水面に薄らふ赤月遠く(前)


 代々百鬼なきり家の当主となる者は、同時にみな『椿』を襲名する習わしだ。


 時は文化の栄爛えいらん慶永けいえい元年。


 当代の『椿』はよわい十二にしてその名を受け継いだ、百鬼をしてのであった。



当世とうぜ。)


 椿の契約刀霊とうれい――銘を『そそぎ』という――が、自身をいて歩く主に声を投げた。


「ン?」


(瘴気が濃くなっている場所が在る。)


「…………」


 椿は視線を横に流して考える。促すようにもう一度「当世」とかけられた声に、


「……雪の索敵は大刀だけあって大味だからな。信憑性の有無をちと、考えていた」


(…………。)


 今度は雪が押し黙る。青年つばきをして大味と言わしめた自身のを羞じるよりも、そのげんを発した主を責めるように。



「まあ。大事なければそれで良し。貧乏くじも慶永の〈花守〉には必要な儲けか。……で、どこだ?」


(……そこの路地裏だ。霊魔の気配は――ちと曖昧に思う。)


「はッ。本当大味な、雪は」


 言葉はそうであっても迷うことなく足を向け、賑わう迫間はざまの大通りから外れ、人気ひとけの途絶えた暗がりへ。


 建ち並ぶ屋号の旗とは違い、見せることで不利をこうむ塵桶ゴミおけや、陽の射さない路地裏こそが住処の鼠。湿った空気が吹き溜まる。なるほど、が身を隠すにはこういう場所に都合があろう。



 慶永元年、十一月のとある日のこと。これより五年後、日ノ国は未曾有みぞうの霊害、〈霊境崩壊〉により帝都の陥落をみる。


 だがそれは、きたる日の話。


 帝都夕京ゆうきょうは守護者たる花守たちにも平等に、ともすれば退屈とも取れる栄華の日々を与えていた。


 ゆえに――


「……なンだ、霊魔の一匹も居やぁしェじゃねえか」


 いよいよもってこの刀霊の索敵能力は当てにならん、と嘆息たんそくする椿と。


(けれども当世、これはこれで面白くはないか?)


 フン、と鼻を鳴らして瘴気の出処でどころを差す雪であった。


「まぁ、な」


 文明開化と同時に武士の役目は終わりを告げ、その魂と同義であった刀も廃刀令により多くが喪われ、現存するのは工芸・神事の価値ありと判断され、保存された幾振いくふりと。


 天皇家勅命により霊脈を保ち、時折彼岸を渡り此方こちらあらわれる、幽世かくりよからのモノ共を討つことを定められた〈花守〉たちが持つ、刀霊のいた神刀名刀たちだけである。


 その世の情勢をして、だからこそはふたりの興味を惹いた。


 如何いかなる扱いを受けてきたのだろうか。鍔は割れ、今にも残った部分が転げおちそうなほど。柄の長さからかつては太刀であったと読み取れるものの、りも名残に一尺半をのこして折れ、錆びきった刀身は大根を切ることさえできまい。


(どうする? 当世。)


「……鉈の方が幾分いくぶんかマシな具合だな。だがまぁ、このままさらしておいても良くは無かろう。瘴気を大分だいぶん、纏っちまっている。真鉄はどうだ?」


(……旧いな。我より後期だが江戸よりも永い。だが辛うじて、辛うじてけがれにを喰われきってはおるまい。身削みそげば或いは、と言ったところか。)


「決まりだな。索敵アレは粗末でもソッチの眼は確かな雪だ」


(おいえ同士の語らいには口が少ないくせに、我には一言多いことよ。)


 拾い上げ辺りを見回しても、この刀が身を寄せた鞘はどこにも見当たらず。


 ではむ無しか、と錆が移るのも構わず洋蘭服のボタンの隙間に差込み踵を返す。


 再び戻った大通りは、あいも変わらず活気に満ち溢れていて。


 路地裏から現われた花守の蘭服が少々茶汚れていようとも、気に留める者など居はしなかった。


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