影踏

桃色

霜月

夕方の鐘が鳴ると同時に本を閉じて

柑子色を押し上げた。


「ずっと一緒にいようね」

そんな月並みな言葉を終尾とし物語は終わった。

砂を噛むような恋物語だったな。

『積ん読』という言葉があるが

まあそれとは別に中々手につかない本だった。

読み返すことはもうないだろう。


ーそろそろ帰ろっか。


そう彼に告げて

腰を上げると北風に吹かれた。


ー風ってこんなに冷たかったっけ?


ふわっと笑うと急に寂しくなった。

目の前にいる彼も同じ気持ちで

同じ顔をしているだろう。


ーどうして、置いていったのさ。


初めての怒りは

空気に白く溶けて消散した。


この道はいつもあの子と二人で歩いていた

はずだった。

樹の色や空の表情について

揺蕩うような気持ちで言葉を持ち寄っていた。

世界が遠くまでよく見えた。

あの子の笑窪がよく見えた。

下を向く暇なんて一切無かった。

全てが新しくて、唯一幸せを感じられる時間だった。

彼の事なんて気にも留めなかった。


だからあの子が隣から居なくなって漸く僕は彼の存在を認識した。

彼に気付く時はいつも泣いている気がする。

僕は何処ぞの坂本九のように強くないから

星が滲むより先にいつも彼の足に雫を落としてしまう。


…ああ、そんなことを言っている間に

また彼の背が高くなってしまった。

待ってくれよ、お前まで僕を置いていくつもりじゃないだろうな。


あえかに笑って僕は僕の影を追った。

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影踏 桃色 @momo_xx

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