第13話 ファムとキース
ファムが立ち去った後、キースはしばし呆然としていた。
(あのファムが……)
名を呼ぶことさえ忌み嫌い憎悪していた自分に力を貸して欲しいと懇願した。しかも他人を助けるために。生まれて初めて力を貸して欲しいという動機が他者を助けるためだとは。
「面白くないね……」
ファムが見ているのは自分だけのはずだった。それが憎悪だったとしても。ファムの世界には自分しかいなかった。自分が全てだった。それでよかったのだ。世界はただ二人だけで回っていた。爛々と輝くファムの紫の瞳を思い出す。あれは自分だけのものだ。そうでなくてはならない。この世界に他人が入ることなどあってはならないことだったのに。軽々しく二人の同行を許してしまった自分を呪う。
自分を殺し自身も死ぬことしかファムは興味がなかった。他者に関心などファムはなかった。
『お前はなにもわかっていない』
ファムの言葉が脳裏に過る。
「……人間は不条理だな」
それは不死人(インモータル)のファムとて例外ではなかったということか。キースは自嘲気味に笑った。その時だった。
「お一人ですか?」
唐突に背後から声がかけられた。キースは咄嗟に距離を取って振り返った。そこに涼やかに立っていたのはアインヒ、黄昏の賢者だった。まさかここまで近寄られて気配を感じなかったとは。
『アインヒ、黄昏の賢者を探しておいて欲しい……少し気になることがある』
ファムの言葉が思い出される。理由を訊いておけばよかったと思うが、もう遅い。出来るだけ冷静を装ってキースは言う。
「ええ、まあ。でもあんたを探していたので良かったよ」
「お一人ということですね」
アインヒが笑みを深くする。
「実に好都合です」
「それはどういう意味だ」
「消去法ですよ」
全く噛み合わない会話をアインヒは一方的に続けた。
「契約者であるクラウディアの女領主が殺された。それでは悪魔を滅ぼしたのは誰か。夕闇の賢者殿は最初から除外される。息子であったアルジールという少年も違う。そうならもっと早く女領主を殺していたはずですから。となると残るはあの少女とあなた」
「何が言いたいんだ」
「しかし彼女は二人を助けに行った。悪魔がこんなことをするわけがない」
カランと大理石の床に音が響く。アインヒが五大賢者の象徴である黄金の杖を投げ捨てたのだ。そして更にブローチも投げ捨てる。
「なにをしているんだ?」
その行為が異常であることはキースでもわかった。
「放っておいてもよかったのですが……私は慎重な人間でして」
アインヒがキースを見つめる。笑みを浮かべているが、その目は底のない井戸のようだった。
「不安材料の芽は摘んでおかないと」
ゆらりと陽炎のようにアインヒの姿が揺れた。
「契約者と離れるとはこれぞ好機」
アインヒの横には真っ赤に焼けただれた顔を持つ『悪魔』が立っていた。血のように赤いマントを羽織っている。裾がゆらゆらと揺らめいているのは炎の熱だ。マントは激しい炎で燃え上がっていた。
「『火と鉄を司るモノ、ヴァイナ』」
炎の悪魔が名乗る。
「我が願いを邪魔する可能性のある『悪魔』だ」
アインヒは端的に命を下した。
「殺せ」
業火が炸裂し、城の片隅が吹き飛んだ。
「全く、こんな所に閉じ込めるなんて」
アルジールは悪態をついた。アルジールの腕には魔術を封じる銀の腕輪が嵌められていた。
「客人に茶の一杯も出さんとはのう」
「そういう問題じゃないでしょう!」
どこまでも脳天気なカムパネルラにアルジールは腹が立った。この船室の底に閉じ込められたことよりもだ。二人はオルレアンの母船に来た途端、ここに連れ込まれたのだ。人質のつもりなのだと直ぐにわかった。護衛の人間はきっと殺されているだろう。
「夕闇の賢者を人質に取るなんて……」
全くなんて奴らだとアルジールは思う。さすがに賢者を殺すとは思えない……思いたくはない。そんなことをすればオルレアンの大義名分は木っ端微塵に消え去る。数ある同盟国から同盟を破棄されるのは目に見えていた。幾ら大国とはいえ国交がなくなり孤立無援になれば、残された道は亡国のみだ。いくらなんでもそんな下手を打つとは思えない。
「だといいんですけど……」
アルジールは独り言ちた。カムパネルラは大あくびをするとごろりと横になった。寝るつもりらしい。この状況で眠れるカムパネラの無神経さが羨ましい。この船室に閉じ込められてどれだけ経ったのか。そう長くはないとは思う。だが酷く疲れていた。アルジールとて横になって眠りたい。だがなにが起きるかわからない状況で眠れるほどアルジールの神経は太くなかった。せめてもと思い、船室の壁に背を預けて目を瞑った。少しでも休めることを祈って。
ぐーか、ぐーかとカムパネルラの鼾が響く船室で異質な音が聞こえた。ぎし、ぎしという音。船底へ誰かが下りて来る。アルジールははっとして目を開けた。慌てて気持ちよさそうに大の字になっているカムパネルラを叩き起こした。
「おじいさん、起きて下さい!」
「んむにゃ、飯かのう」
ばこんと脳天に一発拳骨を落とす。
「誰か来ます!」
「ようやく飯か」
むっくりと見当違いのこと言いながらカムパネムラは起き上がった。ぎしぎしと船室の前でその足音が止まる。そしてぎいっと木の扉が開いた。立っていたのは漆黒のフードを頭からすっぽりと被った男だ。まるで死神のようだとアルジールは思った。そしてそれはあながち間違いではなかった。男は片手に巨大な処刑剣を持っていたのだ。罪人を斬首するための剣である。それを見てアルジールは意図することを知り青褪めた。魔術を封じられた自分が今抵抗する術はない。
「苦しみたくなければ動くな」
くぐもった男の声が船室内に木霊する。
「国王の命により、貴様たちを処刑する」
「夕闇の賢者とその弟子を殺したとなれば、オルレアンの立場がどうなるかわかっているのですか」
アルジールは恐怖を叱咤にして男を睨みつけた。
「殺すのは私でもオルレアンでもない。ガノアですよ」
「何だって!?」
「ガノアのスパイが潜り込んで夕闇の賢者とその弟子を殺した」
それだけのこと、と男はくくくっ笑う。
「オルレアンは正義の名の元にガノアを滅ぼし、オルレアンの血を引くものが新しい王となる。それだけのことです」
「そこまでして戦争がしたいのか!」
アルジールが激高する。あまりにも身勝手な理由で自分たちを殺そうとする、この男とオルレアンに。
「オルレアンとガノアのような大国がぶつかり合えばどうなるか……わかっているだろう」
ほぼ拮抗する軍事力を持つ二国だ。戦争は長引くだろう、国土は戦場となり、多くの人々が住む場所を失い難民となってしまう。オルレアンとガノアだけではない。周辺諸国もオルレアンにつくかガノアにつくかで揉めることになるだろう。
「どのみちもはや戦争は避けられませんよ。オルレアンの為の生贄になってもらいます。それが最善の道だとあの方もおっしゃっておりました。国王もそして私も同意です」
「あの方!?」
アルジールは悟った。唆した誰かが背後にいる。
「誰だ!?それは」
「知る必要はありません。賢者の導きにより神の御許へと」
処刑される人間へと贈るお決まりの台詞を述べ、男はその処刑剣をアルジールの細い首へと振り下ろした。
「がっ」
だが倒れ伏したのは、男の方だった。倒れた黒衣の男の背後には真っ赤な髪をした少女が立っていた。ファムだった。
「ファムさん!」
「おお!来てくれたのじゃな」
ファムは唇に指を当てた。静かにしろと口に出さずに言う。ファムは黒衣の男を縛りあげる。
「……殺さなかったのですか?」
「殺せばお前たちの立場が悪くなる」
ファムは淡々と答えた。
「来てくれると信じておったぞ」
軽い口調でカムパネルラが言うが、それが本音であることをアルジールにはわかっていた。必ずファムは来てくれると。だから黒衣の男が来てもカムパネルラはただその動向を見ていただけだったのだ。
「ラッキーだな」
男を縛っていたファムは小さな鍵を見つけた。
「あ、もしかして」
「多分な」
ファムはアルジールに嵌められた腕輪の鍵穴にその鍵を差し込んだ。かちりと小さな音がして腕輪は難なく外れる。
「やった!」
これで魔術が行使出来る。
「それにしてもどうやってここまで?船の周りはオルレアンの軍隊が取り巻いていたでしょう」
「ああ、それにカナンの騎士団もな」
「え?」
「オルレアンはカナンに攻め込むつもりだ。今どちらも睨み合っている」
「じゃあ、猶更どうやってここまで……」
「真っ直ぐ抜けてきた、時間がなかったからな」
何でもないことのようにファムは言う。
「無茶をするのう」
呆れたようにカムパネムラは言った。
「仕方なかった。誰も殺さなかったが、脅すために私が不死人だということを見せつけた。勝手に悪魔と契約したと勘違いしてくれたがな」
オルレアンにカナンが悪魔を囲っている堕落した神聖カナンに攻め込むという名目を作ってしまったがとファムが吐き捨てるように言った。その時、はっとしたようにアルジールが言う。
「矛盾がある……」
アルジールはぽつりという。
「この男は僕らがガノアのスパイに殺されたことにすると言っていたんです。そうすれば夕闇の賢者を殺したガノアに対して攻め込む大義名分が出来ると。ガノアに攻め込むだけならそれで十分だったはすです。でも、オルレアンはガノアの王位継承権を認めさせるためにカナンに乗り込んできました。そもそもあの書状の内容からして矛盾しているんです。戦えば騎士団が負けるのは確実。そうなればカナンの権威は失墜してしまいます」
「カナンの権威を利用しようとしているのに、その権威を失墜させようとする行動を取っておるというわけじゃな」
カムパネルラの言葉にアルジールは頷く。
「カナンが滅びても直ぐ賢者の権威がなくなるわけじゃありません。賢者たちは世界中に散らばるでしょう。賢者を手に入れた国々はそれを利用するに違いありません。世界中に戦争の火種が巻かれてしまいます。オルレアンに攻め込む国も出て来るでしょう。オルレアンにとって得することは何もないはずです」
「軍勢を率いてきたのはただの脅しじゃなかったのか」
ファムの疑問にアルジールはええと言った。
「あれだけの軍隊を実際に引き連れて来たんですよ。本気で最初からカナンを攻めるつもりだったんです。脅すだけなら書状一通で十分です。それで夕闇の賢者を誘い出して殺せば良かったんです」
「どういうことなんだ?」
ファムの問いにアルジールは首を振る。
「わかりません。ただ戦争の理由や目的はどうでもいい……ただまるで戦争をしたがっているだけのような」
アルジールは少し考える。
「あの方と言っていました。オルレアンを、唆した誰かがいる」
「諭した、誰か……」
ファムはしばし考える。
「気になる奴が……」
「心当たりが?」
「確証はない、が」
だがファムの勘が告げていた。間違いないと。
「黄昏の賢者のアインヒだ」
「!」
アルジールが驚きのあまり声を失う。
「そんな、まさか……賢者が。しかも五大賢者の一人が」
「その当の本人が言っていた。『悪魔との契約者が、戦争を望んだ』と」
「それが黄昏の賢者本人だと?戦争を望み、悪魔と契約したと、ファムさんは思っているのですか」
ファムは頷いた。
「それから理由はわからないが、カムパネルラはアインヒに大分恨まれているようだ」
「わしがか?」
「ああ、これみよがしに忌々しいとまで言っていた」
「ふうむ、恨まれるようなことをした覚えはないんじゃがのう」
カムパネルラは白い髭を擦る。確かにカムパネルラは面倒臭い。けれど疲れるとは思われても他人に恨まれるような人間ではない。だがファムはカムパネルラにどうしても訊きたいこと、訊かねばならないことがあった。そしてそれがアインヒがカムパネルラを恨む理由に繋がるっているような気がしてならないのだ。
「カムパネルラに訊きたいことがある」
「構わんが、わしは頭が悪くてのう。どこまでファムちゃんの問いに答えられるかのう」
そしてファムはこののんべんだらりとした一面以外にも他の顔があると知っている。
「ラルクシュールの国王だったと聞いた」
「え!?」
アルジールは驚きの声を上げる。
「あの大国ラルクシュールの!?」
「それよりも私が訊きたいのは、カムパネルラお前は本当に『夢見るモノ』なのか?『世界の見る夢』で悪魔に出会ったのか?」
ファムは縋るような目でカムパネルラを見た。カムパネルラがそれに答えようと口を開いた時だった。ドオンというまるで花火が上がるような音が聞こえた。
「船の外だ!」
アルジールが飛び出して行く。
「馬鹿!不用意に出るな」
ファムが制止の声を上げ、舌打ちしてその後を追う。苦労して誰も殺さずにここまで忍び込んで来たのがこのままではパアだ。だが甲板にいる兵士たちは誰もファムたちに気付いた様子はなかった。誰もが唖然と空を見上げていた。日がとっぷりと暮れた夜の空に炎の花が咲いていた。咲いては消え、咲いては消える。まるで本当の花火のようだった。だが花火でなどでないことにファムにはわかる。誰かが誰かを魔術のようなもので攻撃しているのだ。それも尋常なエネルギーではない。そもそも人間の魔術師がこれほど高火力の魔術を幾度も放てるわけがない。
「悪魔……」
ファムは思わず呟いた。
「英知の峰の方じゃな」
カムパネルラが言う。それはオスティーヌ大陸にある切り立った峰々のことだ。そこに賢者の住む城がある。英知の峰の向こう側には果ての裂け目が存在する。先の見えない裂け目が広がっており、その深さすらわかっていない。そこを『果ての裂け目』という。その裂け目は世界の見る夢と繋がってという噂すらあるが、確かめようもない。
「ここからでも見えるなんて、人間の魔術師の仕業じゃない」
魔術を使うアルジールにはいち早くそれに気付いたらしい。
「ああ、おそらく一方はキースだ」
ファムがそう言うと、アルジールが訊いてくる。
「どっちがでしょう?」
攻撃している側か、攻撃されている側か。
「わからない」
けれどとファムは続ける。
「どちらにせよ、キースが苦戦する相手だ。このままならキースは殺される」
「え!?」
アルジールは目を見開く。知らず知らずにファムは唇噛んでいた。
「このままならと言ったな、ファムちゃん」
カムパネルラがファムに静かに語り掛ける。
「キース君を助ける方法を知っておるんじゃないか?」
「知っているとしても私がそれを実行するとでも」
ファムはカムパネルラを見つめた。夜空では変わらず攻防が続いている。傍から見ればそれそれは綺麗な花火だ。それに照らされてファムの赤い髪が煌めいては陰りを落とす。
「私はキースを殺すことだけを考えて百年旅をして来たんだ」
ここでキースを見放せばあの悪魔は死ぬ。そして自分もようやく解放されるのだ。これは好機だ。千載一遇の好機だ。自分はなにもしなくていい。ただこうしてキースが殺されるのを待っていればいいのだ。それなのに、何故。
「何故、ファムちゃんの手は震えておるのかね」
ファムは思わず左手を右手で掴む。確かにその手は震えていた。
「くそっ、なんで」
思わず悪態をつく。
「なんで!?」
カムパネルラは震えるファムの手に己の手を置いた。ごつごつした無骨な手だった、だが温かい。
「百年と言っておるな。その百年、本当に憎しみしかなかったのかのう?」
ファムははっとしてカムパネルラの顔を見る。何もかも見透かすような緑の瞳だ。そんな春の新緑のような瞳はとても老人のものとは思えなかった。
「ファムちゃんがどんな選択を選んでもわしらは攻めんよ。最後の最後まで。旅の最後まで付き合おう。そういう約束じゃったからのう」
ファムは思わず目を逸らし、再び夜空を見上げた。花火が咲いては消え、咲いては散る。
「私は……私は……」
ファムは唇を戦慄かせた。
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