第14話 死を司るモノ

「くそっ」

 キースは悪態をついた。必死にヴァイスの攻撃を防御し躱して英知の峰の果て、果ての裂け目近くまで逃げてきたがもはや限界だった。

「地獄より吹き出せし業火よ。我が前の敵を焼き払い給え」

 契約者であるアインヒが悪魔の力を引き出す言霊を口ずさむ。途端にヴァイスからマグマのように嘗め尽くす炎がキースに襲いかかる。

「ちっ!」

 躱し切れないと判断したキースは防御するが、再びアインヒが言霊を紡いだ。

「鉄よ、鍛え上げられし赤き鉄よ。矢と成りて降り注げ」

 瞬間、無数の鉄の矢が文字通り雨のように降り注ぐ。さすがに躱し切れずにキースは串刺しになった。堪らずにキースはその場に倒れ伏す。

「どんなに力ある悪魔と言えど契約者がいなければ赤子同然」

 悪魔は契約者の望みをその力を持って叶える。対価と引き換えという前提があるが。それは契約者の望みを叶えること、または契約者の身を守る以外では無闇に力を行使出来ないということも意味する。それは悪魔の枷だった。さもなくばとっくにこの世界は悪魔が跋扈しているだろう。悪魔は人間には計り知れない力を持つ。だがその力を行使するには契約者の存在が必要不可欠なのだ。契約者が言霊を謳うことで悪魔はその真の力を発揮する。

 ファムが傍らにいないキースはこの悪魔に対してほぼ無力も同然だった。ファムは正確にはキースの契約者ではない。だが『ファムを守り死なせない』という特殊な契約内容はファムの母親が持つべきものだった悪魔の言霊をファムは自然に継承していた。ファムの命を守るためには絶対の条件だったからだ、そのためファムは己が身に危険が迫ると自身の意志とは裏腹に言霊を紡ぎキースの力を引き出す外はないのだ。低レベルの悪魔ならキース一人でもどうにでもなる。だがこの悪魔は違った。キースと同等、もしくはそれ以上の力を持つ悪魔だった。ファムがいない今、キースは嬲り殺される他はない。

「まだ生きているのですか、しぶといですね」

 アインヒの呆れたような声がキースの真上から振ってきた。

「止めをさせ。ヴァイス」

 ヴァイスがゆくりと燃えローブの下から腕を振り上げる。その手には真っ赤に燃える鉄の刃が握られていた。それがキースの心臓目がけて振り下ろされる。その時だった。一本の剣がアインヒへと投げつけられた。ヴァイスはキースに止めを刺すのを一端放棄し、アインヒを庇う。ヴァイスの胸に刺さった剣は瞬く間に熱でどろりと溶けた。

「誰だ!」

 アインヒが声を上げると真上からひらりと一人の少女が舞い降りてきた。深紅の髪がふわりとウェーブを描く。ファムだった。

「キース、酷い有様だな」

 ファムは不愛想に言った。

「ファム……」

 その顔は何故という疑問に満ちていた。放っておけば彼女の望み通り死ねたはずだ。

「勘違いするなよ。お前と心中するのが嫌になっただけのことだ」

 ふんとファムはいつも通り鼻を鳴らした。

「良くやったのう、アル君」

 カムパネルラはふらふらになったアルジールを支えながら、包帯で手首から流れる血を止血していた。

「風の術式でここまで来たのか」

 忌々し気にアインヒはアルジールとカムパネルラを睨みつけた。

「その小僧を先に殺しておくべきだったな」

 だが、まあいいと気を取り直したかのように言った。

「カムパネルラもいるとは好都合、四人まとめて殺してやる!」

「もうよさんか!何故そこまでする」

 カムパネルラが制止の声を上げる。

「カムパネルラ、あなたは何故この醜き世界をそこまで愛するのだ。そんなあなたが私は憎くて堪らない!」

 それにカムパネルラは静かに言う。

「おぬしは朝焼けの美しさを知らぬのか」

「あの燃えるような朝焼けは醜悪なこの世界を焼き清める炎だ!私に火と鉄でもって焼き払えと言っているのだ!」

 アインヒの呪詛は止まらない。

「朝焼けのような赤き戦火の中……私の母は死んだ!忘れようとしても忘れられない!否、忘れるべきではないのだ!私はこれが人間なのだと知った。私は母の亡骸を抱いて復讐を誓った!世界に復讐するのだ!愚かなる人間は己が同士で殺し合い続けよと……その誓いを立てた時、私は『夢見る世界』へと足を踏み入れていた。そしてこのヴァイスと出会い、契約をしたのだ」

 アインヒは哄笑した。呻くような笑いだった。

「母親を愛しておったのだな」

 カムパネルラは凪いだ海のように言う。

「それがどうした」

「深い愛故に世界を憎悪するまでになったのじゃな」

「何が言いたい」

 アインヒは不快そうに眉を顰める。

「そこまで人を愛せるお主は……本当は誰よりも優しい人間じゃ」

 その言葉を聞いた瞬間、アインヒは激高した。

「殺す……!皆殺しだ!」

 端正な顔を憎悪に歪めて言霊を呟き始めたアインヒを見ながら、ファムはキースに目をやる。

「勝てるか?」

「やってみなきゃわかんないねえ」

 片膝を付き、突き刺さった鉄の矢を抜きながらキースは答えた。

「なら、やるだけだな」

「そうだな」

 ファムが気に入らないというように言う。

「初めて意見が合ったな」

「嬉しいね」

 キースはにこりと笑って片目を瞑った。勿論ファムは見ない振りだ。

「んじゃ、行きますか」

 キースのその言葉を合図にファムは駆けだす。

「カムパネルラ!アルを頼んだ!」

 カムパネルラの前に飛び出し、アインヒ、そして『火と鉄を司るモノ』ヴァイスと対峙した。そして意を決して言霊を早口に紡ぎ出す。生まれて初めて己が意志でファムは言霊を紡いだ。


「静かなる葬列に雨が降る」

 キースの身体が黒い霞状になり、ぼやけて霧散していく。


「我が炎は醜悪なる世界を浄化する聖なる炎なり」

 アインヒの言霊によって、ヴァイスの身体が燃え上がりぐにゃりと歪む。


「雨と共に死が来たらん」

 霞状となったキースはするするとファムの手に収まり、巨大な漆黒の鎌となった。


「最後の鐘が鳴り、鉄は鋼の刃とならん」

 炎の化身と化したヴァイスは燃え盛る剣となってアインヒの手に。


「雨と死は慈悲深く全てのモノに降り注ぎ、その名もなき墓標を祝福せり」

「鉄と火を持って愚かなる全てのモノに永劫の苦しみと災いあれ」


 言霊が同時に終わり、世界が赤と黒に包まれた、ように見えた。二人の身体から悪魔の瘴気が吹き出す。それは天へと上り、巨大な赤と黒い瘴気が混じり合い暗雲を形作った。黒い瘴気を纏い漆黒の大鎌をファムは声もなく戸惑うことなく振り下ろす。アインヒもまた真っ赤に燃え盛る大剣を勢いよく振りかぶった。そしてそれはぶつかり合い拮抗する。

「私が負けるわけがない……!」

 炎の剣の火力が増す。

「私の憎悪が負ける訳がないのだ!」

 それは赤子が泣き叫んでいるかのようだった。ファムもまた憎んでいる。不死人にしたキースを、契約者となった母を。きっと自分の憎悪はこの男の足元にも及ばないだろう。世界を呪い憎悪するまでになったこの男には。愛を知るこの男の憎悪に愛を知らぬファムの憎しみが勝てる訳がないのだ。

 けれど、とファムは思う。背後でこの戦いを固唾を飲んで見守っているであろう、カムパネルラとアルジールのことを。

(私は今、憎しみのために戦っているのではない……!)

 だから、負ける訳にはいかない。それはファムにとって生まれて初めてのことだった。ファムは更に言霊を重ねる。

「雨と死は平等に降り注がん!何人たりとも避けられぬ!」

 ファムの大鎌が徐々に焼け付く剣に滑り込んでいく。悪魔と悪魔の戦いは純粋な力勝負だ。そこに技術も技巧もなにもない。己が願望が強ければ強いほど、高レベルの悪魔と契約することが出来る。それはすなわち……

「私の憎しみが……負けるはずが……!」

「死からは誰も逃れられない」

 ファムは一言そう言うと力を込めた。炎の剣は真っ二つとなり霧散する。そしてあっさりと黒い鎌はアインヒの胸に突き刺さった。勝ったのはファムだった。

「そんな、馬鹿な」

 どうっとアインヒは倒れ伏した。憎悪に歪んだ男の顔を見ながらファムは思う。

(強かったのか……この世界を呪うほどのこの男の憎悪より……私の母が願いの方が……そういうことなのか……)

 たった一人の我が子を死なせなくないと願った、母という存在は、世界を呪う男の憎悪を上回るものだったか。複雑な気持ちでファムが佇んでいると背後から声がかけられた。

「ファムさん!」

「アル……大丈夫か」

「はは、なんとか」

 顔色は悪いがアルジールの命に別状はないようだった。

「無茶をする」

 ここまで風の術式で自分たちを運ぶのに相当の血を失ったはずだ。自分がやると言い出したのはアルジールだったのだ。

「んじゃ、これで終わりだな」

 いつの間にか人の姿に戻ったキースが立っていた。

「……終わりではない」

 深手を負いながらもよろりとアインヒは立ち上がった。

「契約した悪魔が消滅したんだ、あんたは死ぬだけだ」

 だが、アインヒはにやりと笑った。

「終わりではない!これは始まりなのだ!」

 アインヒの身体が燃え上がった。自分自身に術式の火を放ったのだ。燃え盛る炎の中でアインヒは高らかに言う。

「既に全ては始まっている!争いの種は最初から人の中にあるのだ!私はただそれに水をやっただけだ。私がいなくとも世界は戦火と血の花で彩られるだろう!いずれ世界は目覚め、悪魔が世に放たれよう!人の欲望を叶え続ける悪魔の世界が生まれるのだ!」

 そして最後にこう言った。

「世界と全ての人間に災いあれ」

 地獄でゆっくり見物させてもらおう。

 アインヒは哄笑しながら果ての裂け目へ身を投げた。深い絶壁の底からいつまでもアインヒの笑い声が響いていた。果ての裂け目に立ちながらカムパネルラはぽつりと言った。アインヒの消えた崖の底を見つめながら。そこには深淵が広がっている。

「アインヒは、カナンに来た時。それは希望に満ち溢れた青年だった。この世界を良くしたいのだと言っておった。そして母に喜んで欲しいと。だが故郷が戦火に見舞われたという便りを受け取り……故郷から戻ってきた彼は、全てに絶望した顔をしておった」

 カムパネムラは静かに続ける。

「世界と母を愛する本当に優しい人間だったんじゃ」

 カムパネルラの悔悟の念を悟ったのか、アルジールが声をかける。

「おじいさんのせいじゃない。あの人が選んだ結末です。悪魔と契約した時、彼は自分の中の愛する心を殺したんです。僕の母のように」

 ファムは天を仰いだ。夜が明けようとしていた。英知の峰から太陽が顔を出す。真っ赤に世界が染まっていく。朝焼けが世界を照らし出す。誰にでも訪れる朝。世界を憎む者にも世界を愛する者にも誰にでもそれは平等に。


 ああ、世界はこんなにも残酷なまでに美しい。


 幾度となく見た朝焼け。

 けれど本当の朝焼けをファムは初めて見たような気がした。


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