夢でも変わらぬ君の涙。
志賀福 江乃
第1話
こんな夢を見た。
まぁ、中学生の頃だけど。そういうと彼は懐かしむような顔で笑う。幼馴染だが、会うのは久しい。
彼は昔よりも生き生きしていた。立派に生えた髭が、彼の渋い雰囲気を醸し出す。どっしりと椅子に座って、珈琲を飲む姿は、どこかの威厳がある。
にこり、と笑うと珈琲カップを優雅に持って、ひとくち飲む。洋画を見ているような気分になりながら、私も同じように珈琲を口にした。暖かい光を持ったランプがぼんやり部屋を照らす。
今だから言えるのだけどね。
そう話し始めた彼の声に耳を澄ませる。
私達は陸上競技部だったろう? そのことは忘れてないだろうね。まぁ、忘れるわけがないか。私達の青春時代は、いつだって走っていたのだから。うん、1年生の頃は特に楽しかったよ。先輩と先生たちに守られて、のびのび走って。あの頃は私が誰よりも早かったね。皆を置いていってずんずん走っていくのは気持ちが良かった。あぁ、そんな顔をしないでくれ、友よ。君がそんな顔をしてくれるのを私は凄く嬉しく感じるよ。いつだって君は本当に優しい。
先輩達が引退したあと、彼らは私に、お前が次の主将だ、柱だ、なんて声を掛けていった。その時私は、柱に縛り付けられて、その柱を持ち上げられて見世物にされているようだと思った。羽根をもがれた鳥だった。
3年生になって、大会が近づいてきた。その頃私は、思うように走れなくなっていたんだ。責任が重くて仕方なかった。隣で思う存分走る君を羨ましく思っていた。そして、ある夢を見るようになった。
男が追いかけてくる夢だった。最初は、私に追いつけるわけ無いだろう、と余裕綽々、気楽に走った。けど、それが毎日続いていくんだ。どんどん男は、近づいてくる。私は焦ったよ。追いつかれたら、殺されるのかもしれない。そう思うと怖くてたまらなくなった。夢が一週間後に足枷が付き、二週間後には、道が泥濘んだ。
そして、三週間目。男が手を伸ばせば届きそうなほどの距離まで来ていたんだ。嫌だ、やめてくれ! そう叫びながら、走った。ベチャベチャと泥に足を取られそうになって、うざったい。どこかに整備された道はないかと探せば、ずっと先にコンクリートが見えてきたんだ。そこを目掛けて一目散に走った。
その時、眩い光に私は包まれた。
プーッ!
ブチンッ!
その道は車が行き交う道路だった。私は跳ね飛ばされたよ。飛ばされているときに男の顔を初めてまともに見た。
君だった。
私をずっと追いかけていたのは。
夢の中で君は泣いていた。
ここまで言えば君はわかるかい。そう、この夢を見たのはあの日さ。私のアキレス腱が切れた日。はねられた時、ドン、という音じゃなくて、ブチッていう音だったのは、アキレス腱が切れる音だったんだよ。私はこのとき全てに解放されたんだ。あぁ、もう走らなくていいんだ。走ることが大好きだったのに、それはもう私にとって嫌なものになってしまっていた。やめたいと言えなかったから、怪我をしてラッキーとも思っていたし、まだ走りたい、早くなりたいっていう気持ちももちろんあった。でもこれ以上、走ることを嫌いになりたくなかったから、良かったのかもしれない。選手生命が切れたとき、君が泣いてくれたのをよく覚えている。君は夢と全くおんなじ顔をしていたよ。悲しさやほんの少しの嬉しさでゴッチャゴチャになった私は泣けなかった。そんな私の代わりに君が優しくて綺麗な涙を流してくれた。君の走りが大好きなのにって。
そこまで話すと彼はもう一度珈琲を飲んだ。
私を追いかけてくれたのが君でよかった。君が夢でも現実でもあんなに涙を流してくれたんだもの。
そう笑う彼に私はなんと答えればいいかわからない。ただ、昔のようにまた彼の走る姿をみたい、と思った。
夢でも変わらぬ君の涙。 志賀福 江乃 @shiganeena
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