第50話 オガサミヤ

 同い年の子たちが受験勉強に追われているであろう十月の初め、湊人と瑠璃は山梨の葡萄畑を見下ろす美術館にいた。

 甲州トリエンナーレの副賞である受賞作家個展が開かれているのだ。


 どこまでも続く青い空、果てしなく高いところで自分を呼んでいる雲、風に揺れるコスモス、たわわに実るブドウたち。

 湊人と瑠璃も画家という業種を選択していなければ、今頃は学校でクラスメイトたちと受験勉強に明け暮れていたのかもしれない。


 アートの世界は実力勝負、頭角を現わせなければそのまま食いっぱぐれるかわりに、こうして自然の美しさや四季に目を向けることができる。

 安定した収入を取るか、心の余裕を取るか、それはその人の価値観であり、どちらを選んでも正解だ。それが湊人と瑠璃の場合は、安定した収入よりも心の余裕を優先したに過ぎないのだ。


 あれから澤田と忍は予定通り三月に式を挙げ、フランスへ新婚旅行に行った。式は家族だけの小ぢんまりしたもので、ブーケトスをしようにも独身女性が瑠璃しかいなかったため、そのまま彼女がブーケを譲り受けて来た。

 ブーケトスの意味を知らない瑠璃はなんだかよくわからないまま「お花ありがとう」と喜んでいたが、すぐそばにいた湊人の方が何故か耳まで真っ赤にしているのがおかしくて、澤田も忍も大爆笑して止まらなくなるというハプニングまで起こる楽しい式だった。


 二人は建てたばかりの新居で新婚生活(忍は第二の新婚生活だが)を楽しみ、湊人は澤田から譲り受けたアトリエ兼自宅で、毎日自分の弁当を作って学校へ通っている。

 瑠璃が母に持たされた夕食を持参で湊人の家に行き、二人で一緒にご飯を食べることも増えた。相変わらず湊人の渾身の告白が続いているようだが、未だそれが告白であると気づいて貰えてはいないようである。


 個展の会場となる美術館は、去年搬入した場所からかなり離れて『勝沼ぶどう郷』駅の近くにあった。この辺りは見渡す限りのブドウ畑が広がり、ちょうど収穫期を迎えたブドウが芳香を漂わせている。

 美術館のすぐ目の前の広場ではぶどう祭が開催されていて、地元の人たちで大いに賑わっている。一緒にやって来た澤田と忍と優子は、甲州トリエンナーレの主催者と一緒に地元の人が振舞ってくれるワインを飲んで楽しそうだ。湊人と瑠璃は美術館の入り口で来場者に挨拶しながらも、美術館スタッフが持って来てくれるぶどうジュースをちゃっかり口にしていた。


 お昼前には、なんと湊人のクラスメイト達が休日を返上して駆けつけてくれた。受験勉強しなくていいのかと聞く湊人に、彼らは「たまには骨休めも必要だ」と言って笑った。

 その中にはミニスカートの良く似合う華奢な女の子もいた。彼女は瑠璃を見つけると、湊人たちの輪から離れて瑠璃の方へと歩み寄って来た。


「雨宮さんですよね。おめでとうございます」

「あ、三宅さん」

「あは。私の名前知ってるんだ」


 やや緊張した面持ちだった三宅は、瑠璃の言葉に相好を崩した。


「画材屋さんのところで見かけたから」

「小笠原君がこんなすごい人だとは思わなかった。学校だとそんなに目立つ方じゃないんだ。優しいし、人気はあるけど」


 瑠璃の知らない湊人の話を三宅がするのは、あまり気分が良くなかった。自分の知らない湊人を目の前の少女が知っていることが悔しかった。


「小笠原君、絵を描いてる時ってどんな感じ?」

「厳しいよ。全然優しくない。あたしが逃げ出すと無理やり連れ戻されるし。だけど、絵を真剣にやってるからだと思う。湊人と一緒にいると、一日一回は喧嘩するんだ」

「湊人って呼んでるんだ……雨宮さん」

「うん。湊人もあたしのこと瑠璃って呼ぶ」


 三宅は友人たちと盛り上がっている湊人にチラリと視線を送ると、クスッと笑った。


「私、小笠原君の事好きだったんだ。だけど、あの画材屋さんの日、雨宮さんがお揃いのミサンガしてるの見て諦めたんだ。なーんだ、彼女いるんだーって」

「え? あたしと湊人、そんなんじゃないよ? ただの『絵の相棒』だよ。それに、三宅さんのこと、彼氏がいるって言ってたけど」


 三宅が信じられないものを見るような目で瑠璃を見た。瑠璃は何故自分がそんな目で見られるのか理解できなかった。


「雨宮さん、それ、ホントの話?」

「うん。なんで?」

「私、彼氏なんかいな……えー、ちょっと待って……やだ小笠原君可愛い! なんか応援したくなってきた。今の話、小笠原君には内緒ね」

「え、うん。わかった」


 ――なんだかよくわからないけど、三宅さんて面白い人かも。


「ねえ、私も雨宮さんのこと『瑠璃』って呼んでいい? 私のことも『まい』って呼んでいいから」

「えっ……それってなんか友達っぽくない?」

「あれ? もしかしてそういうの嫌?」

「ううん! 友達欲しかったの! 三宅さん、友達になってくれるの?」

「だから舞だってば」


 ――なんだ、あいつら仲いいじゃん――少し離れたところで友人たちと盛り上がりながらも、湊人は瑠璃と三宅が楽しそうに話すのを目を細めて見ていた。




 お昼になって、訪れるお客さんが減った頃、二人は改めて自分たちの絵を眺めた。


「ねえ、凄いよ。美術館の壁に展示されてる」

「おう」

「あたしたちの絵だよ」

「感無量って感じだな」

「ねえ、二人セットのペンネーム作って、二人で活動しない?」

「は?」

「湊人は小笠原湊人で、あたしは雨宮瑠璃で、それぞれ絵を描くんだけど。それとは別で、二人で一緒に描くときのペンネーム考えてさ、それでこれからもずっとずっと、お爺ちゃんとお婆ちゃんになるまで一緒に絵を描こうよ」


 ――だからそれはプロポーズなのかよ!――と勝手に盛り上がりつつも、湊人は平静を装う。


「ああ、それもいいな」

「小笠原と雨宮くっつけて、小笠宮おがさみやとかどう?」

「アホか」


 二人でケラケラと笑っていると、四十前後の女性が二人に声をかけて来た。


「あなたたちがこれ描いたの?」

「はい」

「私ね、こういう者なんだけど」


 バッグの中から名刺を出してきて湊人と瑠璃に一枚ずつ渡したその女性は、さかきアイと名乗った。どこかで聞いたことのある名前だった。


「私の書いた『ルミエール』の絵、綺麗に描いてくれてどうもありがとう」

「はい? 私の書いた『ルミエール』?」

「えっ! ちょっ……『ルミエール』の作者!」


 その女性はにっこり笑うと「うん、そうなの」と答えた。


「湊人! 榊アイだよ! ホンモノ!」

「バカ、『先生』ってつけろ。失礼だろ!」


 彼女はクスリと笑うと「仕事の話、しない?」と言い出した。


「現在執筆中の作品、あなたたちにイラストお願いできないかなぁ?」


 二人の顎が一度に下がった。


「えええええっ!」

「描きます! 描かせてください!」

「凄い! あの榊アイのイラストだよ湊人!」

「やべえ、マジかマジかマジか!」

「ちょっと湊人、先生どこ?」

「知らねえよ、オレに訊くな」

「きゃー、どうしよう、仕事だよ仕事ー!」

「センセー! 澤田センセー!」



 一年後、人気作家・榊アイの新作の表紙絵に、新人のイラストレーターが抜擢されたらしい。確か名前はオガサミヤとかなんとか……。



 おしまい。

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