第2話 再会

 振動がダイレクトに伝わるのが軽トラックなのかもしれない。おじいさんの運転する軽トラックに乗って数分でそんなことを考える。思っていたよりもエンジン音が体に響くし、わずかな段差でもけっこうな衝撃がある。

 びっくりする僕におじいさんは笑って言った。

「東京から来ると軽トラも珍しいんか」

「恥ずかしながら、初めて乗りました……」

 僕の答えを聞いておじいさんは声を出して笑う。

「こんな田舎じゃ、これくらいしか乗るもんないしなあ。慣れるまでの辛抱だな」

 おじいさんの言葉にうなずいて、窓の外を眺める。見渡す限りの田んぼ道に、遠くには山が見える。一面の緑だ。見慣れた景色との差に目が回りそうだ。

「それにしたってこんな田舎に越してくるたあ、兄ちゃんも変わってるなあ」

「そうですか?」

「東京の方が便利だろうに」

「それは確かにそうなんですけど……」

 おじいさんの質問に素直に答えるべきか悩み、言いよどむ。

 わざわざ送ってくれるくらいだし、いい人であることに変わりはないだろう。ただ、僕のやっていることが「普通」とは違うことくらい理解している。話してしまったら、おじいさんに変わり者だと思われるかもしれない。そう思われることで今後何か不都合が起こる可能性を否定しきれない。

「仕事は大丈夫なんかい?」

 言いよどむ僕を見越して、おじいさんが話題をずらす。

「仕事自体はこっちでもできるんです」

「ほう? ねっとってやつかね?」

「ネットさえ繋がってればどうにかなることが多いですからね」

 仕事自体はここでも十分できる。直接会わなければいけないような相手はほかの人に引き継いだし、事情を説明したらネットのやり取りで納得してくれる人たちもいた。

 それでもしばらくは、有給扱いにしてもらうことになっている。状況が分からないし、あんな手紙を送って来る以上、余裕のある状態ではないという判断をした。仕事は落ち着いたら再開すればいい、そう上司にも言ってもらった。仕事にも環境にもずいぶん恵まれた。

「……彼女のためにできることがあればやりたいんです」

 思わずこぼれた言葉は少しかすれていた。おじいさんはしばらく何も言わなかったが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「吉井さんも大変だったみたいだからな。味方になってくれる人間がいるのは心強いだろうね」

「……何があったかご存知なんですか?」

「詳しくは知らんが、旦那さんが行方不明になったらしい」

 おじいさんの言葉はそれ以降何も頭に入らなかった。それくらい僕にとっては予想していなかった状態だったのだ。




「彼女」、吉井理紗は僕にとってもあいつにとっても大切な、守るべき人間だ。

 僕と橋本理紗、吉井悠斗は幼なじみだ。理紗は悠斗と三年前に結婚して吉井理紗になった。昔からお互い好きなことが筒抜けだったから、二人の結婚は純粋にうれしかったし、あの二人なら幸せにやっていると思っていた。悠斗とは定期的に連絡を取っていたし、子供はいなかったが二人は幸せなはずだった。

 僕が理紗に惹かれていたことさえ、悠斗にはばれていた。それでも悠斗はそれを責めなかったし、付き合うことになったときも結婚する時でさえ、僕に一番に報告した。僕も悠斗の一番の友人であることがうれしかったし、理紗を幸せにできるのは悠斗しかいないと思っていた。

 そんな関係が「普通」でないことは十分理解している。それでも僕は二人が幸せならそれでよかった。もし二人が助けを求めるなら手を差し伸べるし、自分にできることなら何でもやるつもりだった。

 それが、悠斗が行方不明? 納得できない。

 悠斗が理紗を残して消えるなどありえないはずだ。

 悠斗と理紗は結婚してから、それぞれの両親から距離を置くようにこの田舎町に引っ越した。引っ越してからは二人が都内に来るとき以外は会っていなかったが、手紙でやり取りをしていた。

 なぜか理紗は昔から機械に弱い。スマホすら満足に扱えないし、ひどいときは壊してしまう。理紗に合わせるように悠斗はスマホをあまり使わなくなった。それでも緊急の時や必要に迫られたときは使っていたが、僕に対する連絡はいつだって手紙だった。

 だから僕も、悠斗に直接電話をかけることしなかった。それでも悠斗が行方不明というのはおかしい。

 あの、奇妙な手紙を受け取る数日前に僕は悠斗から手紙を受け取っている。そしてその後

も、僕が今日ここに来るまでの間に二通、手紙が届いている。しかもその手紙を出したのはこの町からだった。

 悠斗が行方不明になったから、理紗はあんな手紙を僕に送ったのか?

 だとしても、その前後にいつも通りの日常を悠斗が送ってきている。その意図は何だ?

 



「おい、大丈夫かい?」

 ぐるぐると出口のない迷路に迷い込みそうになった僕を、おじいさんの声が呼び戻す。どうやらあまりに反応がない僕を心配して何度も声をかけてくれたらしい。

 このまま考えていても仕方ない。実際にあの家に行ってみればわかるはずだ。

「……大丈夫です。少しびっくりして」

 そう答えると、おじいさんは申し訳なさそうに話し始める。

「言っておいてなんだが、俺も人づてに聞いただけでな。本当のところは分からん。すまんかったなあ」

「いえ、心の準備ができたので」

 おじいさんに返した言葉に嘘はなかった。家について、いきなり悠斗が行方不明だと知らされるよりはずっとましだ。それに、僕にはまだ悠斗が理紗を残していなくなるとは思えなかった。

「そろそろ着くぞ」

 おじいさんの言葉を受けて、窓の外に視線を向けると一軒家がぽつりと建っている。目で確認できる範囲にはほかには家は見当たらない。

「あの一軒だけですか?」

「もうちょい行けば何軒かあるけどなあ」

「そうですか」

 ますます、悠斗が行方不明だというのが信じられなくなった。

 周りにほかの家がないような、そんな場所に理紗を一人で残す? あの悠斗が?

「まあ、なんかあったらいつでも話くらいなら聞くからな」

 周りにほかの家がない状況を不安に感じたと思われたのか、おじいさんからそんな言葉がかけられる。僕は曖昧に頷いて、一軒家を見つめる。

 田舎だから土地が安かったんだ、そう言って笑っていた悠斗の顔が浮かぶ。理紗にはまだ内緒だぞ、とこっそり家を用意していたことを僕は知っている。

 理紗が自分のために悠斗が家を用意していたと知って、喜んで泣いていたことを知っている。



 今、彼女は幸せなのだろうか?

 悠斗と家族になったことを後悔していないだろうか?




 家の前に軽トラを止めると、おじいさんは電話番号を教えてくれた。

「いつでも連絡しろよ」

 途中でかけてくれた言葉に嘘はなかったらしい。お礼を言って軽トラから降りる。

「本当にありがとうございました」

 リュックを背負い、深々と頭を下げる。気にするなと言って、おじいさんは北道を戻っていく。車が見えなくなるまで見送ってから、僕は目の前の家と対峙する。

 日差しがじりじりと肌を焼く。汗が顎伝って落ちる。

 それでもしばらく一歩を踏み出せず、ただ目の前の家を見つめていた。

 ようやく一歩を踏み出した時には、暑さでのどがからからに乾いていた。庭を横目に敷地を歩く。玄関まで少し歩かなければいけない。思っていたよりも広い家に住んでいたんだなとぼんやり思う。

 玄関にたどり着き、チャイムに指をかける。わずかにためらって、迷いを振り払うように強くチャイム押した。


ピンポーン


 ありきたりなチャイムの音が響いて、少し間をおいてぱたぱたと足音が響く。

 ためらいもなくドアが開けられた。


「悠くん……? おかえりなさい!」


 ドアを開けて微笑んだのは、僕がよく知る彼女によく似た別の誰かだった。


目の前にいる女性はよく理紗に似ている。けれども目に光はない。どこか表情も暗く、ぼんやりとしている。そして何より、僕のことを「悠くん」と呼んだ。

 理紗がその名で呼ぶのは、吉井悠斗だけだ。

 つまり、彼女は悠斗がいなくなったショックから僕を悠斗だと思い込んでいるらしいのだ。

「悠くん、もういなくなったりしないよね?」

 僕が黙っているでの不安になったらしい理紗が問いかける。


 彼女に真実を告げるべきだろうか?

 真実を言ったとして、彼女がそれを受け止められるとは限らない。むしろ受け入れられず、余計に彼女の心が壊れてしまう可能性の方が高いだろう。

「大丈夫、もう理紗を置いていかないよ」

「……ずっと言えなくてごめんね」

「簡単に話せることじゃないし、理紗も辛かっただろ」

 理紗のその言葉で、彼女が悠斗に話せてなかったのだと悟る。それは僕と彼女だけの秘密だった。けれど今はもう二人だけの秘密ではなくなってしまったと思っていたのに。




 理紗は数年前から病を患っていた。治療を続けてはいたものの経過は芳しくなく、余命を宣告されたらしい。僕はそのことについて理紗から相談を受けていた。

 悠斗に話す勇気が出ないこともその時に聞いて知っていた。

 悠斗は強くない、そう気づいたのは彼女が先だった。優しすぎる性格は彼の弱さを表していたのかもしれない。悠斗の弱さは強さでもある。だからこそ理紗もあいつに惹かれたんだろうけど、それは最悪の形で彼女を裏切ることになった。

 理紗が勇気を出して悠斗に病気と余命のことを話したらしい。少し考えさせてくれ、そう言って悠斗は姿を消した。それが大体一か月前の出来事のようだ。

 悠斗の行方は理紗にもわからなかったらしい。思いつくところにはすべて連絡をして、それでも見つからず途方に暮れていたところに僕が来た、ということなのだろう。




「そういえば悠くんの荷物まだあんなにあったんだね」

「荷物?」

「悠くんがいない間に引っ越し業者の人が持ってきたよ」

 僕が送った荷物は悠斗の荷物ということで理紗は納得しているらしい。たとえ少しつじつまが合わないとしても、彼女にとっては悠斗がいないという現実を受け止めるよりはましなのだろう。


 今の彼女に何をしてやれるだろう?


 僕は一番大切な彼女のために、最期の時まで彼女に嘘をつき続けることに決めた。

「もうどこにも行かないから安心して」

 思い出せるだけ悠斗の彼女への態度や言動、表情を思い浮かべる。そして悠斗だったら今彼女に何を言うか考える。できるだけ悠斗に見えるように、彼女の心が少しでも救われるように、僕は吉井悠斗を演じるのだ。

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たとえ明日が来なくても 七瀬さつき @Sathuki-Nanase

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