サーカスは血に濡れる
芋虫鶏
第1話 雨足は変わる
雨が降る路地裏。水飛沫を上げ、片腕を抑えた男が駆け抜けていく。
抑えた片腕からは、雨に薄められた赤が漏れ出しており、地面に滴り落ちて、雨によって薄められ消えていく。
疲労と恐怖に、上手く息を整える事ができず、思わず足を止める。
「げほ、ごほ……っ」
咳き込みながら、呼吸を抑えようと深呼吸を軽くする。
だが、雨足に紛れた足音が背後から聞こえてくると、その呼吸を止める。
錆付き、油を暫く差していないような動きで、男は背後を見やった。
軍用の脛半ばぐらいまでのブーツに、裾を入れ込んだデニムズボン。そして、周囲の闇に紛れ込むような長袖の黒色のワイシャツを着ている。
背丈は日本人平均よりも高く、その体つきは、雨に濡れ、張り付いた服の上からも分かる程に鍛えられていることがわかる。
これだけなら、まだ一般の人の格好のようだが、男は、その姿を見た瞬間に、小さく悲鳴を漏らし、後退りをする。
何故なら、堅気の人ではないと実感させる特異な点が、二つあったからだ。
一つは、その手にしている物だ。
単刀直入に言ってしまうなら、手にしているものは長柄の槍だ。
背丈よりも少し短めのものだが、先端の刃は長めで、容易に急所の奥深くまで突き刺さるだろう。
だが、よく見れば先端の刃は園芸用のスコップで出来ていた。
それを、棒にダクトテープで巻き付けた、いわばお手製の槍だった。
誰でも簡単に作れるような武器だが、その威力は服に飛び散っている血の跡で、有用だと実証されていた。
現に男は、それを間近で見て、その一片を体で体験していた。
そして、もう一つは、頭だった。被り物で素顔は隠されているが、その被り物が奇特な物だった。
表面は水色で、口の辺りからは、二本の牙が上を向いて生えている。だが、それよりも特徴的なのは鼻先だ。
同じねずみ色をした鼻は長く、まるで豚鼻をそのまま伸ばしたかのようだ。
そう、相手は動物……象の被り物を被っていた。
日常で見かけるなら、失笑や困惑、大笑いをもたらしそうな物だが、先程の武器と相手の血の付いた服を着ていると、裏路地の雰囲気も相まって不気味さの方が勝るだろう。
男は、息を飲むと口元を引きつらせる。
「……な、なぁ。取引しないか?」
その言葉に、相手は足を止める。そして、頭の側面に手をやれば男の次の句を待った。
相手との距離は、少なくとも三メートルは空いており、もし槍を突き出されても、ギリギリ男には届かない。
それは、男にとって好都合な物だった。
「へへ、少し待てよ……」
そう言いながら、懐へと手を突っ込みお目当ての物に触れた。
明らかに怪しい動きなのだが、相手は槍を構えることもなく、側面にやっていた手を降ろす。
雨足が、弱まる。
「……死ねやぁ!!」
怒号とも悲鳴とも捉えられる声を上げながら、引き抜いたのは銃だった。
よく警官が持っているような
引き抜く動作は、軍人のように洗練されている訳でもなく、素早い訳でもない。
どちらかと言えば、無理矢理扱おうとするようなぎこちない動きだった。
だが、相手はその動作をただ眺めていた。驚くわけでもなく、逃げようとするわけでもない。
被り物のせいでその表情は分からないが、まるで呆れたかのように、小さく肩を竦ませた。
男は、震える腕で相手に銃口を合わせた瞬間に、引き金を引く。
裏路地に、銃声が響いた。
「っが……!?」
だが、蹲っているのは男の方だった。
腕には、半透明の何かが突き刺さっており、地面には拳銃が落ちている。
押さえようにも、もう片方の腕は元々使い物にならない。
膝をつき、両腕から血を止めどなく流しながら、痛みに喘いでいると、目の前に誰かが立ち止まる。
脂汗が滲み、雨で視界が霞みながらも、男は頭を上げる。
象の被り物は、片側が大きく裂け、そこの隙間からは、目元がほんの少しだけ見えていた。
それは冷たく、そして鋭い。その目は、殺意と、ほんの少しの落胆が混じった暗い赤色をしていた。
相手は、ほんの少しだけ足を開き、柄を短く持って槍を水平に引く。その切っ先は、相手の額へと向いている。
「い、嫌だ……死にたくない……見逃してくれ……」
男の口からは、無意識に助命を乞う言葉が漏れ出る。
だが、その助命が聞き入れられないだろうと、男は直感的に感じていた。
逃れられない死の恐怖から目を逸らすように、男は目を閉じる。
雨足が、再び強さを増し、音も痛みも、意識をも掻き消していった。
サーカスは血に濡れる 芋虫鶏 @imomusi_chikin
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