同級生と遠足③

「友坂さん」

 身体を軽く揺すられて、たゆたっていた意識が一気に引き上げられる。

「は、い」

「おはよう。もうすぐ着くから、そこで爆睡してるピンクの子、起こしてくれる?」

 寝ぼけ眼を擦りながら隣を見ると、鈴之瀬さんの姿が見えない。代わりに膝にずっしりとした重みを感じて恐る恐る下を見る。

 綺麗なピンクの髪の中に埋もれて整ったお顔が見えた。

 これは一体どういう状況なんだろう。えっと、所謂膝枕、みたいな、というかみたいでも何でもない。

 くーくーと小さな寝息を立てる鈴之瀬さんはとても気持ち良さそうで起こすのが憚られるけれど、かといってこのままってわけいには勿論いかないわけで。心を鬼にして鈴之瀬さんの肩をそっと揺らす。

「あの、鈴之瀬さん、もう少しでUSKですよ」

 控えめに声をかけると、ゆっくりとまつ毛が持ち上がる。

 こうやってじっくり近くで他人の顔を眺めることなんてあんまり経験がないから少しドギマギしてしまうけれど、鈴之瀬さんのお顔はそんな私のドキマギを吹き飛ばしてしまうくらい整っていた。

 長く量の多い睫毛にが縁取っている瞳は、閉じていてもその大きさがわかってしまうくらいだし、控えめで形の整った鼻。唇はツヤツヤな上にふっくらとしているし、肌はきらめいるんじゃないかと錯覚するくらい透き通っていて、とても綺麗。

 黙っていると男の子に間違われてしまう私なんかは、憧れるのもおこがましいと思ってしまう。

「ごめんね、膝借りちゃった」

 ふぁーーっと大きな欠伸を手で隠すような仕草をしながら、鈴之瀬さんが状態を起こす。スカートの上にかけていた自分のひざ掛けをパンパンと払ってから袖を通している姿に、つい見惚れてしまった。

「どしたの?あ、もしかして足痺れちゃった?」

「いえ、そんなことはないですから」

 視線に気付いた鈴之瀬さんが気遣わしげな顔をしてくれるけれど、慌ててそれを否定する。

 同年代の女の子に見惚れていたなんて、ちょっと恥ずかしくて本人にはとてもじゃないけれど言えそうにない。

「二人とも、そろそろ降りる準備しなさいよ」

 由良さんが手に持つを膝の上に乗せながら、私たちに声をかけてくれた。

 私が起こすから、と言っていたにも関わらず、こうやって病み上がりの由良さんに気を回してもらっているなんて、何だかとても申し訳ない。

 若干の居心地の悪さを感じていると、バスはいよいよ目的地に到着したようで静かに停車した。一番奥の席は出るときに苦労するけれど、バスから出る順番を競っているわけじゃない。出た順番に園内に入れるわけでもなし。私たちは前のクラスメイトが出て行ったのを確認して腰を上げた。

「すごい、すごいよ。お城がこんなところからでも丸見え。はー楽しみだなぁ、私たち、今からあの中に入っちゃうんだよ」

 はしゃぐ鈴之瀬さんが指差す場所には、確かにこのテーマパークのシンボルマークとも言うべき城がそびえ立っている。煉瓦造りを思わせる城は、テーマパークという言葉の陽気さとはかけ離れた厳かな雰囲気を醸し出している。

「鈴ってここに来たの初めてだっけ」

 由良さんは鈴之瀬さんを鈴、と呼んでいるらしい。何だか猫の名前みたいでちょっとかわいい。

「そうそう。何だかんだで来たことなかったんだよね」

「そうなんですか?実は私もテーマパークに来るのって初めてで」

「えええええ」

 鈴之瀬さんに同調したら、その本人から物凄い勢いで驚かれてしまった。ズンズンと音を立てて近寄ってくる鈴之瀬さんは、襟でも掴まれてしまうんじゃないかという程の剣幕で捲し立ててくる。

「そういう大事なことを、何でもっと早くに言わないのかな、あまつちゃん」

「そんなに大事なことでしたか?」

 首を捻っていると、はーっと大げさなくらいのため息を吐かれてしまう。

「大事も大事、最重要事項だよ。今日はアタシ、由良ちゃんとあまつちゃんに案内してもらおうと思って、何の作戦も立てずにのこのこほいほい来ちゃったわけじゃない?」

 わけじゃない?と言われても、こちらとしては全くもってわけじゃなくないんだけど。

「あまつちゃんがアタシと同じで初体験ってことがわかっていたのなら、アタシだってこんなノープランで挑んでなかったって言いたいんだよ。わかるかなー」

「テーマパークって、プランニングしてから遊びに来るような場所だったんですか」

 それを知らなかった。

 私だって楽しみじゃなかったわけではないから、図書館に置いてあるパソコンでアトラクションの種類を調べてみたり、園内の地図を軽く見て予習をしたつもりだったけれど、その程度では全然足りなかったらしい。

「鈴はこんなところでやいのやいの言わない」

 由良さんは、うんうん唸っている鈴之瀬さんにぴしゃりと言う。確かに、早く行かないと先生たちがクラスの点呼を取り初めている。私たちがここで話していると、先に行ってしまった山上くんや石田くんに迷惑がかかってしまう。

「今回のUSK制覇計画は由良ちゃんのその小さな肩に掛かっているよ」

 点呼を取る列に並びながら、鈴之瀬さんはサムズアップのポーズを取る。というか、制覇ってどういう意味だろう。アトラクションに全部乗るって意味なんだろうか。

「はいはい」

 適当に相槌を打つ由良さんは、鈴之瀬さんのこういう無茶振りには慣れているのか、やれやれと肩を竦めている。確かに由良さんは同級生の中では少し小柄な方かもしれないけれど、雰囲気はこのクラスの誰よりも大人みたいだ。

 先生の点呼も無事済ませ、テーマパークに入場する。クラスメイトの中には目当てのアトラクションに大所帯でダッシュしているグループも多い。先生たちに怒鳴られているけれど。

「あ、それじゃあ山上くんも石田くんも、解散三十分前にここで良いよね」

 鈴之瀬さんがくるりと振り返り、後ろからやってきた男性陣にそう声を掛けた。本当に一緒に回る気はこれっぽっちもないらしい。

「わかった。鈴之瀬、遅れるなよ」

「だいじょーぶですー。こっちには由良ちゃんがついてるんだから」

 山上くんの言葉に鈴之瀬さんがまた噛み付いている。

 仲が良さそうに見えるけれど、それを指摘したらきっと二人からとても怒られるに違いない。

「それじゃあ、そっちも楽しんでね」

 石田くんはひらひらと手を振って、山上くんの背中を押して早足気味に去ってしまった。きっと早く乗りたいアトラクションがあったんだろう。

「さて、と。貴女達、行きたいところはどこなわけ?」

 男子陣が見えなくなってから、道の端に移動した私たちに由良さんが声を掛ける。見ると、手に小さな携帯用のガイドブックを持っている。

「それどうしたの、由良ちゃん」

「万が一に備えてね。まさか友坂さんまでそっちサイドだとは思っていなかったけど」

 そっちサイドってどっちのことを指しているんだろう。聞くのが躊躇われる。

「というかこれ、付箋と蛍光ペンのオンパレードなんだけど」

 鈴之瀬さんの言葉に改めてガイドブックを見ると、確かにはみ出して折れたり草臥れてしまっている付箋が沢山見えているし、中を覗くと大きく丸の付けられた箇所がいくつも見える。どうやらお土産をどこで買うかリサーチしていたみたい。

「ほら。どこから回りたいの?」

由良さんは顔色一つ変えずに前を歩き出す。

「アタシあれ乗りたい。ジェットコースター」

 目に見えてしまいそうなほどキラキラとした声音で鈴之瀬さんが上の方を指差す。それに合わせるかのように、このテーマパーク随一の速さと規模を誇るジェットコースターがびゅううんと風を切って通り過ぎて行った。

「友坂さんは早い乗り物大丈夫?」

「はい、多分。乗ったことないので確証はないですが」

 少し怖いとは思うけれど、未知は既知より恐ろしく思えるのが当たり前だ。

「そ。無理だと思ったら早い段階で声を掛けてね」

 そう言って、由良さんが少しだけ笑ったような気がした。その笑みはマスクの中だから実際には見えないわけだけど。

 由良さんといえば、冷たい印象を受ける噂ばかりが横行していたけれど、実際に話してみたら冷たい印象なんて全く受けない。第三者から聞いた噂なんて、所詮こんなもんなんだろう。

「よし、じゃあ行こう。さっさと行こう」

 小走りに鈴之瀬さんが進み出す。私もそれに合わせて少しだけ駆け足になった。


 ジェットコースターという乗り物は、とても興味深い。

 登っていく時は、まるで永遠かとも思う程ゆったりと時間を使うのに、落ちていく時はほんの一瞬。

 そうだ、人生みたいである。

 上り詰めていくのにはそれ相応の努力や時間が必要だと言うのに、失墜するのは容易く、そしてほんの一瞬なのである。

 なんということだ。ジェットコースターとはなんと奥深い乗り物なんだろう。

「何かあまつちゃんがやけに目を輝かせてるんだけど」

「きっとジェットコースターが思ってたより楽しかったんでしょう」

 鈴之瀬さんと由良さんの会話が聞こえてきて、我に返る。

「ごほんごほん」

 わざとらしく咳なんてしてみたりして。

「友坂さん、どうだった?初めてのジェットコースターは」

「フワッとした浮遊感に驚きましたが、慣れるとそれが癖になりますね」

 まさかアトラクションに人生を重ねて感動していた、なんてことは言えるわけもなく。そんな当たり障りのないありきたりな感想を述べてみる。

「そんなに気に入ったならさ、もう一回乗ろうよ、あまつちゃん」

「良いですね」

「あまつ?」

 鈴之瀬さんの提案に手を合わせて同意していると、聞き馴染みのない声が私の名前を呼んだ。

 振り返ると、女生徒の集団がいる。豊山学園とは違った知らない学校の制服を着ていた。

 その中の一人、綺麗な黒髪をポニーテールにした快活そうな少女が、私の顔を見てパアッと顔を輝かせた。

 どくん。

 心臓が一つ、嫌な音を立てる。

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