第12話 弥助考察

 ちょっとどこに書くかイマイチ思いつかなかったので、ここで弥助についての考察をしていこうと思います。


 実は僕自身も欧米で弥助が人気になってると聞いて、弥助の物語を書こうと考えたこともあったのでその時の考察になります。


 まず、弥助の身分についてですが、『モザンビーク出身の黒人奴隷』から始まっていることはほぼ間違いないと思っております。

 そして、『インドにて奴隷同士を戦わせるレスリングのチャンピオンになった』というのはちょっと眉唾ですが、インドでそういった競技をする奴隷だったのは間違いないかなっと思ってます。


 そして、宣教師に買われて日本にわたり、そこで織田信長に仕えることになります。


 この時の身分については以下の通りです。


 侍 △

 使用人 ◎

 奴隷 ×


 順を追って説明しますと、弥助が奴隷として信長に仕えた可能性はほぼゼロに等しいと考えています。

 そもそも信長は奴隷を良しとしておらず、身分の高い人は奴隷を雇わないというのが日本の武士の基本です。

 というのも身分が高い人ほど仕える人が相応の身分の人以外は選ばれることは無く、仮に最初が奴隷であっても仕えた時点で庶民と同等になります。

 ですので、奴隷のままというのはあり得ない。


 ただ、侍というには少々不確定要素が多すぎる。


 屋敷と刀を与えられているのに苗字を許されていない。

 これは不可解な対応で、侍としては扱われていなかったとみるのが妥当なんですが、それにしてはやたらと厚遇されている。


 土地と家屋が与えられるほどの立場でありながら侍ではない。


 実はこの点に関して、一個だけ、僕個人がこれはと思う説があります。


 弥助はお抱え力士説


 実はこう考えるとほとんどの辻褄が合うんです。

 侍でもないのに厚遇されたのは織田陣営の代表として相撲を取ったから。

 信長をタニマチと考えて、弥助を力士と考えたなら物凄くしっくりくるんですね。


 屋敷や刀を渡したのも当然で、当時力士は神前で相撲を取る大事なお仕事があります。

 特に信長は相撲が大好きで、レスリングや相撲に強かったという弥助の評価もしっくりきます。

 

 何故そんな評価だけがあるのかと言えば相撲取るのが仕事だったから。


 甲斐に一緒に行った理由も「相撲を取る可能性があったから」

 武田家を滅ぼしてから、土地の人心を得るために相撲大会を開いたりする必然があったのかもしれません。


 おそらくですが、織田陣営にはお抱え力士が数人居たのでしょう。

 と言うか、相撲好きな信長がお抱え力士を持たないはずがありません。

 ただ、この辺は記録に残っているのが、使用人として扶持を貰っていただけになっているのでしょう。


 と言うのも当時は明確にお抱え力士という考えがあったとは言い難く、土地相撲と呼ばれる神事の相撲が多く、巡業する力士も見物人の飛び入り参加で戦うというのが多かった。

 

 そこで活躍するのが弥助です。


 背が高く、顔も良く、黒く輝く体で信長の代表として相撲を取る弥助は色々と好都合だったんでしょう。

 弥助が勝つたびに「流石信長様。あんなに強い異人を手下にしているとは」って感じで信長の面目を大いに保っていたのでしょう。

 

 また、良くも悪くも相撲は地面があればどこでも出来ます。

 ちょっとした宴会の余興に庭で相撲を取るときの為に弥助は信長から離れなかったのでしょう。


 こう考えると恐ろしく辻褄が合う。


 もっとも、当時に資料に『お抱え力士』がわかる資料があるのなら、僕の説も間違いなのかもしれないのですが、僕個人はこう考えています。


 ちょっと今の弥助問題に変なノイズが入りそうなので、こんな感じで考えてますよってぐらいに聞いてください。


 また、それは違うと言う批判や「こんな資料有るよ?」って方はどんどんご意見お願いします。

 知らない事も多いので、大いに議論交わしたいです。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駄文 剣乃 和也 @asayan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ