ダサイタマ論

ネコ エレクトゥス

第1話

 江戸の初期に埼玉の秩父地方に隠れキリシタンの地があって、それについて書かれた本があると聞いて、その『山里の殉教者たち』という本を読んでみたがなかなか興味深かった。そしてそれが現在の埼玉のダサさにもつながっているのが分かってより面白かった。では埼玉のダサさにはどんな歴史があるのか。


 キリシタンがひそかに根を下ろした江戸時代の初期にかけての秩父地方は、土地自体は自然に囲まれた豊かなところであり、決して貧困地帯というわけではないのだが、大きな社会、経済の枠組みで見た場合、飢饉などの巨大な変動が起こった時に真っ先にその余波を食らうというのがこの地域だった。左派的な学者から見れば「大都市圏に隷属している」とでもいうのであろうか。江戸以前、例えば鎌倉に政治の中心地があった時にも鎌倉と地方の都市を結ぶ交易の通過点であったし、さらに前は武蔵の国の中心地国分寺エリアと地方を結ぶ中継点であったので、その「隷属状況」というのはこの秩父周辺地域の日常状態であったといってもいいのかもしれない(もちろん今は東京に「隷属」している)。

 そんな状況であっても、いや、むしろそんな状況であったからこそ秩父周辺の人たちは朴訥な、「悪いことをすると罰が当たる」的なまじめで地道な生活を続けていた。またこの地域の宿場町は昔から「博徒」と呼ばれる無頼者のたまり場でもあったのだが、彼らを受け入れたのも彼らの高倉健のような任侠精神、弱きを助け強きをくじくという精神がこの土地柄にフィットしたものだからだろう。ここには都市部の洗練された華美な生活とは全く違った世界があった。そういう状況をふまえるならば、ここには何かのきっかけさえありさえすればキリシタンを受容する精神世界が広がっていたということになる。


 それから時が過ぎて明治の初期、この地域は一大騒動の中心地となる。後に「秩父事件」と呼ばれることになる暴動である。

 「秩父事件」なるものはこの地の有力な生産品、絹糸の価格が暴落した結果農民たちが借金漬けに陥り、徒党を組んで蜂起し、地域の高利貸しや富豪を襲撃したというものである。そしてその決起には例の「弱きを助け強きをくじく」的な任侠者や、当時盛んであった自由民権運動の支持者も加わっていた。ここで思うのだが当時のヨーロッパの学問をちょっと学んだ者や田舎の農家の人たちにとって「神の下での平等」と「法の下での平等」に何かの区別があっただろうか。あったとは思えない。彼らにとって「神」とは「お上」なのだから。要するにこの秩父事件でも「キリシタン」が一役買ったことになる。


 ところでこの「自由民権運動」の精神というのはその後のヨーロッパの精神史を見てもわかるのだが、それが熟した時必ず共に汗をかいて働き、全てを分かち合って生活するという共産主義的なユートピアをその理想とするところとなる。その理想そのものはいつも破綻するのだが、その地に住んでる人々やその地に新たに入ってくる人たちにもその感覚はどこかに存在している。ここが問題なのだ。

 かくして「ダサイタマ」が誕生する。いや、それよりも、埼玉は昔からダサかった。


 ところで余談だがこの秩父地域出身者の都会へのアンチ・テーゼは現代においては氷室京介と布袋寅泰の『ボーイ』となって現れるし(ボーイってパソコンでどう打てばいいんだ?)、この地域の人の持っている素朴な熱情は川越祭りや浦和レッズへのイスラム教信者張りの忠誠という形で現れる。

  

 

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