おわりに
フロントが、新しい寝間着を持ってきてくれて、蘭は急いで着替えた。と言っても歩けないわけであるから、非常に着替えるのに時間もかかるのだが。勝代は、蘭に
頼まれれば、そのまま手伝うこともしていた。まるで、二人初めての共同作業という感じだった。
「やっぱり駄目ね。」
と、勝代は、蘭に言った。
「蘭さんはやっぱり、水穂さんが居るわ。それを引き離そうとしたあたしがバカだったわね。」
「どういうことですか?」
蘭は勝代に聞く。
「あたし、明日朝いちばんの新幹線で北海道に帰ります。」
勝代はきっぱりと言った。
「ちょっと、待ってください。どうして明日の一番の新幹線で?」
蘭は、急いでそう聞きかえした。
「いいえ、あたし、正直なところを言うと、蘭さんと一緒に逃げてしまおうっていうつもりだったの。でも、蘭さんは、水穂さんの事をずっと考えていて、そこから離れることはどうしても出来ないじゃない。今だって、余りにも心配しすぎて、水穂さんの夢まで見たんじゃないの。それでは、きっとどこかへ逃げようだなんて、絶対無理ね。」
「あ、、、。」
勝代にそういわれて、蘭は、カーっと顔が赤くなった。
「蘭さん、女ははね、完璧に受け入れてくれる人じゃないと、愛されたという気持ちにはならないのよ。たとえ今逃げられたとしても、今の蘭さんじゃ絶対、水穂さんの事ばっかり気にして、あたしの方なんて見てくれないと思うわ。そんな中途半端な態度じゃ、あたしの事なんて、気にかけてはくれないでしょ。蘭さん、口で言ってもこういう事は分からないと思うの。でも、そうなるのよ、きっと。女のあたしにはそれがわかる。」
勝代は静かに言う。蘭は、がっくりと落ち込んだ。
「僕も、この現実からできれば逃げたかったよ。それでは、行けないと思っていたけど、もうそれでは、辛くてしょうがないんだ。だって僕は、水穂を看病するにあたって、何も出来ないんだもの。いくら病院へ連れて行こうとしても、杉ちゃんたちが反対して、絶対に出来ないんだ。杉ちゃんたちは、水穂には歴史的な事情があって、病院に連れていったら、ひどい目に合うという。でも、もう病院へ連れて行くしか、出来ることはないと思うのに。でも誰も、僕のいう事なんか聞き入れてくれない。」
蘭は顔についたなみだを寝間着の袖で拭いた。
「そうなのね。あたしだってそうよ。主人の看病は、みんな看護師がしてくれるのよ。それに、姑やその兄弟もいてくれるから、あたしはいてもいなくても何もない。それに、姑たちは、刺青をしたあなたに、普通の人の気持なんかわかるはずないって言って、あたしは完全にのけ者よ。それでは、だからあたしは、もういてもいなくてもいい存在なの。主人の事は、私がやれることなんて何もないわ。」
そうか!勝代さんも同じことをしていたのか!なら、同じのけ者同士、一緒にやっていくことは出来ないのだろうか。其れだって、同じ気持ちがあればできるはずではないか!と蘭は思うのだが、
「あたしには、無理よ。蘭さんがあたしのことを受け入れてくれなければ、あたしは、蘭さんの支えにはなれない。」
と勝代ははっきりといった。
「なんでだ。僕も勝代さんも、同じ疎外感を持って生きているのだから、それでは、きっと一緒にだってできるはずではないの!」
蘭はもう一回そう聞くと、
「いいえ無理よ。世の中はただ同じだけではやっていかれないの。生きていくには、生産的な事をしないとダメでしょう。だから、同じ同士だけではだめ。それはただの傷のなめあい。それでは、前には進めない。人は全く同じ同士ではだめなの。すこし悩んでいることが違っていたほうがいいのよ。蘭さん。今日は、本当に、一緒に時間作ってくれてありがとう。口で言ってもわからないと思うけど、すごく感謝しているの。」
と、勝代は答えた。
「それでは、勝代さんは北海道へ戻ってどうするつもりなんだ?」
蘭が改めて聞くと、
「ええ、私はこれからものけ者として生きていくつもり。ほら、一人で泣こうがわめこうが、生きていかなきゃいけないから、泣きごとは言わないで、のけ者なりに生きていくわ。もう、他人になにか求めるのはやめて、こういうときは、自分だけの世界。それを追求して生きていくわ。まあ、夫婦何てそういうもんでしょう。一緒にいる様にみえて、実は別々なのよ。」
勝代は、なにか開き直ってしまっているようだ。それでは、私は大丈夫何て、絶対言えない話だと思った。きっとこれからも、苦しい思いをしながら生きていくんだろうな、と蘭は思った。
「でも、もう勝代さんをのけ者にする人の中にいつまでも居続けるのではなく、ちゃんと認めてくれる人のところへ逃げてしまうのも、一つの手なのではないか?」
蘭はもう一回聞くと、
「いいえ、仮にそういう人が現れたとしても、それは蘭さんではないわ。そういう事を受け入れるっていうのはね。全く同じ境遇の人にはできない事よ。だって同じだからこそ、嫉妬というものが生じるでしょう。そうしたら、互いに支えあうどころか、敵同士になってしまう。そうなれば安全に暮らしてなんか行けないわ。」
と、勝代はにこやかに答えた。
「勝代さん、、、。」
「わかったでしょ、蘭さん。あたしたちは、まったく同じ境遇にあるからこそ一緒には生活していかれないのよ。きっとそのうち互いにいがみ合うようになって、終わりという、悲しい結末しか持っていないわよ。それでは、意味がないわ。今日は、ただ、一寸休ませてもらっただけ。もう、北海道へ帰って、自分の仕事をして、一生懸命耐えて生きていくわ。もうしょうがないんだから、あきらめるしかないわよ。他人は変えることなんてできやしない。だから、もう、自分で耐えていくしかないのよ。」
「僕も、水穂を何とかすることは出来ないだろうか。」
蘭は、今度は自分のほうが聞いてみたくなって、勝代に言った。
「出来ないと思うわ。たぶん、今の蘭さんでは。もし、どうしても、水穂さんに何とかなってほしいんだったら、それをしっかり認めて、自分でどうするのか考えることね。」
勝代は静かに答えた。
「じゃあ、僕が何とかなれば、水穂は何とかなることはできますか!」
「ええ、そのためには大変な努力が必要だと思うわ。それでも、やれるっていうんだったら、蘭さんはとにかく変わることだと思うの。」
「わかりました、、、。」
蘭は、しずかに、でも決断にあふれて言った。
「でも、一度だけお願いがあるんです。勝代さん。」
もう一度、今度は勝代の体を見てしっかりと言う。
「蘭さん、どうしたの?」
「一度だけ、勝代さんを抱いても構わないでしょうか。」
「バカね。」
勝代は静かに言ったが、でも、それは笑っているという風でもない。
「バカ同士、一日だけ癒しあうのもいいかもしれないわね。」
勝代は、ベッドの上に座っている蘭に、ふっと被さってきた。
「本当は、すごく不安なのよ。さっき、あんなかっこつけた発言したけど、本当はあたし、ああいう事をやり遂げられるかどうか、すごく不安でしょうがないの。答えはもう、そうするしかないってはっきり見えているのに。それでも、それを実行できるかどうか、不安で仕方ない。」
「勝代さん。」
蘭は、勝代の体に両腕をかける。
本当は、頑張って、応援しているから、会いたくなったらいつでも来てねといいたいいところだけど、蘭もそんなことを実行できる保証がなく、口に出すことができなかった。
二人は朝が来るまで抱き合った。蘭も勝代も幸せであった。
やがて、朝が来て、二人はそれぞれの服装に着替えた。何も言わずに部屋を出て、エレベーターに行き、フロントに降りて、チェックアウトの手続きをする。
「じゃあ、あたし、これから北海道へ帰るわ。昨日は本当に楽しかった。あれさえしっかり覚えていれば、北海道へ戻ってもやっていけるわ。それでは、またね、蘭さん。」
勝代は、スーツケースをゴロゴロと引きずりながら、駅へ向かって歩いていく。たぶんこれから、東京駅へ行き、そして、北海道新幹線で、北海道へ戻っていくのだろう。そして、のけ者として、生活を続けていくのだろう。
「ありがとうございました。僕も、何か少し変わる勇気が出ました。いつまでもお体に気を付けて、暮らしてください。」
蘭は、歩いていく勝代を見送った。勝代の体が段々遠くなっていくのを見ながら、せめて、体だけは壊さず、元気で暮らしてくれと、願わずにはいられなかった。
やがて、一本の新幹線が、東京にむかって、走り出していった。勝代さん、あれに乗っていったのか。また日常へ戻してくれる新幹線を、蘭は何時までも眺めていた。
新幹線の中で勝代は新富士駅のホームを眺めていた。やがて発車ベルが鳴って、新幹線は動きはじめる。駅はだんだん小さくなっていく。このことは、誰にも言わないけれど、私はこの駅だけはずっと覚えていよう。この駅の周りにあたしと同じことで悩んでいる人が、いるというだけでも、あたしは、これだけでも生きていけるだろう。そんなことを勝代は考えていた。
駅はだんだん小さくなった。勝代は、前方を向いた。
カトレア 増田朋美 @masubuchi4996
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