同級生と遠足④

「やっぱりあまつじゃん。久しぶり、元気してた?髪切ってたから最初誰だかわかんなかったよー」

 その女生徒は真っ直ぐ迷いなく近寄ってくる。

「って何?何でそんな不思議そうな顔してるわけ?まさか、もう私のこと忘れちゃったとか?」

 彼女のその言葉に、私はゆっくりと息を飲む。

「そんなわけないよ。久しぶり、サナちゃん」

 大丈夫。こんな時の為に、何回もシミュレーションしてきた。

 にこっと何とか笑顔を作る。サナちゃんもまた嬉しそうな笑顔をして、口では「もぉ」と拗ねたような素振りを見せた。

「そんな幽霊でも見たような顔しないでよね。一年やそこらで忘れられちゃったのかと思ったじゃん」

「ごめんね、まさかこんなところで会うなんて思わなくってさ」

 今どんな顔をしているだろう。

 ちゃんと笑えているんだろうか。

 筋肉がびくりびくりと、無理に作った張りに反応している。

「それはこっちのセリフだって。あまつのところも修学旅行?」

「ううん、こっちは遠足だよ」

「そっか、あまつって地元出てこの辺りの頭良い学校に入ったんだっけ」

「ねぇ、あまつちゃん。そっちの人は知り合いなのかな?」

 私の横からひょっこりと鈴之瀬さんが顔を出す。鈴之瀬さんが横にいてくれるという事実に、少しだけ肩から力が抜けた。

「うん、中学生の時の同級生なんだよ」

「どもどもー、あまつの親友でーすって待って何その髪の色!?」

 サナちゃんはどうやら思ったことは口に出してしまう性分らしい。

「どもどもー、私はあまつちゃんの今の親友、鈴之瀬伎でーす」

 今のということでサナちゃんを言外に過去の親友にしている気がする。

 そのことに気付かないほどサナちゃんは鈍感ではなかったらしく、明から様に機嫌の悪そうな、というか怒ったような顔になってしまった。当たり前と言われれば当たり前だけれど。

「あまつさー、何かこのヤバイ人たちに弱みでも握られてるわけ?」

 視線を鈴之瀬さんから外さないまま、サナちゃんが問いかけてくる。

 サナちゃんの後ろにいる友人たちが「すごーい」と言いながらスマートフォンを鈴之瀬さんに掲げようとしている。なるべく変に思われないような足取りで鈴之瀬さんとスマートフォンの間に位置取りながら、サナちゃんに笑顔を向けた。

「そんなことないよ」

「会ったばかりなのに、酷い言われようね」

「由良さん」

 ひょっこりと、私の背後から由良さんも顔を出した。

「何、そっちは金髪なわけ。あまつどうしちゃったの。何でそんな悪い奴らに絡まれてるのよ」

 二人が悪い奴っていうのは前提なのか。

 確かに学園内では問題児で有名な二人だし、髪色が校則違反なのは間違いないけれど。

「二人は悪い奴じゃないよ。むしろとっても優しくしてもらうってる。それに、無断で人を写真に撮ろうとする人より、よっぽど常識的だと思うけどな」

 人に対してこんな風に毒吐くのにはなれていないから、もしかしたら加減を間違ってしまったかもしれない。

 スマートフォンを掲げていた後ろの数人が、ギロリと視線を向けてくる。自分に向けられる殺気にも似た悪意。そんなもの、初めて真正面から受けた。肝が冷える、というのはこういうことなんだろう。足が少しだけ震えた。

 サナちゃんは私の言葉に、キッと後ろを振り返る。

「盗撮はダメだってホームルームで先生たちが言ってたでしょ。ネットリテラシー?って奴。恥ずかしいから私の友達の前でそういうことするのやめてよね」

「ごめんってサナっちー」

 掲げていたスマートフォンをスカートのポケットに突っ込みながら、サナちゃんの友人が決まりの悪そうな顔をする。

 隣にいた鈴之瀬さんが小さな声で「やるじゃん」と呟く。その横で由良さんが「ネットリテラシーだとちょっと意味がズレると思うけどね」なんて言っていた。

 どうやらサナちゃんは、想像よりずっと優しくて頼りになる姉御肌みたいな人なのかもしれない。だとしたら、私のことも、本当に心配してくれているんだろう。

 サナちゃんは後ろの友人たちの様子を見てから、こちらに振り返った。

「で、あまつはその二人と本当に友達なわけ?」

 あ、やっぱりそこから疑ってるんだ。

 ずんずんとこちらとの距離を詰めながら、サナちゃんは険しい顔をしている。

「うん、えっとそれは」

 鈴之瀬さんが言った親友、という言葉が当てはまるかどうかはさておいて、この二人の素敵なところをどうやって紹介したものか考えあぐねていると、私とサナちゃんの間に黒い影がにゅっと割り込んでくる。

「はいはいはい。文字通りお邪魔しました」

 聞いたことのある低い声がそう言ったかと思うと、影は私の腕をとって走り出す。

 急に腕を引かれたことに驚いて、声を上げようと相手の顔を見て声が喉の奥に引っ付いた。

 私の腕を引っ張っているのは鼓くんだった。

「ちょっ、あんた誰よ」

 後ろからサナちゃんの絶叫にも似た声が聞こえてくる。

 そりゃあそう言いたくもなる。

「そんなの、この状況から察してくれよ」

 そう吐き捨てるように、一人ゴチるようにいう鼓くんに、状況を飲み込みきれず何とか転ばないようについていく私は思う。

 それは誤解を大歓迎しているようにしか思えない、と。


 しばらく人混みに紛れて歩く。

「あの、鼓くん、腕離してもらえますか」

「あぁ、悪いな」

 そんな会話をしながら、とにかく鼓くんの後を追う。何も考えずにただサナちゃんたちから離れようと歩いているのかと思っていたけれど、それにいしては足取りに迷いがない。

 というか、鼓くんの班の人たちはどこにいるんだろう。

 まさか、こんなテーマパークにまで来て一人で回っているなんてそんなこと。

 ない、と言えるほど、鼓くんのことをよく知らないというのが実際の彼と私の関係性だった。

 ずんずんと進んだ先のお店に、鼓くんが入っていく。後に続くとそこは簡単な軽食の取れるカフェテリアだったらしい。結構な人がピザやフライドポテトをつまみながら、次は何処に行こうかと話している声が聞こえてくる。

「そろそろ昼飯だろ。由良がここで待ってろだとさ」

「そう、なんですね」

 なるほど、由良さんの指示だったのか。

 丁度空いたばかりの四人席に腰を下ろす。鼓くんと向き合って座っていると、どうしてもさっきの出来事が頭を過って居心地が悪い。

「鼓くんは何であんなところにいたんですか」

「そりゃあ遠足はどこのクラスも行き先は同じだからな」

 これはもう絶対にはぐらかしでしかない。そしてこれ以上は聞いても無駄だということなんだろう。

 小さくため息を吐いて質問を変える。

「同じ班の人たちはどうしたんですか」

「みんな彼女と回るんだとよ」

 これは多分本当、なんだと思うけど。

 だとしたら鼓くんはテーマパークに来てまで一人きりだ、とかそういう状況なんだろうか。それはそれでもう少し班の人たちが鼓くんを気遣っても良いと思う。遠足で来れてしまうくらい近場な遊び場所なのだから、カップルは休日に遊べば良いのに。

「もしかして今、俺は哀れまれているのか?」

「いえ、そんなことは」

「だとしたら変な気は回さんでくれよ」

 この場合ない、と言った方が良いのかそうだと言った方が良いのか、判断が分かれるところだ。鼓くんのその言葉も何となく虚しく響く。

「というより、どちらかといえば感謝しています。あの場から連れ出してくれたこと」

 とりあえず話をすり替えることにした。

「そうか」

 ふむ、と頷かれると気恥ずかしいんだけど。

 それに注文もせずに席だけでを占拠している今の状態は、ほんの少し心苦しくはある。というか、正直に言ってしまえば心苦しいのには他にもう一つ理由があるわけなんだけど。

 鼓くんは注文カウンターの上に位置する壁に並べられたメニュー表を見ている。あの場では間違いなく助けてはくれたんだろうけれど、別段こちらに何かしらの感情があるという風には見えない。だとしたら、一応の確認を取っておいた方が良いのかも。

「さっきの件、感謝しているのも確かなんですが、鼓くんは大丈夫なんですか」

「何が?」

「ああいう連れ出し方をすると、周りから誤解されるんじゃないのかなっていうことです」

「なるほど」

 言葉少なな説明に頷く鼓くんはメニュー表から視線を話す。ふさふさの柔らかそうな黒髪で目元まで隠れてしまっているけれど、その隙間から確かに鼓くんと視線があったような気がした。

「友坂と付き合っていると誤解されて、特に損することはないからな」

 損得で勘定ができる問題ではないと思うのだけど。これは感情の話なんだから。

「もしかして友坂は損するのか。だったら悪いことをした」

「損は、しませんけど」

 無感情のまま謝られてしまった。

「こちらこそ、助けてもらっておいて生意気言いました」

 感情こそ乗せていないけれど、そんな普通に謝られると罪悪感が湧いてくる。そんなことを考えていると、私の隣りにどかりと人が座る。

「もうマジ鼓くん最高だったよー。あの後の女子たちの騒ぎっぷりったら」

 クククっと喉の奥を震わせながら笑う鈴之瀬さんが隣に腰を掛けていた。その後に続いて由良さんが「お待たせ」と言いながら鼓くんの隣に座る。

「サナちゃん、何か言ってましたか」

「あの二人ってどういう関係なのーって敵視してたアタシたちに聞いてくるくらい取り乱してたよ」

 思い出して楽しくなったのか、声を抑えず鈴之瀬さんが笑い声をあげる。

「それに何て返したんだよ」

 一応鼓くんもその後の会話を気にしてくれてはいるみたい。鈴之瀬さんは目を弓なりに細めながらニタっと笑う。

「そりゃあ勿論、そんな野暮なこと言えないよーって誤魔化しておきましたよ?」

「それ誤魔化したんじゃなくて、誤解を加速させて来たってことだよね」

 思わず鈴之瀬さんを強い口調で責めてしまった。元を正せばサナちゃんのことを上手に対処できなかった自分の責任ではあるんだけれど。ふぅ、とため息を吐くと、それまで鈴之瀬さんの報告に口を挟まなかった由良さんが、

「一応、あの二人は元クラスメイトってだけで、カップルだとかいう噂は聞いたことないって言っておいたから」

と言ってくれる。

「ありがとう、由良さん」

「でもその後、あのサナって子と鈴から、そんなわけないじゃん、もう恋人同士も見抜けないなんて女子高生失格じゃない?とか散々言われたから、それ以上は何も言ってないけど」

「鈴之瀬さん?」

「あはっ★」

 サナちゃんはともかく鈴之瀬さんまでそちら側ってどういうことなんだろうか。完全にサナちゃんの誤解を楽しんでいるとしか思えない。けれど、まぁそこを怒る権限なんてあるわけもなく。

「二人とも、さっきは巻き込んでごめんなさい。嫌な思いもさせちゃったかもしれない。それも合わせて、本当にごめんなさい」

 まず謝らないといけないのは自分なんだから。

「別にあまつちゃんに謝ってもらうことないよ」

「それに、言い方はともかく、サナさに関しては間違ったことを言っている訳じゃあなかったしね。私も鈴も、目立つ格好をしてるんだから、周りからどういう風に思われているかとか、ちゃんと分かっているつもりだし」

 鈴之瀬さんも由良さんも軽く手を振って笑ってくれる。

 確かに。他校生だけじゃなく、学内でもその髪色は目立つから、同級生や上級生からどんな目で見られているかくらい、きちんと分かっていて当然なのかもしれない。

 だとしたら、わざわざ嫌なことを言われるかもしれないと分かっていて、その髪の色を維持し続けるんだろう。

「というかさ、あまつちゃんも、ああいう強引な感じの子が苦手なら、もっと強く嫌だってことをアピールしなきゃダメだよ」

 鈴之瀬さんがズイっと顔を近づけて言った。

「もしかして、あの子に昔なんかされたとか?その割にはサナちゃんって子、本当にあまつちゃんのこと心配してるって感じだったけど」

「確かに、友坂さんと嫌な因縁があるような様子はなかったけど」

 鈴之瀬さんと由良さん、それから鼓くんの視線が自分に集まってくる。

 やっぱりそこを尋ねられるとは思っていたけれど、いざとなると言葉に詰まるものがある。

「何?訳ありな感じなの?」

「というか、俺は腹が減っているんだが」

 鼓くんが肘を付きながらそう言った。

「そうね。もうお昼時だし。鼓と鈴はここで席取りしてて。友坂さん、ご飯買いに行きましょうか」

「あ、はい」

 これは、鼓くんも由良さんも、気を遣ってくれた、ということなんだろうか。

「俺はホットドックのセットで、飲み物はウーロン茶」

「じゃあ私はマルゲリータのセット、ドリンクはオレンジジュースね」

 鼓くんは本当にお腹が空いていただけのような気もしてきた。さっき真剣な顔でメニューを見ていたし。とはいっても、ちゃんと表情が見て取れたわけじゃあないんだけど。

「わかったわ」

 由良さんの後に続いて、私もカウンターの方に並ぶ。

 平日とはいえ、さすが人気テーマパークのお昼時。結構な人が並んでいる。

 その最後尾に由良さんと二人で並びながら、メニューを見上げた。鈴之瀬さんが言っていたピザセットというのは、一枚丸々のピザではなく、四分の一にカットされているものらしい。量的にもちょうど良さそう。私もこれにしよう。ドリンクは、そうだな、一応気を使って野菜ジュースとか。

「さっきの鈴のことなんだけど」

 隣に並んだ由良さんが、細い声でそう言う。視線を由良さんに合わせると、にこっと少しだけ微笑んでくれた。

「言いたくないことは、言わなくてもいいんだからね。誰にだって、言いたくないことくらいあるんだから」

 やっぱり、気遣ってくれていたみたい。

「心配してくれて、ありがとう」

 鈴之瀬さんも由良さんも、勿論鼓くんも、とても優しい人たちだ。

 それは今日一日、というかこの半日でよくわかった。

 一つ、大きく深呼吸をする。

 ここで黙っていても、きっと誰も深く聞いてこないってこともわかっている。

「でも、言いたくないとかじゃないよ。そうじゃなくって、何も言えないの」

「ごめん、意味がよくわからないんだけど」

 由良さんが困った顔をしている。その時、カウンターでお店の人が私たちの注文を取ろうと軽く手を振ってくれた。

「サナちゃんのこと、何も覚えてないんだよ」

 お店の人に呼ばれるまま、カウンターの方に歩み寄りながら、なるべく笑顔でそう言った。

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