第5話 美貌のトラブルメイカー
ヴァン神族からふっかけられた喧嘩を脳筋の集まりであるアース神族は嬉々として買いやがった。
お陰さまでアスガルド自慢の高くて頑丈な外壁はぶっ壊され、毎日三食昼寝つきだった平和な俺の生活もめちゃくちゃ。かわいい甥のトールは(けっこうノリノリだったけど)危険な戦場に出ることになり、仲の良いテュールも(彼は軍神なのに深い溜め息をつきながら)アインヘリヤルとヴァルキリーをつれて前線まで出てしまった。
「なあ、なんで俺達はアスガルドで留守番なんだよ」
「僕も貴方と二人でなんて本当に不本意です」
皆がどんぱちやってるってのに、俺は目の前に広がる虹の橋ビフレストを見ながら隣に立つ少年の姿をした門番に問いかけた。正直この見た目だけは可愛らしい辛辣小僧、ヘイムダルと二人きりというのはいただけない。普段は紳士的で愛想が良いとなんとか聞くが、少なくとも俺はこいつにそんな態度をとられたことなどなかった。
「そうじゃなくてだな。ほら、俺達、アース神族の中でも結構喧嘩強いはずなんだけど」
「だから、ビフレストの鉄壁として残されてるんじゃないですか。しっかりした理由もなく僕が貴方と並ぶはず無いでしょう。不愉快です」
「俺、お前になんかしたっけ?そこまで嫌われるようなことしたっけ?」
二人での問答は静かなアスガルドの空気に溶け込んで、小鳥の声にかき消される。
あーあ、平和だな。じゃなくて。
「貴方のように下半身で生きてるような男神とは関わりたくないんです。分かるでしょう。常識的に考えて」
ヘイムダルの言葉に、何となく納得がいく。
こいつはかなり真面目で、それは他の神だけじゃなく俺にもよくわかる。神族ってやつは好色家の集まりのような集団で、それこそ下半身に脳ミソが付いているオーディンには敵わないにしろみんな結構、その、性的な意味で奔放に生きている。そんな中で、恐らくある程度良い歳で童貞なのは(箱入り軟禁息子の)バルドルとこのヘイムダルくらいだろう。
真面目すぎるのも疲れそうだよな全く。
まあ、だからこそ、この辛辣小僧はそういったことに敏感なんだろうが、俺はそこまで軽蔑される類いのことはやっていないはずだ。見境の無いオーディンや、アース神族よりも好色家の多いヴァン神族の中でトップの座を不動の物にしているフレイヤみたいなことはしていない。
「俺は少なくとも相手の居ない女神の誘いしか受けねえし誘わねえっつの」
「は?それだと、アスガルドの中で貴方はかなりマトモな部類に入ることになるじゃないですか信じられません」
「なあ、本当に俺、お前になんかしたっけ?」
仲は良くないし波長も合わないし、正直に言うと生理的に無理、と二人で言葉をぶつけ合うくらいには相性が悪い自覚があるが、ここまで言われる筋合いはない。さすがに辛辣すぎる態度が我慢ならず、俺も反論しようと思って横にある幼顔を覗き込む。しかし、いつもは鋭く睨み付けてくるその大きな目がそっと伏せられて俺はつい、言葉をかけ損ねた。
「しかし、それが、いけなかったんですね」
そして、その隙に言われたのはその一言。
どういうこっちゃ。
「なにがいけないんだよ」
素直に疑問を返すと呆れたような深い溜め息をつかれて更に俺は訳が分からなくなる。ちゃっちゃと要点を教えて欲しいもんだ。
「グルヴェイグですよ。彼女の本当の目的です」
只今真っ最中の戦争が起こった原因とも言えるヴァン神族の女神の目的だと。そんなもの、とっくにわかっているはずだ。
「グルヴェイグ?あれはただアース神族に嫌がらせしたがってたようにしか見えなかったけどな」
それは当然ヘイムダルにだってわかっているはずだ。もちろん、彼も言葉が終わるのと同時に頷く。
そして、彼の言葉がそれに続き。
「ええ、嫌がらせしたかったんでしょうね。貴方に」
ほら、そうだろ?
ん?んん??
「は?俺に?え、なんで?」
「貴方は気がついてますよね?彼女が誰なのか」
混乱しながらも俺は件の彼女を思い出す。
あの身のこなし、物言い、自己中心的な性格に、性的奔放さ。そんなのは、俺も彼女に誘われた時から気がついていた。姿を隠して別名を名乗っていてもあんなやつはユグドラシルの九世界中で一人しかいない。
「ヴァナヘイムのフレイヤだろ。そんなの気がつかないのはフレイとトールくらいなもんだろ」
「では、貴方にならわかるはずですよ。彼女が貴方を嫌う理由」
ヘイムダルの淡々とした物言いに、俺は暫く思考する。だいぶ前から俺はフレイヤと面識があった。それは事実だ。それだけじゃなく、オーディンに紹介され成り行きで二人っきりになったとき、彼女に寝所を共にしようと誘われもした。たしか、貴方の見た目が好みだからとかそんなこと言われた気がする。
だがしかし俺は、前から相手が誰であろうと妻子持ちだろうと血縁者だろうと老若男女かまわずまぐわう、という彼女の噂を聞いていただけじゃなく、見た目が派手すぎて好みじゃないってのも手伝って…
「え、誘い断ったことまだねにもってんの?あのビッ◯」
「彼女に誘われて断ったのは貴方が最初で最後ですからね。しかも、名の知れた女神の殆どと夜を共にした、股が緩いはずの貴方にですから。あのユグドラシルの天辺に届くほど高いプライドをへし折っておいて恨まれないとでも?」
「え、どうしよう。めんどくさい」
思わず声がでた。それに、ヘイムダルも珍しく同意のために頷く。とりあえず、股が緩いは間違っているが今は置いておこう。それよりも、フレイヤのめんどくささの方が今の俺にとっては重要事項だ。
「なんにしろ彼女を嗜めてこの事態を収拾させることが出来るのは貴方だけだということが分かりましたよね?」
「え、うわ、やだ。会いたくないんだけど」
思わずヘイムダルの腕をとってすがるが、思い切り払われる。うん。当然の反応。
「わがまま行ってないでさっさと一発ヤって来てくださいよ全く」
「おいこら他人事」
「ええ、他人事ですから」
こちらの抗議もさらりと流されたのはいいが、言葉の終わり際に鼻で笑いやがったことは暫く恨み続けてやる。
ということで、なんとか事態の収拾をつけるため俺は単独、ヴァナヘイムへ乗り込むことにした。
別にフレイヤといいことするために行く訳じゃないぞ。話しをしに行くんだ。
ヴァナヘイムまでは結構な距離があるので、とりあえず俺は馬に変身して目的の場所に向かった。足の速さには自信があるし、道中はそう手間でもないだろう。問題は、フレイヤが住む屋敷、ノーアトゥーンに到着してからだ。
あそこには、フレイヤだけではなくその父であるニヨルドも住んでいる。能天気なフレイヤや、天然を実体化させたような兄のフレイならいいんだが、ニヨルドとはちあわせたりしたら今の状況からただでは済まないだろう。しかも、できれば一番ばったり会いたいフレイは普段アルフヘイムの屋敷で暮らしている。
さてさて、どうやってフレイヤとコンタクトをとるべきか。
そう考えながらも速度を緩めずに走っていると、視界の端に光るものを確認した。そちらを振り向けば、金色の猪が並走していることが分かり、少しずつ速度を緩めてから立ち止まる。それに合わせて止まったその猪を、俺は知っていた。
「ロキだろう?そんなに急いでどこへ?」
猪が引いていた馬車(ここは猪車というべきなのか)の上から降ってきた声はやたら透き通って、しかも甘い。男の俺でも目眩がするような錯覚に陥るその声の主は、やはり眩しいほどの美貌でこちらに笑いかけてきて、俺は変身を解くと無理矢理ひきつった笑みを作って挨拶をした。ああ、危なく後ろ足で蹴りあげるところだった。
嫌みなくらいハンサムで、思わず殴りたくなるのを押さえるのに必死なんだよこいつと話してると。
「フレイ、久しぶりだな。お前は里帰りか?」
「そうだね。父が今は戦線に出ているから私がその間ノーアトゥーンの管理をすることにしたんだ」
これはこれは、なんて好都合なんだろう。彼はとにかくお人好しで、天然だ。多分俺が頼めば二つ返事でノーアトゥーンへの訪問を許してくれるだろう。だからこそ彼と会いたかったのだが、まさか本当に目の前に現れてくれるなんて。
「実はフレイヤに会いたくてさ。悪いけど、同行させてもらってもいいか?」
「もちろん!久しぶりに会えたんだ、ついでにお茶でもしながら男神同士語り合おうではないか」
「え、あ、はい」
うわ、男二人で茶を飲んで何が楽しいんだか。しかし発言元のフレイは心底嬉しそうににこにこ笑っている。正直に言うとこの眩しすぎるハンサムを見ながら茶を飲むとか拷問でしかないが、まあ、これくらいで礼の代わりになるんなら甘んじて受けようじゃないか。
「きっとグリンブルスティの方が早いだろう。ロキも馬車に乗りなさい。ほら」
眩しい笑顔を向けられて、その大きな手が差し出される。目眩を起こしつつありがとうと礼を言いはしたが、支えてもらうようなタチでもないんで手をつかむことなく馬車に乗ろうとしたところ、フレイの手はそれを許してくれなかった。
当たり前の様に腕を優しく掴まれて引き上げられると、目も眩むような極上の美貌が現れて。俺はガラにもなく悲鳴を上げてからぶっ倒れてしまった。
やたらふかふかの寝床は、どうも熟睡できない。昔から地面で寝るのなんてざらだったし、ヨツンヘイムにすんでた頃は粗末で硬い寝床で毎日休んでいた。まるで雲の上にいるような感覚が慣れず、寝返りをうって重いまぶたを開けると…
「うわぁああ!!!」
やたら豪華な装飾をあしらった家具が並ぶ広い部屋で、やたら高そうなシーツに包まれていることに気がついた俺は思わず声をあげて身を起こした。
そういえばと、フレイのハンサムフェイスが眩しすぎて我慢の限界が来たことを思い出す。基本的に俺よりハンサムな男神はバルドル以外絶滅していいと思っている身としては、目の前、それこそ二十センチくらいの近距離にフレイレベルの美男が現れたらそりゃ、鳥肌もたつし悲鳴もあげる。
顔見て悲鳴上げて気絶なんて失礼すぎる?
はは、いいじゃねえか、黄色い歓声も聞き飽きただろうし、新鮮なんじゃねえかな。
「ロキ!気がついたようだな!ああ、よかった!」
「あ、ああ、心配おかけしました…」
俺の悲鳴に気がついたのか、部屋に飛び込んできた彼は嬉しそうに笑ってこちらに寄ってくる。こいつ、なまじ良いやつなもんでこっちの罪悪感も半端ない。だがこの完璧ハンサムはだいぶ天然なので俺が思っているようなダメージはないだろう。
結果として、あちらさんはけろりとしているのに俺だけ勝手にいたたまれなくなるというなんとも不毛な事態になってしまっていた。
「体調が優れないなかこんな遠出をするとは、あまり誉められたことではないな。君が良ければ元気になるまでここで休んでいけばいいだろう」
「ご厚意はありがたいですがお断りします」
ベッドの横にある椅子に腰かけて言うフレイの言葉に実感するのは、彼が本当にいいやつだってこと。なんでこういった二物も三物ももってるやつが生まれるのか本当に羨ましい話だが、彼の提案はちょっと受け入れがたい。
体が悪いのなら泊まっていけなんて人のよすぎる提案をしてきたわけだしフレイのその気持ちは嬉しいが、同居人である妹が問題だ。
あいつがいる家で一晩明かしてみろ。
絶対次の日の朝には素っ裸に剥かれてるだろう。特に俺が一度誘いを断ってからというもの、あの痴女は隙あらば人の貞操を奪おうとしやがる。
「そうか…残念だ。ならば用事がすみ次第私に声をかけなさい。グリンブルスティでアスガルドまで送ろう」
しゅん、と俯いて残念そうに唇を尖らせるフレイの発言の能天気さに相変わらずだと思ってしまう。だからこそ、俺も身ひとつで平気な顔していられるんだが。
「そんな簡単に言うけどあっちはお前にとって敵地だぞ」
正直あきれてフレイに言うとシーツを掴んではぐり、体を横にずらしてから膝から下をベッドからおろす。すると、フレイと向き合うような形になった。
「君にとってここは敵地ではないのか?」
彼のしたり顔はやはり絶世の美貌だ。
「いや、それはそうだけど、お前らなら突然襲いかかってくるなんてことないだろうって思ってよ」
「ならば、私にも君がついているではないか」
「俺がお前のフォローするように見えるのかよ」
「君は優しいから大丈夫だ」
そして、この男。
天然だが頭がいい。
人がどういう言葉に弱いかを知った上で言葉を選んできやがった。
いや、他の誰に同じことを言われようと簡単に突っぱねることは出来るんだが、こいつに言われると…ちょっと、その、だいぶ、断りずらいとうか。親切心の塊の期待を無下にしたくないと思うのは、俺じゃなくても当たり前の思考だ。
「ちょっと早めにおろしてもらうことにするわ」
「決まりだな」
満足そうに頷いて、俺の両手を掴むと愛想の良い笑みを浮かべるフレイに、ついつい俺は眉間の皺を深くする。
俺の前で美しく笑うな。嫌みにしかなんねえっつの畜生。
しかし、俺の不快感に気がつかないフレイが手を離してくれないことに意見しようとした瞬間、先程彼が入ってきた扉がまた勢い良く開かれた。
「お兄様!ロキちゃんが私と寝所を共にするために来たって本当!?」
高くて可愛らしい声をあげて入ってきたのは、フレイと同じ顔をした美女。彼の双子の妹、そして自他共に認める全ての神々の愛人、フレイヤだ。
彼女はその可愛らしい目でこちらを見てから口をあんぐりと開ける。そして何故か言葉を失った様子で少し思考したあと、じわじわと表情を怒らせた。
「ロキちゃん、どういうことかしら」
可愛らしい声に、怒りが聞き取れる。しかし、俺もフレイも彼女が何故怒っているのかさっぱり分からない。思わず目を見合わせて首を傾げると、その直後フレイヤは目を見開いて息を大きく吸った。
「私とはだめなのに何故お兄様とはいちゃいちゃしてるのよ!」
「いや、してねえし」
「だったらその手は何よ!」
彼女に指摘されて手元を見ると、先程握られてそのままになっていた両手に気がついてフレイを睨めば彼は苦笑してから手をはなした。そのやり取りが気にくわなかったのだろうか、何故かフレイヤは怒りで顔を真っ赤にしてから唇を震わせ。
「お兄様もお兄様よ!最近は私の事を何となく避けてるくせにロキちゃんならいいっていうの!?ロキちゃんだって何人の女と寝たか分からないのよ!なのに!私じゃなくて!ロキちゃんを選ぶの!?この!床のことじゃ誰にも負けない私を差し置いて!前より後ろの穴がい「それ以上言わせねえよ!!!?」
その口からあまりにもあまりなマシンガントークが炸裂したので、俺は思わず声を荒らげ制止しつつベッドから下りると、彼女の元まで駆け寄ってから頬を挟む形で顔を鷲掴んだ。フレイも呆れていたのか、妹の顔が力一杯掴まれているというのに抗議なしだ。
「盛大な勘違いをしているところ悪いが、お前と違ってこちらはヤることばっか考えてるわけじゃねえんだよ。そもそもここに命がけで来たのはお前と対話するためであってそれ以上でも以下でもねえよ!」
「むむご、むごむご」
「ロキ、対話するのなら放してあげようか」
俺の半ば力の入った説教にフレイヤはどうも納得がいっていない様子で口を動かすが頬を挟むように掴んだ手が邪魔らしく普通に話すことができない。こちらの方が静かでいいが、その様子を見ていたフレイが発した笑い混じりの言葉に、俺は従うことにした。
「ちっ仕方ねえな」
「ロキちゃんひどい!鬼畜!悪魔!畜生!人でなし!」
手を離したとたん降ってくる甲高い罵声の嵐に嫌気がさすが、言い返すようなことはせずにベッドまで戻って腰をかけると顔を真っ赤にしたまま、フレイヤはどかどかとこちらへ寄ってきて俺の横に腰をおろした。
「で、話って何。私の誘いを受けるつもりがないならさっさと用事を済ませて帰って頂戴」
「あー、はいはい。お前が素直に話を聞いてくれればすぐ終わるから安心しろよ」
つん、とこちらから視線をはなしてそっぽを向くフレイヤに、思わず出たため息を隠すことなく話しかける。そんな俺たちの事をフレイは暖かい眼差しで見つめているが、この男になにかしら危機感というものは存在するのだろうかと全く関係ないはずの俺が不安になってくる。しかし、俺自身さっさと終わらせて帰りたいので、この事に関しては口を出すつもりはない。
さて。このトラブルメイカーに談判といきますか。
「お前、グルヴェイグを知ってるよな?勿論」
「ええ、あなたの王様が何度も串刺して焼いた女の名前でしょ。三回も」
「彼女の正体、結構バレバレなんだけど、その件について何か言うことあるか?なあ、グルヴェイグさん?」
話は短めに。答えやすく。それを心がけつつ相手の様子を伺う。
早々に黙りこんでしまった彼女のきれいな金髪を眺め、返事を待っていると、彼女はゆっくりこちらを振り返ってぺろりと舌を出した。
「あらやだ、ばれちゃった?」
可愛らしく甘ったるい声で返されたその返事はアスガルドの男神ならばころりといく、魅力的なものだろう。この女は今まで自分の都合が悪くなったらいつもこれで難を逃れていたのだと言うことはすぐに分かる。特にオーディンのような女たらしなら一発だろう。
だが。
今回は悪いが通用しない。俺はそもそも媚びを売るのに慣れた仕草に魅力を感じるどころか癪に触るタイプの男神だ。お陰さまであまりにイラッとしたせいか、頭でなにかを考える前にフレイヤの頭を思いっきり叩いていた。
「いったいわね!!」
「あたりまえだ!痛くしたんだよ!!」
このくそ◯ッチ…自分のやったことが引き金で戦争が始まったってのに、なにが…ばれちゃっただっつーの!
「女の子を叩くなんて最低!」
「何が女の子だ!黄金の林檎食ってなかったらすでにババアだろうが何年生きてんだよお前!つか叩かれただけで済んだんだからありがたく思えよ!お前がいらんことアスガルドの男どもを手当たり次第誘ったり、金を搾取したり!オーディンにてを出したり!!しなければ!!!この戦争は始まってなかったんだよ!!!!俺の平穏を返せよこのビッチ!」
「び…!なによ!ロキちゃんがつれないから腹が立ってやったんだもん!悪いのはロキちゃんだもん!!私悪くないもん!!」
「ふ、二人とも、落ち着くんだ。対話をしたかったんだろう?さあ、」
「フレイは口出しすんな!そもそもお前が兄貴として妹の躾をちゃんとしてねえどころかいいように掌で転がされてるから流されて妹に犯されたりこんなことになったりしてんだろうが!頭も体格もお前のがいいんだからちゃんと怒るところは怒れよ極小肝っ玉が!でかいのは竿だけかよ!!!」
「え、あ、すまない…」
とりあえず一通り怒鳴り散らした後、俺は止めようとしていただけのフレイに怒りの矛先を向けていたことに気がついた。目の前には半泣きのフレイヤと、しゅんと項垂れて小さくなってしまったフレイ。
「あ、あの、フレイはわるくねえから、その、これは言葉のあやというか…」
「いいや、事実だよ…」
慌てて弁解しても、フレイのダメージはすでに修復不可能だった。しかし、そんな俺達の事を涙目で見ているフレイヤはどうも納得がいかないようで、俺のことをにらみあげるとベッドから立ち上がった。
「なによ、私のことを蔑ろにするロキちゃんが一番悪いんじゃない…。なんで私が悪者なのよ…」
そして、その大きな目からぽろぽろと涙を溢すと、口を一文字に引き結んで泣きはじめ。
「嘘泣きは通用する相手にやれよ」
その一言に、彼女は小さく舌打ちをした。
怒られて兄として反省したフレイに促され、フレイヤは俺と一緒にアスガルドへやって来た。もちろんフレイも一緒に。
「ちゃんと謝って、誠意を見せよう。私も一緒に謝るから」
そう言ったフレイのお陰で、フレイヤは渋々だがグリンブルスティの引く馬車に乗り込み、俺もその斜め向かいに座る。向かいも隣も絶対ごめんだ。
始終膨れっ面のフレイヤはアスガルドにつくまで一言も話さず不機嫌を主張してきたが、生憎その手法がきく相手はここにはおらず、それも無駄なあがきになった。ビフレストの手前でヘイムダルに手を振って見せると彼はすぐに現状を理解して俺達を迎え入れてくれた。
それに、得意気に笑って俺を見たフレイには愛想笑いを返しておく。ああ、たしか、俺が優しいとかへったくれとか言ってたな。正直こいつは俺のことを買いかぶりすぎだと思う。
「ヘイムダル。犯人連れてきたからオーディンの前につれていくぞ」
「どうぞ。粗方の事は彼らの耳にいれてますので」
「悪いな。助かる」
ヘイムダルに促されヴァーラスギャールヴまで行けば、そこでトールとバルドルが待っていてくれて、ヘイムダルはそこで抜け、五人でぞろぞろとヴァルハラへ向かった。
その間、フレイヤは不満顔のまま一言も話さなかった。
「ロキ!一人で行くなんて、どうしてそんな無謀なことをしたんだい!」
ヴァルハラで玉座に座っていたオーディンは、俺の姿を見るなり立ち上がると彼にしては珍しく怒ったような、焦ったような様子でこちらに寄ってくる。玉座の隣に立っているフリッグが俺に首を傾げて困り顔を向けてくるので、俺も苦笑で返すと隣で聞きなれた声が降ってきた。
「本当に、何故俺を呼ばなかった」
「トールは戦場に居たからじゃないかな。トールほど頼りにはならないと思うけどヴァーラスギャールヴに居た僕を呼んでくれたら良かったのに」
オーディンの息子二人までもが堰を切ったように話しはじめ、先程まで静かだったヴァルハラは急に騒がしくなる。ブラコンの親父に似て、この二人もえらく心配性だな。
「相手はフレイとフレイヤだ。心配なんて初めから無いようなもんだろ。一人で十分だって。二人ともちゃんと連れてきたんだし」
「そうよ。ロキは十分な大人だし、貴方達よりもずっと柔軟な判断も出来るのだから、人数が増えても邪魔になるだけよ」
隙あらば人に頬擦りでもしそうなオーディンを片手で突っぱねながら言えば、フリッグがフォローしてくれた。とはいえ、彼女の声色は普段のおっとりしたものではなく酷く平坦だ。
おそらく、フレイヤがいるから。
だが、本題に入らねえとな。そろそろいい頃合いだろう。
ということで、無駄話もこれくらいにして、と一回号令をかけようとしたところ、先程まで俺の後ろで黙っていたフレイが俺の横から前に出てくる。それに俺が意識を奪われていると、彼はまるで流れる様な動作で膝を折り、両手を床に付く。彼が何をしようとしているのか分かって、それをやるべきなのが彼でないと思った俺が止めようとするが、もう、間に合わず。
「この度は!私の妹が!失礼きわまりないことをしでかしてしまい、誠に申し訳ございませんでした!!!」
フレイは見事な土下座を披露してしまった。
ああもう!こいつがこんなだから妹がクソワガママに育つんだよ!!なんでそこに気付かないかなぁ!つかなんでこいつは土下座しててもこんなハンサムなんだよ糞ほど腹立つ!
「フレイ!これはおまえがやることじゃねえだろ!」
「いや、全て私の監督不行き届きが原因なのだ!このような事では許してもらえないことも分かっている!しかし…!」
「てめえじゃなくてそっちの自己中ビッチが謝るべきだって言ってんだよ!」
わからず屋のフレイのせいで頭に血がのぼり、全力でフレイヤを指差して怒鳴りあげれば 困り顔が見上げてくる。それを見たフレイヤといえば、つん、とこちらから顔を背けやがって…そろそろ腸が煮えくり返るどころか水蒸気爆発しそうだ。
だが、ここはまずフレイだ。膝をついたまま今度は弱々しく、しかし、と口にした彼の腕をつかんで立たせ、正直若干苛立たしそうにしているオーディンと向かい合わせる。
「おい、フレイヤ。原因はお前だろうが。お前の勝手なプライドのためにどれだけの神に迷惑かけたと思ってんだ。さっさと和解して戦をやめさせろ。そのために何をすべきかはわかるだろ?いい大人なんだからよ」
ぐっと黙ったまま口を開かないフレイヤ。
それにしびれを切らしたのは俺じゃなく、フリッグだった。
「ロキ、もういいわ」
「は?なに言ってんだよ」
「今回は、フレイに免じて停戦をこちらから提案します。なので、貴方がヴァン神族の気を納めてくれるかしら?よろしくて、フレイ」
「も、もちろんです、しかし、原因はこちらにあるというのに…」
「ええ、そうね。だから、ただと言うわけではないわ」
フレイが拳をきゅっと握るのが分かる。緊張した様子でフリッグを見つめ、先の言葉を待つ。それと同じく、ここにいるフレイヤ以外の全員がフリッグに視線を集中させる。
なにを要求するというのか、正直俺にもわからない。
「人質の交換、はいかがかしら。フレイヤが謝るまで彼女とあなた、そして、ニヨルドはアスガルドに、こちらからもそれに見合う神を人質として送ります」
「ちょ、ちょっと待つんだフリッグ!いくらフレイヤちゃんが謝らないからって…」
「お黙りなさい浮気股割け男」
フリッグの提案に、思わず開口したままこちらを見下ろしてくるフレイと、慌てて制止に入ろうとして許否されるオーディン。そんでもって、苦笑して事を見守るバルドルと、なぜ皆がそこまで驚いているのか、さっぱり分かっていないトール。
俺は少し、考えた。
これはちょっと、けっこう、かなり無茶苦茶な条件だ。なんか美しいってだけでヴァナヘィムでは重宝されまくっているニヨルド一家をこちらに住まわせるとなると、恐らくあちらさんは反対するだろう。そのために彼女はこちらからも人質を出すというんだろうが…正直、ほんと、正直なところ、ニヨルドとフレイはまあいいとして、ただ我儘で自己中なフレイヤの対価としては法外な人物を要求されるに決まってる。
「フリッグ、正気か?」
地味にざわつく中、問いかければ彼女は深く頷いた。
「ロキ、貴方に聞くわ。あちらの意見を考慮せず、あなたの考えとして、人質は誰がいいかしら」
うわ、なんで俺に訊くんだよ。
だがまあ、仕方ないし、知り合いの神々の顔を思い出していく。
フレイヤの分の人質は正直一人も出したくないし、まあ、二人でいいか。そうなると、ニヨルドとフレイの対価として…
「頭のいいミーミルと、見た目のいいヘーニルかな。フレイヤ分は、こっちがわに害しかねえからいらんわ」
「な、みんな私の虜じゃない!それを害だっていうの!?」
俺の提案に、案の定フレイヤは金城り声で抗議しやがるが、正直誰一人それに賛同するやつはここに居ない。
「トラブルメイカーは黙っとけ」
「フレイヤ、あなたが一言、ごめんなさいと言えばすむ話なのよ」
俺の一言に続いてフリッグも呆れた声で語りかけるが、どうも、何故かこのトラブルメイカーはどうしても納得がいかないらしく顔を真っ赤にしてまくし立て始めた。
「な、何故私が謝らないといけないの!悪いのはロキちゃんだもん!私じゃないもん!」
「フレイヤ。君がまいた種じゃないか」
「お、お兄様まで!!」
ぎゃーぎゃーと喚いていた彼女に、最愛の兄貴から予想外(とフレイヤは思っているようだ)な批難が飛んできてさすがに言葉が続かなかったのか、甲高い声はいったん途切れる。助かった。あのままじゃ耳がおかしくなってたところだ。そこで、黙ったタイミングでいつもは嫌事どころかあまり言葉を挟まないトールが珍しく口を開く。
「悪いことを認められないとは、神として恥ずべき事だぞフレイヤ」
「普段なにも言わないトールが言うなんて、よほどの事だと思うよ。フレイヤ」
そして、弟に続いてバルドルがトドメとでも言うように笑いながらそんなことを言うもんだから、フレイヤはしばらく口をパクパクと動かした後。
「みんなのバカ!鬼畜!くず!最低!!大嫌い!!全部ロキちゃんのせいよ!私のせいじゃないもん!!私は悪くないもん!!バカぁあ!!」
案の定盛大に泣き出して、そんなことをいいながら脱兎のように逃げ出した。ちなみにそれを追いかけるようなことは誰もしなかった。あの、甘やかしな兄でさえ。
人質の交換による休戦は、フレイの尽力が実って成立した。正直彼はかなり苦労しただろうが、そこはやはり賢い男だ。乗りきってしまうのだから凄いもんだよ。ヴァナヘイムへ行ったヘーニルは見目の美しさを気に入られてやたら良い暮らしをしているらしいが、ミーミルは頭がいい代わりにだいぶ拗らせたコミュ障で、ある意味腫れ物のように扱われているらしい。ヘーニルが一緒だから大丈夫だろうけど、正直だいぶ心配だ。
で、アスガルトの方だが。
フレイヤは反省の色など全く見せず、毎日のように男をひっかけている。
そしてたまに夜這いに来る。
糞ほど迷惑だ。
その全てを例外なく追い返しているのだが、夜もおちおち寝てられんのでたまに兄貴の方に寝ずの番を頼んでいる。妹の尻は兄に拭いてもらわねえとな。親父のニヨルドも厳格そうに見えてフレイヤに甘いもんだからな、可哀想な兄貴だよ。
おかげでフレイヤはとてつもなく迷惑な勘違いをし始めているみたいだが、そんなことはどうでもいい。
オーディンは相変わらずフレイヤに甘いし、バルドルに魔の手が延びないかとフリッグはやきもきしているが、それ以外で言うと昔の平和なアスガルトへ戻ったので、とりあえずは良しとしよう。
だが、ひとつ。
大きな問題が残っていた。
ヴァナヘイムとの戦争で見事にぶっ壊されてしまったアスガルトの外壁。これを、修理しなければいつ巨人が攻めてくるか分からない。アース神族はあまり重労働を好まない面倒臭がりばかりだ。
さて、どうしたもんか。
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