9.

「雪に、なりそうね」

 夕方、そう言って智子は帰っていった。タクシーが去る音と同時に降り始めた雪は、やがて東京の空一面に広がっていく。碧は部屋の灯りを点けず、窓越しに街じゅうに落ちていく白いレースのベールを見ていた。

 突然、背後でドアが開く音がして振り向く。と、鉄砲玉のように灰色の毛玉が碧の胸に飛び込んできた。

「…こねこ??」

 抱きあげて玄関へ行くと、怪訝そうにロックを確かめる貴希がいる。

「わぁっ!! 何であんたが家ん中にいるんだよ?」

「コート返しに来たら、智子さんがいれてくれたのよ」

「さとこ…なんでさとこが??」

貴希の目が一瞬きつくなる。

「新しいCD聞いたんだって。そしたらどうしていいかわかんないぐらい切なくなって。つい駆け付けてしまったけど、何も言ってあげられない自分が見えてしまってつらいって」

それを聞いていきなり、貴希は玄関のドアの外に、出ていってしまった。

「何やってんのよ、ばかね。また熱出るわよ!!」

 中から強く押しても動かない。外から押し返しているのだろう。

「開けるなったら、開けるな!!」

「どーしたのよ? あなたの家はここでしょ?」

「ファンの女の子に、アイドルが泣き顔見せられるか?!」

 貴希の掠れた声が、分厚い扉越しに伝わってくる。力が抜けたすきに、ドアを強く押すと、うつむく貴希の姿が目の前にあった。

「とりあえず、今はあたしの名前を忘れましょう。貴希君。あたしはファンでも恋人でもないよ。強いて例えれば嘆きの壁」

 冷えきったコートの背を押して部屋の中に入らせる。

「男は、悲しいことは自分一人で乗り越えるものだ」

「いじっぱりー! 悲しい事は、人と分け合う方が早く立ち直れるの!! それに今日はこの子が一緒だから、三分の一!」

 下の植え込みで震えてたんだ、と鼻声で笑う。ほら、気持ちが軽くなったでしょうと碧も笑う。

「ずーっと我慢してたんだね。そんなに好きだったんだね」

ぽつんと碧が呟くと、貴希の目から泉のように涙が止まらなくなる。始めは恐る恐る、やがてしっかりと、碧は貴希の頭を抱きよせ、髪を撫でてやった。いつも晴都がしてくれるように。…そして、貴希の膝には、拾ったばかりの子猫が頬を擦り寄せている。


《act3 『彼女は私の両手を待ってます。』に続く》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

BE WITH YOU :Act2 君へのRESISTANCE 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ