或る夜のボーイズ

新巻へもん

ジョン

「どうか娘を探してください」


 きっちりとした格好の紳士は、こう切り出した。場末のバーには似合わないりゅうとした着こなしだ。生地も仕立てもいい。俺は返事をせずにグラスの底の液体を喉に流し込む。


「人探しなら警察の仕事だ」

「警察は当てになりません」

 紳士はバーテンダーを呼ぶと俺のグラスを差して、指を2本揃えて立てた。いつものアレがグラスにきっちり指2本分注がれる。


「どうして俺に?」

「あなたはジョン。ダブルのジョンでしょう?」

「どこでその名を?」

「ある人から聞きました」


 ある人か。ふん。どうせロクデナシだろう。俺は片手を広げる。

「前金で5千。後で1万。それから、隠し事はなしだ。OK?」

 男は頷き、懐から封筒を出してカウンターの上に置く。俺はお替りを飲み干した。


「では、契約成立ということで」

 男は財布を取り出すと真新しい札を2枚と名刺を置く。名刺にはマービン・クラッチとあった。クラッチ・エンド・クラッチ社長。

「今日はもう店じまいでしょう? では明日の朝お待ちしています」


 ***


 翌朝、俺は名刺の裏に書かれていた住所に向かう。この市の郊外にある高級住宅街だ。綺麗に刈り込まれた芝生、塗装したての家、ガレージには最新モデルの自動車。道にはゴミが落ちていないし、汚い落書きも無い。


 俺を出迎えたクラッチ氏は朝から隙の無い格好をしていた。一緒に出てきた女性は妻だと言う。リビングで事情を聞いた。16歳になる娘のサラの姿が見えなくなって2週間になるのだそうだ。友達と遊びに行くと言って出て行って帰ってこないのだという。


「そして、連絡がないと」

「はい。出て行ったきりで」

「やはり、警察の方がよいのでは?」

「娘は最近、ガラの良くないのと付き合いだしまして……」


 良くある話だ。事件かもしれないし、事件じゃないかもしれない。下手に警察沙汰にして、ロミオとジュリエットごっこをしているだけだったら外聞が悪いということなのだろう。

「では、アルバムを。できれば数枚写真をお借りしたい」


 クラッチ夫人は戸棚に飾ってある家族写真を持ってきた。皆でおめかしして写真屋を呼んで撮るやつだ。リスのような顔をした娘を挟んで、クラッチ氏と夫人が両側に立っている。


「他にも数枚あると助かるんですがね」

「印刷したものはこれだけでして」

「アルバムは?」

「あいにくとどこにしまったのか出てこんのです。この写真ではお役に立ちませんかな?」


「いや。ちょっと立派過ぎるというだけだ。まあ、できれば普段着の写真があると良かったのだが、他になければ仕方ない。お嬢さんの部屋を拝見してもいいですか?」


 クラッチ夫人に案内された娘の部屋は綺麗に整理整頓されていた。まるで神学校の寄宿舎のようだ。生活感があまりない。壁にはいくつかの賞状が張ってあった。

「優秀なお子さんのようですね」

 夫人は笑みを浮かべる。

「ええ。とても良くできた自慢の娘ですわ」


 ***


 俺はクラッチ邸を辞して、ダウンタウンに向かう。途中でマディソンのところの手下が目につく。ここのところチョロチョロと目障りだった。なじみの店で早めの昼飯をビールで流し込んで、町へ散策に出かける。どこの市でもそうだが、余所者には入り込めないエリアというものがある。ガイドブックに赤線で囲われて近づかない方が無難と書かれる場所だ。


 そうしたブロックに入り込む。ゴミが散らばり、壁は新たに落書きを探す場所を探すのに苦労するほど、既に様々なもので埋め尽くされている。足元には折れた注射針。ドラム缶の中で火を燃やし、暖を取っている連中がいる。2時間前とは大違いだ。天国と地獄。これでも、目抜き通りなので地面に人は転がっていない。


 俺は慣れた足取りで、何人かの知り合いを訪ねて回った。人には何かしら弱みがある。知られたくないこと、酒、金、クスリ。俺は場違いに立派な写真を見せる。大抵は聞くだけ無駄な人間だ。今朝の朝食の内容すら覚えちゃいない。そもそも朝食を食ったのかも。


 それでも、何人かからは有益な情報を聞き出すことができた。こういう場所だがいいことが一つある。まともな人間は目立つのだ。基本的には他人に関心はないが、余所者となれば別だ。小銭をせびるもよし、身ぐるみはがすもよし。


「こんな若いねーちゃんが入り込んで無事でいるとは思えねーがな」

 歯がほとんどない親父が言う。

「じゃあ、なんで、お前は手を出さなかった?」

「へっ。これ見よがしに銃を見せびらかしてイキってたガキが2人くっついてたからな」


 おやおや、ロミオは2人もいるのか。俺はその後も聞き込みを続けた。その間、ナイフを突き立てられそうになること3回、罵声を浴びせられること数知れず。いつもの事とはいえ、気持ちのいいものじゃない。全世界が敵になったような気がした。日が落ちるまで聞きまわって、目星がつく。


 食堂で軽く夕食を取った。喉が渇いたが我慢をする。今夜の仕事では素面の方がいい。アパートに戻って、準備を整えると俺は出かけた。昼間でも日の差さない路地を進み、周囲と似たり寄ったりのビルの入口に立つ。暗がりに慣れるのを待ってから中に入り込んだ。


 きしむ階段を上り、4階に到着する。路上と同様に薄汚い廊下の左右に目を走らせる。左には何もなし。右もなし。赤ん坊の泣き声や、怒鳴り声が聞こえる中、廊下を進んで3つ目のドアの前に立った。ドアをノックする。返事はない。しつこくノックをする。


 ようやく、ドアの向こうに人の気配がした。

「うるせえ。何の用だ?」

「アミテージさんに届け物だ」

「ボケ! そいつは向かいだよ」


 俺はドアの前から離れ、ゆっくりと30数える。それから、もとの部屋の前に立ち、さっきよりは控えめにドアをノックした。中からイライラしたような声がする。

「今度は何だよ?」


「どうも不在みたいなんだ。預かっちゃくれないか」

「知るか。ボケ」

「そう言わず頼むよ」

 ドアが細く開く。目つきの悪いガキがドアの隙間から見えた。真っ赤に染めたツンツン髪が目立つ。ビンゴ。


「いいか。てめーの荷物も、てめーもまとまて地獄に……」

 最後まで言わせずに、ドアを蹴り飛ばす。ドアチェーンが切れドアが赤毛を直撃した。俺はブーツで拳銃を握るそいつの右手を踏みつけながら、ソファから立ち上がった金髪の兄ちゃんにコルトを向ける。


「止めておきな。坊主。怪我するぜ」

「くそっ。なんだてめーは」

 その瞬間に奥のドアが開き、娘が顔を見せる。Tシャツにデニムパンツというラフな格好だが、見間違えようがない。


「サラ・クラッチだな」

 金髪から目を離さず聞いた。視線も向けずに赤毛に警告する。

「大人しくしてろ。手首砕けるぞ」

「くそっ」


「やめてください。用があるのは私でしょう?」

「物分かりがいいお嬢さんで助かるぜ」

「私が大人しくついて行けば、ボブとマットには手を出さないでもらえますか?」

「やめろ、サラ」


「もういいのよ。今までありがとう」

「ちくしょう!」

 血を吐くような声でガキどもが叫ぶ。俺は空いた手でドアを閉めた。その隙に金髪が右手を上げる。俺はためらわず金髪の手を撃つ。プシュ。


 金髪の手から拳銃が吹き飛ぶ。

「落ち着きがないやつは長生きできないんだぜ。坊や」

「うるせえっ」

「やめて、ボブに手を出さないで」


 俺は盛大に溜息をついた。

「なんで、駆け落ち娘を連れ戻すだけで、こんなに面倒な目に……」

 あはは。娘が笑い出す。

「あなた。何も分かってないのね」

 娘は俺を人睨みすると、Tシャツの裾をまくり上げる。


 ***


「あなた。意外といい方だったのね」

「ああ。良く言われる」

 サラはクスクスと笑った。

「本当にありがとう。ミスター?」

「ジョンでいい」

「ありがとう。ジョン」


 俺はセントラル駅の雑踏に立つサラの手に封筒を押し付ける。

「餞別だ。気にせず受け取ってくれ。依頼主が違約した時のペナルティだ」

 先日、クラッチ氏は仕立てのいいズボンに染みを作りながら、残金の25000を払ってくれた。違約金は倍額だ。サラの両脇を固めていたボブとマットが腕時計を見て言った。


「時間だ」

坊や達ボーイズ。彼女を大切にするんだぜ」

 ボブとマットが眉を上げる。

「あの時の気概があれば、お姫様を守るには十分だろうぜ」

「うるせえ。おっさんこそ、夜道に気を付けな」


 俺は踵を返して歩き出す。養育院で一緒に育った仲間がもらわれていった先の養親に虐待を受けていることを知って、命がけで匿うことにしたが、この市を仕切るマディソンの手下に見張られ身動きができなくなっていたガキども。未熟でイキがるだけだったが、そういう背伸びをしたガキは嫌いじゃない。


 いつもカウンターに座って、ダブルのバーボンを傾ける。

「或る夜のボーイズに」


 

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