迫間の退き口


 ――今が昼なのか、夜なのかさえ、わからない。


 くびを叩き落とし、唐竹からたけに割り、田楽でんがくのように刺し、実体在ればそのむくろで崩れ落ちた秋橋あきばしの代わりを築けるほどの霊魔の、一度は朽ちた筈のその魂を討ち続けて尚。


 視界に入る霊魔どもに終わりは見えなかった。


 二刀を振るう腕が重い。呼吸の度に肺腑はいふに流れ込む〈幽世かくりよ〉の瘴気は身体と魂にさわり続ける。


 これが〈霊障〉と呼ばれる所以ゆえんだ。如何いかに〈花守〉たちが払魔の力を持ち、それらを斬り伏せることができたとしても、もはや天照アマテラスの加護の届かぬこの場所では、不平等ではあるが確実に、生ある者たちの心身は侵され――やがて、同じ霊魔モノに成り果てる。


「ッ、……おぉッッ!」


 だが。既に生者が自分たちを除いてすべて――守護者であった迫間の花守も含めたその凡てが存在しなくなったこの地に在って尚、百鬼なきり一門は、その当主である椿は戦闘を続行する。


 この場所を死地と定めたのではなく。この場所こそが生地と定めたかのように。


 雑、つ必殺の逆袈裟けさが地から飛び上がる。人間大のイヌの形を取った霊魔の身体を二つに別け、尚も止まらず黒い血溜まりに踏み込み鍔目つばめを返す。振り下ろし。左に握る大刀『そそぎ』がの後ろで蹈鞴たたらを踏んだ小鬼共を纏めて三匹、噛み殺した。


 飛び迫る人面の黒鳥の脳天に右手の脇差『薄氷うすらい』を叩き込み、抜き払っては真横にばかりの樹霊の根を断つ。とどめとばかりに大刀を突き刺し地面と縫い付けたところで、二度ふたたびの死を賜った霊魔は何かを啼きながら霧散した。


「は……、」


 吐く息が白い。霊力の励起れいきにより向上させられた身体の熱が、秋口の迫間の気温を大きく上回った結果である。地面に大刀を突き立てたまま、それを支えに倒れる事をいとい、どれだけの瘴気が蝕もうとも穢れた空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 右手の中でくるりと脇差が回り、それをって僅かに払う刀身の穢れ。薄氷うすらいを鞘に戻すと、椿はおのが刀霊に話かける。


そそぎ。――


(うむ。春先に見た丸奈まなの桜くらいか。)


 ならい、薄氷は椿あるじの首を視る。


 そこには、その名が意味する線が一本、雪のげんの通りの桜色が走っていた。


 この首に走る線が、椿の花と同じあかと成った時――百鬼の当主は、


(……つばき。)


「そうか」


 椿は口の端を上げると、仰け反るように身体を起こした。


「なら、


 はたから見れば狂気の沙汰。『迫間の獄卒』とはよく言ったもの。この姿を他家の花守が見れば本物の鬼か――あるいは霊魔と見紛みまごうほどに、があった。


 見上げた空に風情あじはない。やれ、誰を責めるでもないが優しくねえなぁ、と紙巻タバコを取り出す。最後の一本が末期の一本になろう未来は想像にかたくないが、椿は惜しむ事さえせずに紫煙を吐き出す。


 ――その時、数えて三つが椿へと向かい来た。


『――ばき、……ッそ、えているか、き、!』


 巫術ふじゅつによる霊子通信。瘴気に遮断され、何を言っているのかがわからない。


「椿様……!」


 足音をともない駆け寄るのは迫間本邸へと使いを出した一門の部下だった。差すことはせずに、脇差を両腕に抱えて当主の元へと馳せる。


(っ、つばき……!)


 音も実もない、薄氷の霊体――凛とした童女の貌に一筋入った太刀傷から、痛むことなく赤が流れる。強烈な瘴気を持つ何かが此方に近づいているという、刀霊がその血で告げる窮地の報。


「……ったく。聖徳太子でもなければ流行りの茶店カフェの看板娘でも無ェンだけどな、おれは」


 霊魔の反応はおよそ十間。20m先から、ヒトの歩むような速度で向かっている。


 膝を折る部下の手にあるのは迫間の守護刀霊、八雲ヤクモそのひとであった。


「よう、八雲殿。考えは纏まったかい」


(貴君ら一門が稼いだ時は値千金あたいせんきんにて。して椿殿、あの声が聞こえたか。)


「ン……大物が近づいてるってのもあって、何言ってるか解ンねえのが現状だな」


 ならば、と八雲は自らの霊力を放出させる。それは自身を中心として広がり、瘴気の渦の中にあらわれた台風の目のように一時、その穢れを取り払う。


 何度も何度も繰り返し、この地へ向けて叫ばれた声が結実し、椿の耳に届いた。


『聞こえているか椿! 桜路町おうじちょうにて君を待つ! 依花よるか陛下も榎坂えのざかで君の帰りを待っている! 聞こえたのならば何でも良い、合図をしてくれ! ……椿!』


「……アイツ。ったく、朝霞あさかの大将自らが何やってンだ……桜路の状況は?」


「半ばまで押し込まれている、と」


 通信が途切れた。急かすように薄氷が椿の名を呼ぶ。


 八雲の展開した結界が同じくして決壊する直前に紙巻を吐き棄て、清浄な空気で肺を満たし、肺腑の穢れを排すように吐き出す。


「おい、秋橋のアレはまだ無事だったな」


「は。使い道など霊魔にも無いでしょう」


「では、八雲殿を連れて先に待て。おれもすぐ行く」


「御意。お気をつけて」


 此処は既に地獄だが。桜路町からその地獄へと声を届かせる為にどれほどの無茶をしているか。おそらくは霊魔が襲い来るその只中ただなかで朝霞家当主――神鷹じんようは自分に向けて「帰って来い」と叫び続けているのだろう。


 我が身が此処で果てることは勘定に入れているが、


 霊子通信による返事もできない状況で、我らが無事だと伝えねばならず、また一刻も早く桜路町へと向かわなければそれだけ神鷹の命が危ぶまれる。急がねばならない。


 だが。


 大刀『雪』を左肩に担ぎ、再び抜いた脇差『薄氷』を正面に構える――その先に、良く見知った出で立ちの、よく見知った影を纏ったモノがついに姿を現す。


 瘴気に侵され、魂を汚された花守と刀霊はやがて――やがて


当世とうぜ、迫間の花守だ。)


「あぁ。八雲殿に任せるのはちとこくよな。


 諧謔ひにくを含んだ台詞と笑み。一呼吸置いて、椿は号令を下す。



「……聞け、百鬼ナキリ一門」


 声は静かに。けれど生き残った者たちの耳に等しく、当主である六十三代目椿の言葉は響いた。迫間の花守れいまが速度を早める。


「我らはこれより迫間から退き、桜路へ向かう。――さあ、ぞ! 立ち塞がる凡てを撫で斬り進め! 百鬼の所以ゆえんを知らしめろッッ!」


 耳をろうする霊魔どもの声を、湧き上がった鬨の声が掻き消す。


 椿も駆け出した。即座に距離は一足一刀――その寸前、両者の間合いが潰れるより前に、みしりと軋んだ左腕ゆんでが大上段から制空権を侵犯し、大刀の切っ先が迫間の霊魔を割らんと吼える。


「薄氷。おまえがおれとの契約を果たせるか、ここで試す」


 脳天を西瓜スイカのように割る一撃はしかし、刀身まで真黒く染まった打刀うちがたなに阻まれ、火花を散らせて斜めに流れる。


(……できる。わたしは、)


 不意に加重の消え失せた上腕に、その元花守は光をともさぬ眼をあらん限りに剥き開いた。がらん、と不満げな声に似た音で振り下ろされたままの大刀が地面に転がる。驚きに漂白される思考――霊魔と成り果てても、ヒトであった頃の技が、常識が残るゆえに……それは強力な敵でありながら、という、百鬼にとっては比較的御しやすい手合いだった。


 大刀を惜しむことなく手放した椿はそのを喰らって更に一歩。同じ日ノ国に、同じ花守として生きてきたその――まだうら若さを感じ取れる花守、だったモノの首を、薄氷の刃で以ってサン、と落とす。手応えは――会心。血の一滴も刃に残さず、くずおれるまでの時間で納刀を済ませた。


(わたしはもう、あなたの刀だ。)


「はン。これなら上等だ」


 転がるそそぎを拾い上げ、鞘に戻し、きびすを返して秋橋へと駆ける。これ以上費やす時間のツケは、その分だけじんようの命を削ることと同義だ。



 ――それから間もなく。椿の用意した『返事』は、たしかに神鷹……いや、夕京陥落に抗う者たちのに、しかと届いた。



 /


 夜のとばりに、大輪の花が咲く。迫間の秋橋より打ち上がったそれは、ほんの僅かな時間、漆黒の夕京を照らして消えた。


「……これは、」


 朝霞神鷹はそれが百鬼椿からの返事である、と正しく理解した。返事にこのような手を執ることで、その身が無事であるとも。


「君は――まったく」


 自然と頬が緩みかけるのを、努めて抑えて。続いて打ち上がった花火の場所から、その意図と進路を読みきった。


 馬も無く、車などはもってのほか。全力で駆け抜けても二時間は要する三里の距離を、ヒトの脚では在り得ない速度で進んでいる。如何なる手段でそれを行っているか――


だ。……総員、百鬼は東――柊橋ひいらぎばしを抜けて戻って来る! 出迎えの準備を!」


 その言葉の正しさを証明するかのように、三発目の花火は桜路町の真東まひがし。柊橋区の背から打ち上がって咲いた。



 ――後世に『迫間ハザマ退ぐち』と記される、百鬼一門の仕掛けた大博打おおばくち。遺棄された川舟で以って丸奈川まながわを全速力で下り、迫間と同じく既に壊滅した柊橋から朝霞陣営の待つ桜路町を横断、その間に立ち塞がった霊魔の凡てを撫で斬り進んだ討怪道とうかいどう





 再会は慌しく。百鬼を迎えた朝霞は一目散に榎坂まで退いた。


「相変わらずだな、君は!」


「無茶をする奴だぜ、まったく」


 疲労の色も見せず駆け抜けるふたりの横顔は、投げられた言葉に「どっちが」と少年のように笑っていた。



 /迫間ノ退キ口 了。

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