第15話 新たなる旅路

「終わったんだな……」

 アルジールが崖下を覗き込みながら言う。その顔はやり切れないという気持ちで一杯だ。

「まだ終わりではないぞ」

 カムパネルラが言った。

「カナンの騎士団とオルレアン軍が対峙しておる」

 そのカムパネルラの言葉にアルジールははっとする。

「そうでしたね……」

「アインヒの蒔いた種を摘み取らねばならん」

「しかしどうやってカナンに戻る気だ?」

 ファムはカムパネルラに問う。

「さすがにもうアルジールは無理だろう」

 ここまで彼の風の術式で運んでもらったが、無理をさせ過ぎた。港から英知の峰まで三人を運んだアルジールは限界だ。

「なに、心配には及ばん」

 ほれ、とカムパネルラは空を指差した。

「夕闇殿~!この生臭賢者が!」

 シモンが複数人魔術師を連れて物凄い勢いでこちらへ向かって来ていた。すたっと地に降り立つと、カムパネルラに罵声を浴びせた。

「なにやら騒がしいので様子を見に来ましたが、やはりあなたですが!夕闇殿」

 怒り狂うシモンをカムパネルラは宥める。

「そう怒るでない。皺が増えるぞ」

「余計なお世話ですよ!オルレアンに使者として行ったはずなのに!何故こんなところにいるんですか!まあ、いるとは思ってましたけど!」

「色々大変じゃったんじゃ」

「色々とは!?」

「話せば長くなるんじゃが……」

 このままでは埒が明かないと判断したアルジールが一歩踏み出した。

「僕が話します」

 アルジールは手短に経緯を話した。

「黄昏殿が悪魔と……」

 さすがにシモンは顔色を変える。

「信じがたいとは思いますが」

「いいえ」

 シモンは首を振った。

「夕闇殿が言うならきっとそうなのでしょう。黄昏殿はここ数年様子がおかしかった。ふらりと消えては何事もなかったかのように戻って来るという繰り返しでしたから」

 そして真顔になるとカムパネルラの方を見やる。

「それよりも一大事です」

「わかっておる。騎士団とオルレアン軍のことじゃろう」

「ええ正式に宣戦布告をして来ました」

 ふうっと大きなため息をシモンは吐き出した。

「たまには賢者らしい仕事をして下さいよ」

「仕方ないのう」

 カムパネルラは面倒臭そうに頭を掻いた。


 魔術師たちの術式で運ばれたファムたちは対峙する二軍の上空までやって来た。互いの指揮官が剣を掲げて今にも開戦の号令をかけようとしている。それぞれの大義を掲げて。

「悪魔を囲っている堕落したカナンよ!正義の名の元に滅びるがよい」

「何を言う!使者としての夕闇の賢者を遣わせたのにこの仕打ち!カナンへの愚弄であろう!」

 兵士たちは武器を構え、今か今かと待っている。戦争の始まりを。世界の均衡を保っていたはずの賢者の存在が今や戦争の火種となろうとしていた。

「まずいぞ……」

 アルジールは焦ったように呟く。どちらともなく二軍の指揮官は掲げていた剣を前に立ちはだかる敵へと向ける。その時だった。カムパネルラが飛び降りた。

「剣を収めよ!」

 野太いが凛とした威圧感のある声が鳴り響く。兵の間に動揺が広がった。

「あれは夕闇の賢者殿……」

「ご無事で……」

 カムパネムラに続き、ファムたちも空から降りて来る。

「あれはさっきの悪魔の契約者……」

「何故、夕闇の賢者と」

「やはりカナンは……」

 騒めき立つ兵たちをカムパネルラは一喝した。

「まずは聞けい!この騒動を発端は黄昏の賢者、アインヒじゃ」

 その言葉に一同は息を飲む。

「アインヒは悪魔との契約者だったのじゃ」

 カムパネラの言葉にオルレアン軍が色めき立つ。

「賢者ともあろうものが悪魔と契約していたというのか!やはりカナンは滅ぶべし!国王の命に従うのみ!」

「黙るがよい!」

 カムパネルラは怯むことなく叱責した。

「その悪魔の甘言に踊らされた己が自身を見つめるがよい!」

 ファムがカムパネルラを庇うように一歩歩み出る。ファムが不死人だったことを思い知っている兵たちは思わず後ずさりする。

「黄昏の賢者は私とそしてここにいる悪魔のキースが殺した」

 続けてファムは言う。

「アインヒが悪魔に願ったのは終わらぬ戦争の続く世界だ。人間が争い続ける永劫の地獄を願った。そのためにオルレアン国王を唆した」

 アルジールもその隣で語り始めた。

「僕の母は悪魔との契約者でした。己が若さと美しさを望んだ。その対価はおびただしい少女たちの生き血。その凶行を止めてくれたのはここにいる不死人のファムさんと悪魔のキースさんです」

 戦場が静まり返る。

「悪魔が悪魔を殺しまわっているというのか……」

 乾いた声で誰かが言った。

「私は悪魔と契約した母の娘だ。母の望みは『私を死なせないこと』私が悪魔を従え、不死人となった理由だ。私はその契約を解呪するために悪魔を屠り続けている。己が死を求めて」

「悪魔は全ての人間の心のうちに潜んでおる。それは……賢者とて変わらん」

 赤い空を仰ぎ見ながらカムパネルラは言う。

「悪魔の誘惑に屈した者の末路は不幸しか生まぬ。この少年と少女のように」

 カムパネルラはオルレアンの将軍に向き直った。

「兵を引いてはくれぬか」

「夕闇の賢者殿……今の言葉を全て信じろというのですか?」

「信じてくれとは言わぬ。だがもう一度お主の主、国王に問いただして欲しいのじゃ。カナンに攻め込むのが正しいことなのか、と」

 僅かに将軍が動揺する。

「お主も国王の命が正しいことなのか疑問に思っていたのではないのか?」

「そ、それは……しかし我が国王が悪魔の囁きに耳を貸していたとは……信じられぬ!」

「信じられないのではなく、信じたくないのであろう」

 だが、言ったはずだとカムパネルラは続ける。

「悪魔は全ての人間の心のうちに潜んでおる、と。命に従うだけが忠義ではない。そうではないか?」

 ぐっと将軍は唇を噛み締めるがまだ迷いがあるようだった。

「ならばわしもオルレアンに行こうぞ」

 それに声を上げたのはアルジールだった。

「ちょっとおじいさん、のこのこ行って今度こそ殺されたどうするんですか?」

 それにカムパネルラは笑って行った。

「大丈夫じゃ、皆来てくれるじゃろう」

 言ってファムやキースを見やる。

「は?」

「え?俺も」

 ファムとキースが同時に素っ頓狂な声を上げた。

「うむ、わしは考えるのが苦手じゃからアル君が来てくれれば助かる」

「苦手というよりも面倒なだけだろ」

 ぼそっとアルジールが言った。

「それにか弱い老人じゃからのう。護衛としてファムちゃんとキース君がいてくれれば百人力じゃ」

 ファムは大袈裟にため息を付いた、

「行く気満々だね、ファム」

 揶揄するようにキースは言う。

「こんなことで死なれては寝覚めが悪いだけだ」

 苦労して助けに行ったというのに、結果はこれかとファムは呆れるばかりだった。

「ま、俺は愛するファムに付いて行くだけだけどな」

 いつものようにキースは飄々と言い、片目を瞑った。そして。

「カナンの騎士団も兵を引けい!今やオルレアンと戦う理由はないはずじゃ」

カムパネルラの声が高々に響き渡ったのだった。



 青い空と青い海がどこまでも続く。四人はオルレアンに向かう船に揺られていた。オルレアンの将軍はファムとキースが同行することに最後まで渋った。悪魔とその契約者の娘がオルレアン国王の元に行くなんてとんでもないという理由だった。だがカムパネルラは頑として聞かなかった。

「オルレアンの兵を彼女は一人でも傷つけたかのう?」

 そう言われればぐうの音も出なかったのだ。無抵抗の少女を殺そうと躍起になったのはこちら側だ。

「悪魔には悪魔のルールがある。ファムちゃんを害そうとしない限りはキース君は大人しいもんじゃよ」

 それがファムちゃんのお母さんと交わした契約じゃからのうと、カムパネルラは笑ったのだった。

「何か無駄足になっちゃいましたね」

 アルジールがファムに言った。

「まあな」

「カナンに来ればファムさんを縛る契約を解く方法が見つかるかもしれなかったのに。こんなことになってしまって」

 残念そうに言うアルジールにカムパネムラが横から口を出した。

「オルレアンでの用が済んだらまたカナンに戻ってくればよかろう」

 だがキースは言う。

「そう簡単に済むかねえ」

「どういうことだ?」

「アインヒが言っていただろう。既に全ては始まっていると。アインヒが蒔いた種はオルレアンだけじゃないってことさ」

「確かにドルモア地方も不穏な雰囲気ですし」

 アルジールは考え込む。だが、でもと顔を上げた。

「全ての芽を摘めばいいじゃないですか!」

「なに馬鹿なことを言っているんだ、アル」

 無駄な正義感に目をキラキラさせるアルジールにファムは小馬鹿にしたような目を向けた。

「だってここには賢者の最高峰、夕闇の賢者とそして悪魔を従えるファムさんがいるんですよ。出来ないことはないです」

 ファムは開いた口が塞がらなかった。キースも同様らしい。

「そうじゃな、キース君は善良な悪魔じゃからのう」

 同意したのは案の定カムパネルラだった。

「悪魔が善良なわけあるか。俺は契約に従っているだけだっつーの。ファムのことは愛しているけどね!」

 キースですら半ばやけくそ気味だ。

「今すぐ殺してやりたい……」

 殺気を隠さずにファムはキースを睨みつける。

「まあまあ」

 アルジールが宥めに入り、ファムは舌打ちした。そして意味深な視線をカムパネルラに向ける。

「あんたに訊きたいことがあった……」

「おう、なんじゃ」

「『世界の見る夢』に足を踏み入れるほどの願いとはなんだったんだ。何故それを拒むことが出来た?」

 それはずっとファムが訊きたいことだった。

「……わしが望んだのは知恵じゃ。亡国の危機に瀕している祖国を救うための全知全能のな」

 カムパネルラが水平線を見ながら懐かしそうに言う。

「対価は?」

「わしの人生」

 愉快そうにカムパネムラは笑う。

「そんなもんなら安いもんじゃねえの」

 キースがにやにやしながら言う。

「うむ、わしも一瞬考えた。だが結果は直ぐに出た」

 潮風に吹かれるカムパネルラは清々しく言った。

「わしの人生にそんな価値はないと、な」

 そう言ってがははははっと大笑いしたのだった。ファムは呆気に取られ、思わず声を上げて笑った。

「これはいい、あはははは」

 こんな風に笑ったのはどれくらい久しぶりのことだろうか。生まれて初めてのことかもしれない。ここ数日でなにもかも全てが変わってしまった気がする。そしてそれを決して不快に思っていない自分もまた確かに存在した。アルジールも腹を抱えて笑っていた。一人苦虫を潰したような顔をしているのはキースだ。

「ああ、やだやだ、こういう人間が悪魔にとって一番厄介なんだよな」

 一人を除いて笑い声が青い空に吸い込まれていく。しかし、ふとファムが真顔になった。

「キース」

 もはやキースの名を呼ぶことにも躊躇いはない。

「アインヒが言っていたことだが。『いずれ世界は目覚め、悪魔が世に放たれよう』と言っていた。何か知っているんじゃないのか」

「ああ、あれか」

 なんでもないようにキースは言う。

「伝承だよ。この世界にも伝わっているかもしれないけどさ。いずれ世界は目を覚まし、夢は終わると」

「そうなったらどうなるんだ。アインヒの言っていたとおり悪魔の世界になるのか」

「さあ」

 キースはわからないと首を振った。

「実際のところどうなるのかは、悪魔でもわからないのさ。あいつの言うとおり悪魔が跋扈する世界になるのか……それとも」

「それとも?」

「悪魔は消滅してしまうのか」

 キースは目を細めた。

「そもそも本当に世界が目覚めるかもわからない。それこそ何時かなんてわかりゃしない」

 考えても仕方のないことだとキースは言った。

「でもこれだけは確実に言える」

「何が?」

「例え夢の終わりが来ても、俺はファムと共にある」

 見たことのないような酷く穏やかな表情でキースは言った。ファムはいつものようにキースの言葉を一蹴出来ない。何を言えばいいのだろう。悪魔の言うことを真に受けてはいけないというのに。キースから目が離せなかった。波の音だけが静かに響き渡る。その沈黙を破ったのはアルジールの声だった。

「陸が見えましたよ!」

 アルジールが指差した向こうには大国オルレアン。

「おお、久しぶりじゃな。オルレアンに来るのは」

 やたらとはしゃぐカムパネルラ。どう考えても来た目的を忘れているとしか思えない。不穏な雲がオルレアン上空を包み込むようにうねっていた。また面倒ごとに巻き込まれるのには違いない。いや、もう巻き込まれている。本来の目的である己が死ぬ方法も契約を解除する方法の糸口すら見つかっていないというのに。それでも今のファムには不思議と焦りはなかった。そうだ、とファムは思う。時間だけなら幾らでもあるのだ。百年探しても無駄だった。ならばまた百年探せばいい。不思議な程に心は凪いでいた。

「やれやれ、じいさんと餓鬼の子守はまだ続きそうだな」

 キースが大げさに肩をすくめた。

「不本意だ」

 唇を尖らせるファムにキースは言う。

「でも、楽しそうだぜ」

 そんなキースにファムは一言こう言った。

「ばーか」

 けれど言葉とは裏腹にその口元には笑みが浮かんでいたのだった。


 

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