同級生と遠足⑥
「何、この甘酸っぱい空気。やめてよね。アタシが超アウェイじゃん」
鈴之瀬さんが不貞腐れたように言って、こちらをも見る。
「アタシも知ってるんだから。あまつちゃん、同学年の女子から結構人気あるんでしょ。図書館の王子様―とか言ってさ」
図書館の王子様?
そんな噂話は初めて聞いたけれど。
というか、そんな行き過ぎた乙女チックなあだ名を自分が冠しているとはあんまり思えないんだけど。
「あぁ、それね」
由良さんまで何故訳知り顔なんだろう。
「格好良い女の人がいつも図書館の窓辺で勉強してるとかっていうアレね」
「そーそ。いつも勉強している格好良い人が、棚の上の段にある本をサラッと取ってくれたけど、実は女の人だった、とかね」
「あと、たまたま自習机が埋まっていて困っていたら、席を譲ってくれた格好良い人が手に持ってたのは教科書じゃなくて絵本だった、とか」
「二人とも、いちいち頭に『格好良い』ってつけるのはやめてくれない。物凄く恥ずかしいから」
というか、居た堪れない。
「あまつちゃんって、名前はとってもプリティーな印象だけど、見た目は普通に格好良いもんね。イケメンさんだもんね」
鈴之瀬さん、イケメンって、イケてるメンズ、の略じゃあなかったっけ。
「あまつって名前だって、ともすれば清廉なイメージじゃない?だって要するに天女ってことでしょ」
天女?
由良さんの言葉をうまく理解できないでいると、困惑した顔の鈴之瀬さんと目があった。
「え、どゆこと?」
「さぁ?」
鈴之瀬さんの質問に質問で返す。
名前の由来なんて勿論覚えているわけがないし、日記にもアルバムにもない情報だから、今の自分が知りようがない。
「まぁいいや。今度親御さんと話すときにでも聞いてみてよ」
由良さんは何だか少し照れたようにそっけなく言う。
「だから、アタシが言いたかったのは、あまつちゃんって図書館に結構入り浸ってるイメージだったけど、それって一生懸命勉強してたからなんだね、ってこと」
鈴之瀬さんが気を取り直すようにそんなことを言ってくれるけれど、本当にそんな話していたっけ。
勉強がしたくて図書館にいた、というよりは、友人もまともに作れない自分が一人でいても目立たなくて、さらに夜まで時間を潰せる場所が図書館だった、ってだけの話なんだけど。
二人が話してくれた噂話がどこまで本当でどこまで自分に関与しているかは定かではないけれど、これからは図書館に入り浸るのもほどほどにしておこう。
「だからこそっていうかさ。そうやって勉強面とかで色々苦労することも多いんでしょ?きっとそれ以外にも困るとこは山ほどあるわけじゃない。だったら普通、過去のこと思い出したいなー、とか思ったりしない?」
鈴之瀬さんからの質問はいつだって直球で、心臓にビンタをされているような錯覚に陥りそうになる。
「そりゃあ考えるよ」
唇の端を上げて見せながら答える。
記憶は確かにほとんどない。でも、全く覚えていないわけじゃない。
ただ二人に話せるほど、はっきりとしたものでもない、とは思っていたけれど。ここで話さない方が不義理で不誠実なのかも。
「全然何も覚えてないってわけでもなくってね」
「どういうこと!?」
鈴之瀬さんが想像以上の速さで食いついてくる。それに気圧されるような形で、口が動いた。
「少しだけ、覚えている光景があるというか」
記憶と呼ぶのもおこがましいほど、薄らぼんやりとしたもの。
「自分はベッドの上で座っていて、部屋は全体的に白いんだ」
「それは、友坂さんの実家のお部屋みたいな?」
由良さんの質問に首を横に振る。
「アルバムに少しだけ写ってた私の部屋とは全然違ってたよ」
「そっか。ごめん。話を続けて」
促されて、瞼の裏にあのぼんやりとした光景を蘇らせる。
「自分が座ってるベッドの側には椅子があって、黒い髪の制服を着た女の子が座ってるの。制服は、通っていた中学校のもので。黒い髪の子はいつも泣いて下を向いてるから、顔は全然わからなくて」
いつも啜り泣くような声を上げている女の子。それをただじっと見ているだけの自分は。
「何故だかその女の子にとてもイライラしているっていう、そんな感じの記憶で」
「イライラ?」
鈴之瀬さんと由良さんが顔を見合わせている。
確かに、泣いている、しかもおそらく顔見知りの女の子を見てイライラするってどういうことなのかとは思うけれど。
「ベッドの横に椅子がある白い部屋って、例えば保健室とか病院とか、そういうとこじゃない?」
由良さんに言われ、腑に落ちる。
「かもしれないですね」
「じゃあ、あまつちゃんは大きな怪我とか病気とか、そういうものにかかったことがあって、それで記憶が?」
「中学の時に病院や保健室に行った、みたいなこと、日記には書かれてなかったと思うですけど」
とはいえ一度は全部通しで読んでいる日記でも、読み漏れや勘違いもあるかもしれない。帰ったら久しぶりに一から読み返してみよう、と密かに心に決める。
「というか、その黒髪の女の子って、さっきあったサナちゃんじゃないの?」
鈴之瀬さんの言葉に私はフルフルと首を横に振る。
「最初はそうかもしれないなって思ったんだけど、記憶にある女の子とサナちゃんじゃ、印象が全然違うかな。サナちゃんは快活ではっきりした子だったけれど、記憶の中の子はこう、暗い感じというか」
「確かに、あのサナちゃんって子は見ててイライラするタイプじゃなかったね。どちからといえば、あの子自身がそういう泣いてる人を見てイライラするタイプ」
由良さんの的確なツッコミに苦笑いが出る。
「ってことはさ、あまつちゃん、記憶がなくなる前の知り合いにあったのって、これが初めてだったの?」
鈴之瀬さんの言葉に、こくりと頷いてみせる。
「そうだよ」
だからこそ、怖かった。
怖くて、でも、期待していた。
これがキッカケで何かを思い出すかも、とか。
そんな都合の良い話があるはずもなく、結果鼓くんや二人に迷惑を掛ける形になってしまったけれど。
「だから、あの時二人がいてくれて本当に良かった。一人きりじゃ、あの場を対処できなかったと思うし」
「連れ出したのは鼓くんだけどね」
由良さんが困ったように笑う。
「鼓くんには帰ったらお礼を言うね」
「うーん。聞きたいことは他にもたくさんあるけど、そろそろ遠足に戻ろっか」
席を立ちながら、鈴之瀬さんが笑う。そして由良さんが持ってきてくれていた携帯用園内ガイドを開きながら、眼前に突きつけてくる。
「このショー、アタシ絶対見たいんだよね。このガイドだと、ココ、ココにいるとレアショットがじっくり見えるらしいんだよ」
鈴之瀬さんが興奮気味に指差すページには、このテーマパークの主要キャラクターが一堂に会するというパレードショーの写真が載っている。写真から伝わる煌びやかなパレード。
「そうだね、見に行こう」
荷物を持ちながら立ち上がる。せっかく楽しい場所にやってきたんだから。今度は自然と唇の端が持ち上がるを感じる。それを止めようとは思わなかった。
トレーやお皿を所定の位置に返し終わった鈴之瀬さんは勢いよくお店を出て行く。それに続こうとして、袖をくんっと引っ張られる感覚に気付く。
「戻る前に、一つだけ聞いておきたいんだけど」
後ろにいた由良さんが、ゆっくりと私の方を見上げる。
「友坂さんは自分の過去のこと、思い出したくないの」
その真剣な顔に、ぐっと息を飲んだ。
「もし思い出したいなら、私たちが力になれるかも知れない」
「私たちって、逸話蒐集倶楽部の皆さんってこと?」
尋ねると、由良さんがこくりと頷く。
逸話蒐集倶楽部。明星くんみたいな、本当に逸脱した何かを持っている人がいる倶楽部。確かに、記憶喪失の一つや二つ、どうってことのない問題のように解決できる人が世の中にはいるのかもしれない。そんなことを思わせてくれるような存在感はある。
「皆さんっていうより、主に部長がね」
由良さんは何だかちょっと誇らしそうに笑う。
「そういえば、部長さんにはお会いしたことがないんだけど。どんな人なの?」
「すっごい変わり者」
まさかの即答だった。
「世話焼きの癖に面倒見が良くない奇人」
もの凄い言われようだ。
「由良さんは、部長さんのこと苦手なの?」
「そんなことはないよ」
私の疑問に首をふる。
「鼓くんは苦手らしいけど。私はそれなりにお世話になっているし、尊敬しているところもあるよ」
「そうなんだ」
なるほど、あの誇らしげな顔はそういうところから来るのかも知れない。
「だから、友坂さんが頼めば、きっと問題解決の糸口くらいは掴めるかもと思う」
今日は、どういう顔をしたら良いのかわからなくなることが多い日だ。
「思い出したくないわけじゃないんだけど」
思い出せたなら、きっともっと生活に余裕が出るのも、わかる。
ただ、人の手を借りないといけないほど切羽詰まった状況じゃないような気がする。
申し訳なさなんかじゃなくて、ただ居心地が悪い。そう言ったら、由良さんから軽蔑されてしまうだろうか。
「友坂さんは、生き辛そうだね」
由良さんは眉根を少し寄せて、何だか寂しそうにそう言った。
「そうかな」
「そうだよ」
由良さんに手を引かれてお店を出る。
「もし、頼りたくなったら、その時は言ってね」
「うん、ありがとう」
「二人ともっ」
お礼を言った直後、目の前から怒ったような顔をした鈴之瀬さんがズンズンと音を踏みしめてこちらに向かってきていた。
「何でまだ店の前なの。二人がいないのに気付かずに暫く一人で喋っちゃってたじゃん。周りの人にクスクスされちゃったでしょっ」
もうっ、とふくれっ面の鈴之瀬さんに面と向かっては言えないけれど、その姿を思い浮かべるととても可愛い。
「ごめんね、鈴之瀬さん。行こうか」
「パレードが良い感じに観れなかったら、二人のせいなんだからね」
鈴之瀬さんに手を取られる。そのまま走り出す彼女についていきながら、店を後にした。
勢いよく駆けて行く二人の後を追おうとしたら、スマホが震えた。画面を確認するとそれは着信。相手も珍しかったので受話器マークをタップする。
「何よ、鼓くん」
「そっちの首尾はどうだ?」
そんなに気になるなら自分もあの場に残れば良いだろうと思うけれど、きっと友坂さんを慮ってのことだろうってことは流石の私でもわかる。鼓くんの相手もそして何よりも自分さえわかっていない優しい部分を一応は評価しているんだけど。口で伝えたら嫌な顔をすることは間違いない。
「ぼちぼち。友坂さん側の事情は本人の口から教えてもらったけど。信頼関係なんて、一朝一夕では築けないわよ」
「それもそうか」
軽く同意する鼓くんに、私は隠さず溜息を吐く。
「でも私たちがするのはここまででしょ」
「そうだな。あとは友坂が自分で選ばないと意味がない」
「この程度で導き出せる答えなの?」
図らずも咎めるような口調になってしまった。私のそんな悪態を気にするでもなく鼓くんは「さてな」と言葉を濁す。
「そんなこと、俺に聞かれてもな」
「それもそうね」
「んじゃあまた、部室でな」
聞きたかったのは本当にそれだけだったらしい。鼓くんはさっさと通話を切ろうするが、私はすんでで待ったをかけた。この男は感謝されること自体を避けたがるところがあるけれど、それでも受け取ってもらわないと。こちらとしては後味が悪い。
「手筈とはいえ、ちゃんと友坂さんを助けてくれて有難う」
「ん。本人からも言われた」
友坂さんも、そういうことはきちんと言葉にするタイプだな。生き辛そうな程に愚直なあの感じを見ていると。
「それじゃあ、残り時間楽しんで」
「そっちもな」
簡単に社交辞令を済ませて今度こそ電話を切る。
顔を上げると、ちょうど私を探してこちらに戻ってくる鈴と友坂さんの二人が見える。パレードまで、まだ時間あると良いんだけど。
一つ重たい息を外に投げ出して、今度こそ二人に向かって駆け出した。
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