同級生と遠足⑦

 お風呂にも入り終わって自室で寝巻きに着替えながら、自分の緩む頬を止められずにいた。

 今日は、本当に楽しかった。

 ジェットコースターに乗って、旧友(仮)に逢っ手、お昼を食べて、抱えていた悩みを話して、パレードを観て、またアトラクションを巡って。

 いつもより書く分量が三倍くらいの長さになってしまった日記帳代わりの方眼ノートを見つめる。いつかこれを読み返した時に、あれもこれも、全部思い出せるように細かく記しておかないと、と気合を入れすぎた超大作だ。

 日記を閉じながら、そういえば、と思い出す。

今日、鈴之瀬さんや由良さんと話している最中に、過去の日記を読み直そうと思っていたんだった。

二人に話した薄らぼんやりとした、記憶とも呼べない光景が、保健室や病院での一幕だったんだとしたら。きっと日記にも書いているはずだから、と。

ちょうど今日のことを書いたノートはナンバー28。多分20台辺りが中学生の頃に書いたものだろうと思い、数冊を手に取る。

記憶が戻ってほしいと思いながら、何で記憶をなくしたのか。何でそんなよくわからない光景だけ忘れていないのか、そういう原因を究明しようと動いたことはなかった。

記憶なんてきっとそのうち戻ってくるだろうと思っているのかも。要はキッカケがないからだと決めつけていた。

けど、今回予期せずサナちゃんに逢って。

ただ手を拱いているだけじゃダメだ。キッカケがあったって、思い出せないものは思い出せない。

由良さんは手助けしてくれるって言ってくれたけど。こればっかりは自分が動かなきゃいけないのかもしれないと薄々わかり始めている。

大きく伸びをして、身体の空気を入れ替えるために深呼吸。

「よしっ」

 誰に聞かせるわけでもないけれど、気合を入れ直して過去の日記を開いた。

 一番怪しいのは、記憶を失くす前日。

 その日に何か、例えばどこかで酷く頭をぶつけたとか、そういうことがあったんじゃないかと日記を読む。

 しかし期待は外れてしまった。

『入寮一日目。早く寮と学校に慣れるように頑張ろう。寮のご飯はとても美味しい。今日は肉じゃが。でもお母さんの作る甘すぎる肉じゃがも、私は結構好きだったな』

と、当たり障りのない文面だった。

 もっと、記憶を失くす予兆みたいなものはないのかな。

 保健室や病院が絡むような。

 そう思ってそこから数日分日記を遡ってみるけれど、特に面白い記事は見当たらない。

サナちゃんとショッピングに行ったとか。チカちゃんと喧嘩したとか。クルミちゃんと勉強会をしたとか。楽しそうではあるけれど、至って普通の学生生活を送っているように思える。今より友達が多そうだ、ということくらいしか伝わって来ない。

もしかして、着目している場所が悪い?

本棚を真上から見ることで星のマークを作ってみせた明星くんを見習って、一度視点をズラしてみたら良いのかも。

ぼんやりとした記憶では、目の前で椅子に腰をかけて座っていたのは通っていた中学の制服だったから、てっきり同級生の友達かと思い込んでいたけれど。実はあの人は年上のお姉さんだった、という可能性はあるだろうか。例えば、近所に住む年上のお姉さんだった、とか。友達のお姉さんだった、とか。

もしそうだったとしたら、中学の時の日記ばかり読み返していても意味がない。

もっと過去の、小学生の頃とか。

ううん、もうナンバー1から読み直そう。幸い明日は土曜日で学校はお休みだし。少しくらい夜更かしをしたって問題はない。

そう思って一番左端に置かれたノートを手にとって開く。

『うたのおねえさんがにっきをかこうっていってたから、にっきをかきます』

 そんな出だしから始まる、友坂あまつの日記帳。

 日付は確かに自分が五歳の頃のものが書かれている。

 どくどくどく。

 自分の心臓の音が眉間の間で鳴り響いているのが、いやでも耳に入ってくる。

 これはどういうことなんだろう。

 慌ててそこから、数日分の日記をバラバラとめくる。

 二、三、四、五。十六、十七、十八、十九、二十。

 全部のノートを床の上に広げながら、バラバラに散らばったノートの真ん中にしゃがみ込んで、確信した。

 認めざるを得なくなった。

「これは、日記帳なんかじゃない」

 漏れ出た声より、自分の心臓の音の方がよっぽど煩い。

鼓膜を殴るような遠慮のない鼓動にクラクラしながら、奥歯を食いしばる。

 文章は確かに幼い子供が書いたようなそれだけれど。

 同じノート、同じペン、同じ筆跡。

 それが意味するのは、これを書いた人間は、幼い子供なんかじゃなかったという確かな事実だった。

 これは、友坂あまつが積み上げた過去なんかじゃない。

 誰かが意図的に用意した記憶だ。

 誰か、なんて。

 そんな誤魔化しは通じない。

 だってこれは一番見慣れた、一番身近な人間の文字そのものなんだから。

 でも何で。

何でその人は、友坂あまつに過去が必要になることをわかっていたんだろう。

 どくどくどく。

 そうだ。

 あのアルバム。誰とどこに行った時に撮った写真かが懇切丁寧に書かれていたあのアルバムだって。

 単体で見ればただきっちりとした性格なんだろうで住むけれど。

 この日記帳と並べれば、意味は全く変わってくる。

 あれは友坂あまつの、謂わば相関図だったんだろう。

「過去の友坂あまつは、何を知っていたの」

 過去の日記も、手製のアルバムも。自分と何ら変わらない筆跡。

 友坂あまつの過去を用意したのは、紛れもない、友坂あまつ本人だ。

 こんな日記を揃えて、こんなアルバムまで作って。

 一体彼女は、何をしたんだろう。何をしたかったんだろう。

「知りたいか?」

 ふっと頭上から声がして、背筋が張った。

 混乱して疲れ果てた脳みそが、最後の抵抗とばかりに警鐘を鳴らしているけれど。

 息を噛み殺して覚悟を決める。頭をゆっくりと上げた。

 いつも横になるベッドの上に、それは優雅に座っていた。

 艶やかな白い毛並み。ふさふさと揺れる尻尾。

 ねこなのかいぬなのかきつねなのか。

 定かではない生き物が、視線を合わせて話しかけてくる。

「知りたいのかと聞いているんだがね」

 こちらを見据えたまま、その生き物は首を傾げるような素振りを見せた。それはまるで人間のような仕草で。殺していた息を細く吐きながら、ゆっくりと言葉を吟味する。

「あなたが、神様ですか」

 問いかけに、生き物は大きく伸びをする。

「あんた、俺を覚えているのかね」

 問いかけに問いかけで答える少年のような声音。

 否定しないということは、憶測はあっているということだろう。

明らかに常識から逸脱したこの生き物は、恐らく鈴之瀬さんがバスの中で言っていたタレコミのあった神様だ。

でも、俺を覚えているのか、とはどういう意味なのか。

それに何故神様が、こんなところにいるのか。

そしてここにいる神様が、何で誰かに姿を目撃され、タレコミされているのか。

無言を困惑と取ったらしい生き物はフルフルと首を振る。

「そんなわけないよな。悪い、今のは忘れてくれ」

 少し長い耳の下を長い足で蹴るように引っ掻きながら、神様は言った。

「何でそんなわけないってわかるんですか」

 カラカラに干からびた喉から出た声は、想像以上にガサついてしまった。

「あなたは友坂あまつを、ご存知なんですか」

 ごくりと耳障りな音を響かせて、唾を飲み込む。

「知っているよ」

 アッサリと神様は言った。

「アンタの記憶を消したのは俺だからね」

 ヒッと息が詰まった音が遠くで聞こえる。

「アンタが知りたいって言うなら、隠し立てすることは何もないね。第一、最初に俺との約束を反故にしたの他ならぬアンタなわけだし」

 約束を反故。

 神様との約束を反故にできるほどの何かを、友坂あまつは持っていたんだろうか。

「というか、俺はアンタに真実を話すように、わざわざ叩き起こされたらしいんでね」

 叩き起こす?神様を叩き起こした人間がいる、ということか。

「誰に起こされたんですか」

「そんなこといちいち覚えちゃいないが。人間だったんじゃないかね」

「それなら、あなたはどこで眠ってたんですか」

「さてね」

 答えたくないのか、答える気がないのか。神様はそのままその場で身体を伸ばして寝転んでしまった。

 知りたいなら教えると言ってくれたけれど、それはあくまで昔の友坂あまつに対することだけらしい。

 もし、この神様がこの部屋で眠っていたとする。そうすると誰かがこの部屋に侵入して、神様を起こすという芸当をやってのけたということになる。寮のセキュリティー的に、全く笑えない話になってくるけれど。

 張り詰めていた息を今度こそ大きく吐き出して、考える。

 考えるほどのことでもない。

 実質、二択なんだから。

 そしてその二択なら、答えはわかりきっている。

「知りたいです」

 ようやくそう答えると、神様は首だけでこちらを振り返る。

「だろうね。とはいえ長い話になるからな、日が昇った後、茶でも飲みながら話そうじゃないか」

 自分から教えてやると言っておいて、随分な待ったをかけてくる。その気紛れな様は獣染みていて、それでいてい神様染みていた。

 時計を見れば、そろそろ日付を超えそうな時間。いつもならとっくに夢の中だけれど、今日はゆっくりと眠れないことは覚悟しておこう。

 机の上に置いていたスマートフォンを手に取り、二通メッセージを飛ばす。

 それからベッドに腰を掛けた。

 神様は伸びて寝転んだ姿勢のまま、壁際にコロコロと転がっていく。

 これは、隣に寝ても良いってことなんだろうか。

「さっさと寝ないと、明日に障るぞ」

 こちらの戸惑いを感じ取ったのか、トドメのような許しのような言葉を掛けられる。

「失礼します」

 一声かけてからゆっくりと横になり、少し薄手の布団を口元まで被る。

 とにかく横になろう。そして目を瞑ろう。

 どくどくどく。

 心臓の音を聞きながら、深く深呼吸した。

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友坂あまつの放課後奇譚 昼間あくび @Akubi_

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