第6話 外壁を作ろう!

 ヴァン神族との戦いで、アスガルドの外壁はかなり派手に壊れてしまった。この外壁はアース神族を攻撃しようとする巨人族への抑止力にもなっており、すぐにでも作り直さなければならない。

 とはいえ、ヴァン神族に壊されてしまったということは強度的にも問題があるのだから、修理で済ませるわけにはいかないのだが。


 しかし、アース神族はみんな楽天家で面倒くさがり。へたな神に任せて手抜きでもされたら話にならない。

 という理由で重要な地位にいる神々がヴァルハラに集まって会議をすることとなった。


 二羽のワタリガラスを両肩に休ませた進行役のオーディン、隣には妻のフリッグと長男のバルドル。オーディンの兄弟であるヴィリとヴェーが本来彼らの隣に座るのだが、暫く前から姿を見ていないのでどこかに行っているのだろう(一度探りを入れてみたところ、オーディンが普段の彼からは想像もできないような鬼の形相で拒否を示したので二度と聞かないと決めた)

 そのかわり二人の席にはフレイとフレイヤが座り、妹の方は面倒そうに爪をいじっている。そんな彼女を見てため息を吐く真面目な詩の神ブラギは、厳格そうに見えるが幼女の姿をした女神イドゥンと結婚しているため、ちまたではロリコンで有名だ。

 そんな彼には全く興味無さそうに、ひとつ空いたトールの席の隣に座る美しい金髪の美女は不在である彼の婚約者であるシフ。彼女はつり上がった目でテーブルをじっと見つめながら一人思案している。

 そんな面々に全く興味を示さず、どこか遠くを見つめているヘイムダルも一応は席についているが、彼はずっと虹の橋ビフレストの監視で忙しいのだろう。そして、そのヘイムダルの隣に座っているのは俺、テュール。

 いまのところこれで全員か。


 ちなみに、ロキは寝坊とかで一人遅れているらしく途中から参加らしい。


 とても重要な会議だというのに何だか緊張感がないのは神の自己中心的で楽天的な性質上仕方ないので、気にしてはいけない。


「トールは今不在だ。力仕事を彼に任せることが出来ない」


 会議が始まった直後、オーディンの第一声で全員があからさまに落胆した。


「彼の腕っぷしがなければ、かなり作業が難航するのでは?」


 ブラギの落ち着いた声色で発された一言に、オーディンがううむ、と唸る。皆が力仕事はトールがやるものだと決めてかかっていたのだから当たり前だ。現に俺も同じで、いや、それどころか俺は自分の立場上危機感を覚えた。

 軍神であるがゆえ、他の神々にくらべて力仕事に向いている自信がある。力仕事はトールに任せて設計や強化の魔法などは他の誰かに任せようと誰もが考えていただろうから、俺のように知識が無くても充分勤まってしまうだろう。


 これは、良くない。

 できればやりたくない。


「遅刻したロキに任せちゃえばいいんじゃない?」


 俺が体を強ばらせていると、シフがテーブルに肘をつきながら提案した。彼女はつり上がった目を一度伏せると、すました動作でこの場にいる全員を見渡す。意外な人物からの意外な提案にヴァルハラ内がざわつくが、わりと悪い提案では無いような気もする。

 確かに、彼は強力な魔術を使えるうえに頭も口もよく回る。それこそスヴァルトアルフヘイムに住む、高い製作技術を持つ闇の妖精ドヴェルグ達の技術を借りることもできるかもしれない。


 そういえばトールの愛用するハンマーミョルニルやオーディン愛用の槍グングニルもロキがドヴェルグに作らせたはずだ。たしか彼はその時とんでもない目にあった気がするが。


「確かに…ロキなら」


 俺がシフの提案に賛成しようと声をあげた瞬間机を強く叩く音が響き、ざわついていた神々はいっせいに口を閉じて音の方へ視線をやる。

 そこにいたのは、机に両手をついたオーディン。

 何故彼がそんなことをしたのかと驚いている神々の様子に、ふと我に返ったのかオーディンは慌てたように座るとひとつ咳払いをする。


「どうしたの、オーディン」


 俺が声をかけると、彼は隻眼をこちらに向けて苦笑。


「私は反対だなぁと思ってね」


 何故、と首を傾げて返せばせわしなく帽子のつばをいじり始めた。


「だって、もし作業中ロキのきれいな肌に傷でもついたら…」


「素手で雄牛を仕留め、さらに高速で捌くような男神に対してなにを…」


 この主神は少し…いや、だいぶ義理の弟に甘い。いやいや、甘すぎる。オーディンにはどう見えているのか不明だが、俺の知るロキの見た目はハンサムな優男で過保護に守るような対象ではない。

 毎日のようにヘイムダルと取っ組み合いの喧嘩をし、肉が食べたいからという理由で大した支度もせず狩りへ行く。猛獣を一捻りで仕留めアスガルドへ帰ってくると傷の手当てもせずに獲物を捌いてしっかりと血抜きをし、準備ができしだい豪快な料理を皆に振る舞うのが、彼だ。

 そんな彼の肌に傷がつくことを気にするなんて、オーディンくらいなものではなかろうか。

 この主神は、どうしてそこまで義弟を甘やかすのか。俺は呆れを通り越して、諦めのため息をついた。


「なんだ、俺があまりにハンサムだから噂してたのか?」


 会議に参加した神々がそれぞれに呆れ返り会議の進行は困難かと思われたとき、つと、ロキの声がヴァルハラに響いて俺は彼を振り返る。


「どうしたんだ?ずいぶんと遅かったじゃないか」


「悪い悪い。ほんとはもっと早いはずだったんだけどさ。ちょっとタイミングの良い出会いをしてね」


 声をかけると、ロキは意気揚々といった様子で答えながらヘイムダルの後ろへ移動し神々を流し見た。ヘイムダルが若干嫌そうにしているのは、まあ、無視しよう。しかし、出会いとは何だろうか。


「ヘイムダル、お前、見てたんだろ?」


「ええ、ビフレストで貴方が誰と会ったかはバッチリと」


「じゃあ、証人になってくれるよな」


「今の状況ですから。仕方ありませんね」


 相手からの返答に満足したらしいロキが手招きすると恐る恐るといった動作でヴァルハラに足を踏み入れるみすぼらしい男。彼の隣には立派な馬が寄り添っており、何だかアンバランスだ。


 思わずオーディンが目をしかめた事に気がついたが彼がそれ以上行動を起こすようなことは無いようなので問題はないだろう。恐らく彼のことだ、内心では「うちの義弟の隣に立つな」くらいのことは思っている気がする。


「流れ石工だ。仕事探してたら外壁が目に入って営業しにきたらしいぜ」


「彼は、信用できるのか?」


 ロキが得意気にみすぼらしい男の肩をぽんぽんと叩きながら言えば、ブラギが当然の疑問を投げ掛けた。実際、得体の知れない男だ。そんな男に大切な外壁の修理を頼むべきなのだろうか。なにか起きても、今はトールがアスガルドを留守にしているのだ。いつも以上に慎重にならねば。


「まあまあ、大丈夫だって。ちゃんと報酬さえ出せば。なあ!」


 しかしロキといえば俺の心配などつゆ知らず。呑気に笑って男の肩をバシバシと叩きはじめる。叩かれている本人はだいぶ痛いらしく表情を歪めて背中を丸めている。

 …何だか、少し可哀相な気がしてきた。


「では、希望する報酬を聞こうじゃないか。それによっては彼に頼むという手段もある」


「だってよ。ほら、言ってみ。ちゃんと作業すれば、金なら三割くらい増しでくれるかもよ」


「え、あ、はい。その、そうでやんすね…」


 しかめっ面をしているが、それでも一応は交渉をするつもりなのだろうオーディンの一声にロキが何の保証もない大口を叩く。石工の男はそんな彼に流されて、もじもじと手遊びをした後ちらりとオーディンを盗み見た。それに対して、オーディンは深い皺を眉間に刻む。どうしてそこまで彼を嫌うのか、俺にはわからないがどうやらそれほどに気にくわないらしい。


「ええと、まずは、あなた達が所有している、太陽と月がほしいでやんす。それから、あの、ふ、フレイヤちゃんを、オイラのお嫁さんに…」


 あ、俺もかなり気にくわないな。この男。


 あまりに法外な報酬を要求されて全員が言葉を失い、ヴァルハラが静まり返る。隣のロキでさえ口をあんぐり開けて石工を見下ろしている中、背筋よく立つ馬がひとつ、鼻をならした。


「ち、ちょっとふざけないで頂戴!!!なんで私がこんなくたびれたおっさんと結婚しなきゃなんないの!!」


 そんななか静寂を破ったのは、要求された張本人のフレイヤだ。正直、この状況だ。俺でも似たような反応を返す自信がある。いつもはフレイヤの言動にいちゃもんをつけ喧嘩を始めるロキでさえごみを見るような目で男を見下ろしているのは、彼も男の言動に嫌悪感を抱いている証拠だ。

 しかし怒鳴り付けられた張本人といえば、俺たちの反応など我関せずといった様子で、落ち込んだ目を輝かせながら怒鳴り付けてくる意中の相手へ視線を寄越した。


「フレイヤちゃん!おいら、頑張るでやんすよ!まっててくだせえ!!」


「ぜっっっったい嫌よ!!!あんたなんかに嫁ぐくらいならロキちゃんの愛人になった方が百倍マシだもん!」


「はぁ!?お前、三十六回も人の寝込み襲っといてどの口で言ってんだ!こっちが願い下げだっつのこのクソ◯ッチ!」


 ああ、なんでこのトラブルメイカーはいちいちロキを刺激するのか。男の求婚を拒んだフレイヤの言葉にロキが反論しないはずもなく、彼が全力の罵声を返してしまうと、それに反応してまたフレイヤも興奮してしまったようだ。なにやら言葉にならない叫びをあげていたが、つとあげられたオーディンの手に彼女はその口を閉じた。


「ごめんね、フレイヤちゃん。ちょっといいかな?」


 つと訪れた静寂に、普段は蔑ろにされていても彼は主神なんだと実感する。眉間に皺を刻んだまま男を睨んだオーディンの言葉は優しいがその表情から彼の不快感は明白で、フレイヤは渋々とだが小さく頷いて口を尖らせた。


「…わたし、あのおじさんと結婚なんてしないわよ」


「うんうん、わかってる。とりあえず、ロキ。彼に少し席を外してもらうことはできるかい?」


「てことだ。悪いが少ーし相談させてくれよ。オーディン、フギンとムギンに頼めるか?」


 ロキに訊かれ、男とオーディンが頷く。直後主人の肩から飛び立った二羽のワタリガラスに促されて男は馬と共にヴァルハラから出ていった。

 男の姿が消えるとオーディンの深いため息が長く吐かれ、ヘイムダルとロキ以外の神々は彼に視線をよこす。彼の眉間の皺は相変わらず深い。


 ヘイムダルは相変わらずビフレストを見ているのだが、ロキはなにやら思案している様子で、オーディンはため息を吐き終えると頭のよく回る義弟に視線をやった。


「ロキ、あれをどうするつもりだ」


 珍しく彼の声色が平坦で、ロキ以外の全員が息をのむ。そんな中でも問いかけられた本人はいつもと変わらない気軽な態度で、しかし、随分と困った様子で頭をかいた。


「いやぁ、あそこまで理不尽な要求をされるとは流石に思わなくてさ…もっと妥協すれば何も問題なくビジネスも進められたろうに…」


「何か考えはあるのか?」


 またも返されたオーディンの言葉に、ロキは困った様子で腕を組み唸りながら考え込んでしまう。しかしこの行動はいつものそれで、頭の回る彼は暫くしたらまた何かしら気のきいた提案をするだろう。

 それよりも、俺が気になったのはオーディンだった。

 普段の優しい彼からは想像も出来ないその声は、やはりまた平坦で少しだけ違和感を感じる。いつも義弟が何をしようと、彼は困ったように叱りつけることはあれどこのような態度をとらない。ロキはよく悪戯をし、嘘をついて神々を困らせるがアスガルドに不利益な事件は起こさないとオーディンも知っているからだ。

 しかし、彼の今の態度は…少し、おかしい。


 とはいえ、その声を向けられているロキ自身は特に焦るようなことも無く平常であるようだ。その様子から、これは俺の考えすぎなのかもしれないが。


「よし、あちらも理不尽な要求をしてきてるんだ。こっちもとんでもない条件を出そうぜ。でも、ギリギリだ。ギリギリ出来ない条件を出すぞ。そうすれば、ほぼ完成するまでタダでやらせることができる」


 つと、ロキが口を開き流暢に言葉を並べ始めた。その提案は口で言うのは簡単だが、随分と采配が難しそうだ。とはいえ、これが上手くいけば確かに得るものは多い。


「相手への条件はどうするつもりだ?」


「季節が半分巡るまでの間、誰の手も借りずに完成させること。アスガルドの土地は広大だ。それをまるっと囲む壁なんて出来るはずない」


「それは…あまりに理不尽ではないのか?」


 得意気に語るロキに、ブラギが反論する。確かに、その通りだ。季節が半分巡る間など、長く感じるがすぐに去ってしまう。一人どころか十人いても不可能なのは建築の知識がない俺でも分かるほどだ。しかし、ロキは自分の顎を擦ってなにやら悪戯を思い付いた時と同じ表情を浮かべる。


「いや、あれなら一人でいいだろ。恐らく…あの馬を使わせてくれとでも言うだろうしな。たぶんそれでギリアウトだ。そこで少し恩を着せておくことで今後こちらの立場も若干ながら有利になる」


 彼は俺達にはわからない何かを知っているのか、男が仕事を受けると確信しているらしい。もう、こうなってしまうと後はオーディンの判断に任せるしかない。もしかするとアスガルドの王はロキの知る、あのみすぼらしい男の秘密に気がついているのかもしれない。彼は一見抜けているように見えるが、本当に全知全能の神なのだ。


「わかったよ。ロキに任せよう。良い提案だ」


 先程までの不機嫌顔を崩し、苦笑しながらいつもの口調で言うオーディンに、ロキは嬉しそうに笑った。なぜだろう。俺には、オーディンの苦笑が義弟ではなく彼自身に向けられたもののように感じた。




 ロキの思惑通り石工の男は渋々ながらも要件を飲んだ。それだけではなく、馬を使うことを許してほしいとの要求をして来るところまで想定通りだった。

 しかし、順調に行ったのはここまでだった。石工の働きはロキの予想より遥かに悪くこちらは拍子抜けしたのだが、問題は彼の馬であるスヴァジルファリだ。

 その馬は予想を遥かに上回る働きをした。

 巨大な石を易々と運び、尽きることのない体力で休まず働く。更に言うと作業速度も目を見張るほどだ。


「これ、完成しますよ。間違いなく」


「やっべ。流石にここまで出来るとは思わねえっつーの」


 眉間に皺を寄せながら石工の作業を眺めるヘイムダルの隣で腕を組んだロキが低くうなり声をあげる。


「スヴァジルファリが少し不憫に感じるのは俺だけか?」


 あまりに働く馬とのらりくらりと作業をする石工の姿が居たたまれなくて俺が思わず口に出すとまあ、確かにな、というロキの返事が返ってくる。そして彼は盛大なため息を吐いたあと手を数回叩いた。


「これ、完成したらアスガルド追放じゃ済まない話になるしなぁ。俺のため、そして、あの馬のためってことで、ちょっと物理的に神の肌を一枚脱いでくるか」


「え、なにそれグロい」


 肌を脱ぐってどういうことだ。

 できればそういうのは俺の前でやらないでほしいのだが、ロキは構わずいつもの気軽さでこちらにウインクを送った。女神は彼のこの仕草に弱いようだが、あいにくこれはロキが気分の良いときにやる癖だという事を俺もヘイムダルも知っている。


「バカ言え。馬に変身するだけだって!俺の華麗な変身が見れるんだ。貴重だろ?」


「あ、興味ないんでそこら辺の物陰に隠れてやってください」


「ヘイムダルに感想なんか聞いちゃいねえよ!」


「あ、俺も興味ないんで」


「テュールまで!!」


 俺の返事が予想外だったのか唇を尖らせて不満を訴えてくるが、もし変身中に間違って中身でも見えたら永遠のトラウマになりかねない。なので丁寧に近場の小屋を指せば、ロキはおとなしく(かなり足音を荒くさせながら)そちらに向かった。






「スヴァジルファリは優秀でやんすねー。報酬を貰えたらかわいいお嫁さんを探してあげるでやんすよ」


 のんびりと石の上に頬杖をついて、せっせと働くスヴァジルファリを見下ろす石工に、その立派な馬はひとつ返事をした。スヴァジルファリにとってこの仕事後の嫁探しは念願であったので、彼はただ早く作業を終わらせたい一心だ。

 そのため、石工がのんびりと昼寝をしていようと景色を楽しんで手を止めていようと文句も言わずせっせと働き続けていた。


「ぶひひーん」


 つと、聞きなれない馬の声が聞こえて石工は視線を辺りに巡らせる。それにつられたようにスヴァジルファリも声のした方に視線をやり、その先に見たものから目を離せなくなった。


「どこからきたでやんすか?立派な馬でやんすね」


 声の主は艶やかな栗色の毛並みをした雌馬だった。全体についた筋肉はまるで彫刻のように整ったバランスで、走る姿は風のようにしなやかだ。その雌馬が一目散にスヴァジルファリに向かって走ってきている。


「ぶふふーん!!」


 直後聞きなれた馬の、興奮したような声があたりに響いて石工が相棒の方を見下ろすと、スヴァジルファリが雌馬の方に駆け出しているところを目撃した。


 そう、一目惚れだった。


 スヴァジルファリは、この美しい雌馬に一目惚れをした。


 運命だ。


 この娘を口説き落とす以外に道はない。


 そう判断してからの行動は早かった。

 スヴァジルファリは少しだけ距離をとった状態でこちらを誘惑するようにその場で駆け足をする雌馬に駆け寄るとぶふん、とひとつ鳴く。

 しかし、雌馬はすぐに身を引いて目配せすると何処かへ走り出してしまう。たまらずその後を追えば、雌馬はスヴァジルファリがついてきていることを確認しながら誘うように駆けていく。

 これは、誘っている!

 主人である石工の呼び戻す声が聞こえる気がするが、彼は大した問題に感じなかった。この魅力的な雌馬を手に入れてしまえば、嫁探しも必要ないのだ。ならば、苦労して今回の仕事を終わらせる理由もない。


 スヴァジルファリは目の前に広がる、雌馬とのハネムーンに夢中になった。




 結果として、外壁はほとんど出来上がったが、期間内の完成は叶わなかった。それはそれは立派で神々は満足したが、約束は約束だ。要求された報酬は一切払ってやらない。


「そんなぁ、スヴァジルファリが居れば期間内に完成させられたんでやんす!こんなのあんまりでやんすよう!」


 夏の始めにヴァルハラで年甲斐もなく泣きわめく石工と、したり顔で頬杖をつくオーディン。それを見守るのは俺、テュールだ。その他の神、特にフレイヤはここに来る必要がないだろうと判断され、わざわざ呼ぶようなことはしていない。

 正直今回の功績はロキにあるのだが、当の本人はスヴァジルファリと姿を消してから帰っていない。どこで油を売っているのやら。


「約束は約束だ。ロキはお前に同情して入れてやったのだろうが私はあいにく巨人が嫌いでね、諦めてヨツンヘイムへ帰るといい」


「え、き、気づいてたでやんすか!?頑張って体を小さくする術を覚えたのに!」


 手をパタパタと振って拒否を示すオーディンに、分かりやすくオーバーな反応を見せる石工。二人の会話を聞いて、この男が現れた当日オーディンが不機嫌な顔をしていた理由がやっと分かった。なるほど、それなら納得だ。

 だからこそ石工一人である程度の作業は出来るだろうと踏んで無茶な期限を提示したのだろう。まあ、全く予想しなかった結果にはなったのだが。


「スヴァジルファリも居なくなっちゃったし、今後おいらはどうしたらいいでやんすか!もう、こうなったら力付くでもフレイヤちゃんと太陽と月を奪ってやるでやんすよ!」


 先程までぴーぴーと泣いていた石工が突然大声をあげ、どしんと一歩オーディンに近づく。これはいけない。俺が慌ててその間に入ろうと駆け出すが、標的にされたオーディンはいつも通りの緩んだ表情でこちらに掌を向けた。

 制止の合図だ。この程度の巨人なら一人でやれると言うのだろうか。

 ああ、まあ、この程度でなくても彼なら大丈夫だが。


「フギン、ムニン、トールはいま何処にいる?」


 わざと大声で彼に付き添うワタリガラスへ質問を投げ掛けるオーディンに、石工の動きがピタリと止まった。先程までの小さな体がはちきれんばかりの筋肉質な物に変化しているところだったがそれも見事に制止している。


「トール様は今ヴァーラスキャールヴに入ったところです。オーディン様を訪ねていらっしゃったのでしょう」


「もう、間もなくここにいらっしゃいますが、人払いなさいますか?」


「石工、お前はどうしたい?」


 ワタリガラス達の回答に、にやりと笑って石工を見下ろす隻眼。その瞳は普段と変わらない紫だが、視線は不穏な光をたたえているように感じる。正直俺もあの目に見下ろされたくはない。


「あ、あ、あの、えっと、いや、贅沢言わないでやんすよ!アスガルドの皆様に喜んでもらえて嬉しいでやんす!」


「はっはっは!そうだろう、そうだろう!職人冥利に尽きるだろう!」


 瞬時にまた貧相な姿を取り戻し、両手を擦り合わせながら涙声で態度を急変させた石工の様子があまりに愉快だったのか、オーディンは盛大に笑って彼の前に歩み寄るとその小さな背中を力一杯叩き始める。それを拒否する権利さえ奪われた可哀想な巨人に、少しだけ同情してしまうのは罪だろうか。


 そんな情景がほんの少しの間続いていたが、それは件の雷神が現れることで終了する。真面目で普段大人しいトールは俺たちを見て不思議そうに首をかしげて寄ってくると、自分の父親へ帰還の報告をする。その後、泣き出しそうな小さな男を見下ろし俺に説明を求めるような視線を寄越してきた。


「外壁が出来ていただろう。これは、彼がここまで仕上げたんだ」


「なるほど。しかし、何故泣きそうなんだ」


「彼がフレイヤと太陽と月を要求してきたから、こちらも厳しい条件をつけたんだが、その条件を達成できなかったんだよ」


「なるほど、タダ働きになって嘆いていると」


「その通り」


 事を理解したトールはふむ、と小さく息をついて震える石工を見下ろす。石工は自分の正体に気付かれないかと気が気ではないようだが、相手は鈍感の代表と言って良いトールだ。その心配は無いだろう。


「無一文で帰すのはあまりに不憫だ。少し待っていろ」


 やはり彼は石工の正体に気がつかず、そのまま優しく微笑むと一旦引き返して姿を消してしまった。しかし、そう時間がたたないうちにトールの大きな両手いっぱいほどある革袋を持って帰ってくる。たぶん彼は愛用のハンマー、ミョルニルを使って一瞬のうちに自宅とヴァーラスキャールヴを往復したのだろう。


「要望通りのものは渡せんが、これは俺からの礼だ」


「へ?」


 革袋を差し出して言ったトールに、石工は口をあんぐりと開けて何度かまばたきをした。

 あの主神と違って彼は本当に優しい男だと思う。革袋の中身はきっと私物だろう。

 戸惑いながらも石工は両手から溢れるほどの革袋を受け取り、中身を覗きこむ。そして、慌てたようにトールの表情を確認すると彼は涙ぐんでしまった。


「これくらいの金があれば暫くは暮らせるだろう」


「し、暫くどころか、ずっと暮らせるでやんすよ…」


 二人の姿に、事がうまく片付いたと分かる。

 巨人が相手であっても我々の選択次第では誰も不幸にならない結末を迎えることができるのだ。

 まあ、トールの後方で少し面白くなさそうな顔をしているオーディンの事は無視しよう。


「ああ、そうだ。お前の欲しがっている嫁も、その中で一番大きな物をちらつかせればすぐ手に入るだろう」


「ありがとうでやんす…ありがとうでやんす…」


 トールの大きな手が石工の革袋を持っていない方の手に握られる。嬉しそうに泣きながら礼を告げる彼にトールも満足そうに頷いているが、なんというか…。

 あの雷神も、真面目そうにしてやはりあの父親と叔父を見て育ったのだと思わされた。





 石工はトールの対応に満足したらしく、その後二人で協力して外壁を完成させた。

 それは見事な出来で、アスガルドの神々は十分に喜んだ。しかしそれでもロキは帰ってこず、姿を現したのはさらに半分の季節が巡った後だった。


 彼は八本足の立派な馬をつれ、スヴァジルファリに股がって帰って来た。それはそれはわざとらしいほどに満面の笑みを浮かべており、迎えた俺とヘイムダルが一瞬身を引きそうになったほどだ。


「やあやあ諸君。壁は無事に出来たみたいだな」


 壮大な外壁を見上げて言うロキの下でスヴァジルファリは誇らしげに鼻をならす。それに気がついた彼は自分を乗せた馬の鬣を撫でながら…なんだか見たことのない優しい笑みを浮かべた。

 なんだか感じてしまったうすら寒さは気のせいじゃないだろう。


「随分と遅かったじゃないか、ロキ」


 しかし、俺がそう言葉をかけると彼は砕けた笑顔でこちらを見下ろし、隣で頭を振る八本足の白馬をさした。


「こいつが成長するのを待ってたんだよ。スレイプニルっていうんだ」


 当たり前のように連れてきているが、この馬は一体何者なのか。つい考えてしまうが答えはひとつしか思いうかばない。

 しかし、しかしだ。

 ということは…もしかして…


「この馬は、誰が産んだのですか」


 ヘイムダルはわざわざロキに、質問を投げ掛けた。しかも、凄く嫌らしい問いかただ。まだ「この馬は何者か」くらいにしておけば良いだろうに、本当に彼はロキの嫌がりそうな言葉を選ぶのが上手い。

 案の定ロキはわざとらしい笑顔のまま固まり、暫く黙ってしまった。それから少しずつ顔が紅潮しはじめ、視線も不自然に泳ぐ。

 嫌そうな顔くらいはすると思ってはいたが、ここまで動揺するなんて少しだけ意外だ。


「……だよ」


「はい?何です?」


「…俺だよ」


「え?聞こえませんよ?」


「俺だっつってんだろ!!!」



 真っ赤な顔で叫んだロキの声は、アスガルド中に響き渡った。







 その後のことを語ると、アース神達はスヴァジルファリとスレイプニルを快く受け入れた。オーディンはロキの息子ということで、スレイプニルを溺愛し自分の愛馬にしてしまったのだが、ロキもスレイプニルも満更でもない様子だ。少し心配なのはスヴァジルファリに対するオーディンの態度が小姑染みていることくらいか。


 そして、石工がトールのことを大変に気に入ってしまったことが原因なのかは分からないのだが、ヨツンヘイムでは何故かトールがまるでアイドルのような扱いを受けているとの噂を耳にした。これに関しては暫くすれば落ち着くだろうと信じたい。

 ついでに、件の外壁はそのままでも立派で頑丈だったが、帰って来たロキの魔術でさらに強化した事で、もう壊される心配もないだろう。


 まさか、ここまで上手くいくとは思っていなかったので嬉しい結果だ。


 俺も元豊穣の神だった身として、今後も九つの国が上手くやっていけるよう、願っていよう。



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ロキ様はラグナロクがお嫌い がっかり子息 @gakkarisyu

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