまで。……迫間当主、賢一郎けんいちろう殿を、」


「よい。良いのです。……椿、此方こちらへ」


「……は」


 立ち上がり、一歩二歩と近づく。それでも依花の貌には影が差し込み、見えないとなっていた。椿は令に従ったものの、まだ十二分に距離を保ち再び正座した。頭を下げる。


 ――ややあって、両脇に控える近衛たちが息を呑んだのを椿は悟る。何が起きたのかも。


「椿」


 声は、随分と近くから降りてきた。


「は」


「顔を、上げてください」


 再び顔を上げると、椿のすぐ目の前まで進んできた天皇依花が、悲哀をたたえた瞳で見下ろしていた。


「無茶をして」


「……百鬼は、でありますがゆえ。どうか御容赦を」


 伸ばされた手に、瞳を閉じ、頭を下げる。椿がれるものはひとつもない。打擲ちょうちゃくであろうと、甘んじて受けることしか、この場において許されてはいない。


 ――まだ、幼いと言って差し支えがないほどにちいさな少女の手だった。それが椿の髪を慈しむように撫でる。


 依花が即位し、天皇となったのは六歳の時。そして〈霊境崩壊〉に見舞われた今でさえ、十二歳なのだ。


 その身に背負うには、あまりに多くの、大きな重責と日ノ国の民の命と行く末。


 所詮、霊魔を狩ること椿じぶんには、その重さを推し量ることすら不敬だと思っている。


「あなたの一門だけですよ、受け取らなかったのは」


 その、民を愛してまない依花が、どのような思いで花守たちにその令とを……


「畏れながら」


 。そんな命令を下すことに、このがどれほど心をいためたか。それを知りながら、椿は言った。


「我ら百鬼一門――。陛下からたまわるには、かと。……言葉を重ねる無礼をおゆるしください、陛下」


 椿を撫でる手は止まらず、椿の言葉も続く。


「百鬼から霊魔となる者も、


 御存知でしょうが、との言葉は告げずに。


「ですから陛下。我らに下さる分のお気持ちはどうか、御身おんみへ向けてくださいますよう、お願い申し上げます」


「椿の……百鬼の宿業しゅくごうは知っています。……けれどね、椿?」


 それは、どこかたしなめるような響きで。


「あなたも、あなたたちも。私にとっては大事な大事な、日ノ国の民なのです。それをどうか、忘れないで頂戴ちょうだい


「……は」


 言葉は途切れた。依花が椿を撫でる手は……止まらない。ともすれば赤子を寝かしつける母親のように続いていた。


「……陛下」


「なんですか、椿」


「そろそろ、お手を離すのは如何いかがでしょうか」


 近衛たちは無言のまま同調する。それを、


「……駄目?」


 たったの二文字で封殺された。提案は赦されても、拒否をすることなどこの場において出来る者は存在しない。


 撫で続けられながら椿は思考を高速で回転させる。、こうなった陛下は余程の切返しでないと引いてはくれない。霊魔を討ちに? だめだ、休息を言い渡されたばかりである。仕事が残っている? そう言い訳してこの謁見を報告だけに済まそうとしていて、今がだ。この手は使えない。八雲殿は既に渡した後であるし、神鷹のヤツどこに行きやがった。


 か。陛下の気が済むまでこの状態を甘んじて受ける、という以外に執れる行動がない、まで考えて。果たして今日こんにちまでという導き出された結論に、床を見つめる椿は迫間の戦いですらいだかなかったを受け止めようとし――


『その位にしてあげたらどうか、依花殿』


 思わぬ助け舟が、椿の超至近距離から出された。


 ざわり、と空気が震える。霊力の集中――あまりに濃密な神気が積もり、


今上きんじょう天皇陛下の御手がこうも長く触れたとならば当世とうせい椿は髪を洗うのさえ不敬と看做みなされ、腹を斬らねばならなくなる。、というのは酷でありましょうや』


「まあ! お久しゅう御座います、そそぎ殿」


 ――おおきな狼の姿が、其処に顕現していた。主の肩の高さほどもある体高のソレは、椿を囲うように体躯からだを休める格好で呵呵カカと笑う。


 狐の面を横被りにしたこの灰狼こそ、椿の大刀――そのに宿る刀霊、〈そそぎ〉。


『今は斜陽なれど、日は昇り桜はまた咲くもの。男児おのこ矜持きょうじも似たようなものでありますれば、依花殿。機会はこの先幾らでもあります故、此度こたび之迄これまでに、どうか』


 遠まわしに『椿が恥ずかしがっている』と告げる。そのげんに一応の納得をしたのか、名残惜しそうに手を離した依花は「でも」と食い下がった。


「生還の褒美を、まだ渡してはおりません」


当世とうぜぜてくれたではありませぬか』


「それはそれ、これはこれ、と」


『百鬼に功勲は不要……と申しても納得はされませぬな。けれどもが御心を傷めるのであれば――』


 老獪ろうかいな狼の言葉に、依花ははい、と頷いた。




 /


「それで……?」


「あぁ」


 深山みやま杏李あんりの部屋で、依花に手渡された袋を渡された神鷹は首を傾げる。そして笑った。


「ははっ。それで逃げてたのか。大体予想が付いてきたよ、椿」


「……百鬼様はもう、その袋をたまわれたのでしょう? どうして逃げていたんですか」


 察した神鷹じんようと、理由に思い当たらない杏李。二人では天皇依花との付き合いの長さが違う。椿はため息を吐き、答えを告げた。


「今日になって、とか言い出してな。しかも陛下の手ずからとか言い出すもんだから思わず逃げちまったよ。っつーわけでこれな」


 袖から、同じ袋を二つ取り出して神鷹と杏李の手に乗せる。神鷹は懐かしそうに、杏李は物珍しそうに受け取ったそれを眺めている。


「あの、百鬼様、これは何ですか?」


「ぁン? 何って飴だよ。


 ったくガキかっつーの、と背伸びをして椿は部屋を後にしようとする……今度はきちんと、扉から。


「僕にくれるのかい? 椿がもらったものだろう」


「嫌いじゃあないが、甘い物はそんなに得意でもないンだよ。知ってるだろ? おまえが食わないってンならチビっ子どもにくれてやると良いよ。宗方むなかたの嬢ちゃんとか鴉間からすまの坊とか喜ぶだろ」


「はは、そうだね。有難う」


「邪魔したな」


 扉を閉める時、


「……こんぺいとう……」


 手の中の小さな星。それをまるで生まれて初めて見たかのような少女の姿が、やけに印象に残っていた。

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