同級生と遠足⑤

「それってつまり、記憶喪失ってこと?」

 誰よりも早くホットドッグを食べ終わった鼓くんは早々に離席している。後半は班の人や友人と回れていたらいいんだけど。

 鈴之瀬さんの真っ向からの問いかけに、少しだけたじろいでしまう。

「そういうことになるのかな」

「何だか他人事みたいな言い方するのね」

 鼓くんが抜けたことで席順は私対鈴之瀬さんと由良さんという事情聴取スタイルに切り替わっている。

「記憶がないことが当たり前だから、改めて聞かれるとちょっと考えちゃうというか」

 唇の端を少し持ち上げてみせると、由良さんはそういうものなのか、と引いてくれる。

「何がキッカケだったーとかそういう話、親御さんから聞いてないの?」

「うん。私の記憶がなくなったのって、入寮した次の日だったみたいで」

「みたいってどういうこと?」

 鈴之瀬さんは興味津々なことを隠さず机の上に身を乗り出してにじり寄ってくる。

「鈴、落ち着きなさい」

 由良さんがそんな鈴之瀬さんを諌めてくれている。正直有難い限りだ。

「さっきも言ったけど、話したくないことは話さなくていいからね」

「けど、話せることは事細かに話してね」

「鈴」

 由良さんの射抜く様な冷たい視線をさらりと受け流しながら、鈴之瀬さんはニコニコ笑顔で返答を待ってくれている。

 記憶がない、なんて言ってしまったら、まずは嘘を吐いているのでは、と疑われるんだろうなと覚悟していたけれど。二人は嘘を疑わない代わりに現状についての詳細を把握しようとしてくれているんだろうか。

 嬉しいけれど、申し訳ない。

「それまで書いてた日記とかアルバムとか、学校から貰っていた予定表とかで判断していたから」

「なるほど」

「中学生までは結構慎重な性格だったみたいで、入学してから向こう一週間のスケジュール表を作ってたんだよ。それのおかげもあって、今までバレずに過ごせてきたんだけど」

 同じ教室にいるはじめましてのクラスメイトが、実は記憶を全部失っているのでは?と疑える方が凄いというべきか。

「何で友坂さんはその時点で誰かに相談しようとか思わなかったの」

 由良さんからの質問に、図らずも目をパチクリとさせてしまった。

 誰かに相談。

 その頃は、そんな発想がそもそもなかった。

「深い意味はなくて。相談相手を探す余裕もなかったと言いますか」

「周りが全員知らない人じゃあ、無理もないんじゃない?」

 鈴之瀬さんの言葉に、由良さんはじぃっと目を細めてこちらを見据える。

「もしくは、友坂さんはそもそも人に相談を持ちかけるのが苦手な人間だったのかもしれないね」

 授業でわからない問題があれば先生に聞きに行ったりしているけれど、多分由良さんが言いたいのはそういうことじゃないんだろうな。

「親御さんはこのこと、ご存知なの?」

 鈴之瀬さんの気遣いに、喉がウッと鳴った。

「え、親御さん何も知らないの!?」

「いつかは、言わなきゃと思ってはいるんですけど」

 親は、というか家族という存在はとても大きいものだということくらい、一応理解はしているけれど。

 血を分けてもらってはいても、会ったこともない大人と積極的に話したいとは思えない。

 一週間に一回程度やってくるメッセージに、友坂あまつとして返信するので気持ち的には精一杯だ。

「はいはいはい。鈴も立ち入りすぎたこと聞かないの。友坂さんが困ってるでしょ」

「はーい」

 由良さんの言葉にあっさりと鈴之瀬さんは引いてくれる。

 氷の溶け切ったウーロン茶で喉を潤していると、向かいの席でズコーッと音を立ててオレンジジュースを飲み切った鈴之瀬さんが遠い目をして言った。

「五里霧中っていうか、暗中模索っていうか、そんな中でよく一年も過ごせたよね」

「日常生活に関わることは大体覚えていたから」

「不幸中に幸いを探すなら、そんな感じになるの?」

 鈴之瀬さんの問いかけに、内心首をかしげる。

 身に降りた、というか身で受けた記憶の喪失は別に不幸というほどのことでもないんじゃないだろうか。

 要するに、携帯電話からアドレス帳が抜け落ちた、みたいな。

 その程度のことだ。

 なくなったら困ることも勿論あるけれど、一度無くしたところで、その後積み重ねられないものじゃない。

例えばこれが、日常生活を送る上で必要なことまで、歩くことや喋ること、息を吸ったりご飯を咀嚼したり。そういうことまで忘れてしまっていたのなら話は全然違ってくる。

でもそうわけじゃない。

知り合いのいない環境で、自分が真っ白になってしまっても。新たにインプットすべき情報は提示されていて、ある程度誤魔化しながら過ごせる。現状は、言うならば代替え機器に愛着が湧き始めた状態なわけで。

幸運だったなんて、そんなことは絶対に言えないけれど。それでも特筆するほどの不幸でもないんじゃないだろうか。

「不幸とは違うけど、勉強は少し困ったな」

「勉強?」

 思い出したことを呟くと、今度は由良さんが反応してくれる。そういえば由良さんの成績は学年でもトップクラスなんだった。

「中学二年生くらいの範囲でも結構あやふやになっちゃってたんだ。寮に持ち込んだ荷物の中に、小学校と中学校の教科書とか入っていたから、勉強はもともと苦手だったんじゃないかな」

「なるほどね」

 由良さんが一つ頷いて、それからふわっと笑う。その笑顔が自分に向けられたことに心臓が大きく跳ねた。

「友坂さん、一年生の一学期の中間、最下位だったよね」

 ぎくり、と肩が上がる。

「何で由良さん、そんなこと知っているの」

「何でって、最下位はそれなりに目につくから」

 豊山学園は成績を全員分掲示する、そこそこ無情な制度を取り入れているんだから、知っていてもおかしくないかもしれないけれど。顔も名前も一致しない人間の順位までいちいち覚えているとは思えない。

 ただ、由良さんのいう通り、由良さんがこちらを知っていたのは本当に偶然だろう。

 最下位を取った人間に向けられる目はどういう意味合いなんだろうか。しかも高校生になって初めの試験で。学生生活の中で考えたくない案件のトップに入ると思う。

「でも、期末は別の人が最下位で、最近は真ん中辺りの順位取ってるでしょ」

 にこっとまた微笑みかけられるが、今度はさっきと意味合いがちょっと違ってくる。

「詳しいんだね」

「まぁね。部員になるかもしれない人のことだから」

 他人の成績まで調べられてしまう情報網ってどういうことなんだろう。というか、そんな調べ物よりも、自分の体調回復に専念して欲しい。

「というのは、半分冗談。私が知ってたのは最初のテストが最下位だったってことだけで、最近の順位が真ん中だっていうのは鼓くんのクラスの成績順位表を見せてもらって知ったの。調べようと思ってたわけじゃないから」

 学年順位という数え方だけではなく、クラス順位も一応割り出されている。それは担任の先生から配布されるわけだけど、他クラスの人の順位表を見せてもらう機会があるんだろうか。

 逸話蒐集倶楽部には、成績を落としたらいけないという規則でもあるんだろうか。入部に試験を取り入れるような部活動だから、疑わしくはある。

「だから成績上がってよかったね、って思ってたんだけど。そんな風に努力してたんだって知れて、少し得した気分」

 優しい笑顔のままな由良さんにそんなことを言われて、どう反応するのが正しいのか全くわからなくなってしまった。というか、何でそれで由良さんが得した気分になるんだろう。得したのは確実に、笑顔を向けてもらったこちらだというのに。

「ありがとう、ございます」

「こちらこそ」

 赤くなった顔を隠すために俯いてウーロン茶を飲み干す。ぬるくなってしまった中身に火照りを冷やすほどの効果は期待できそうにない。

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