第49話 冗談キツイぜ

 十二月に入り、また湊人がアトリエに姿を現さなくなった。十一月の上旬がそうであったように、また瑠璃の機嫌が悪くなるのではないかと心配した澤田だったが、それは思いがけず杞憂に終わった。

 あの瑠璃が湊人無しでも機嫌よく描いているのである。理由を聞いて澤田は目が点になった。


「だって、あたしはこれから湊人と一緒に大賞受賞者の個展の為の絵を描きためておかなきゃならないんですから」


 もう大賞を取った気になっている。毎度のことながらこの根拠のない自信には苦笑いするしかないが、今回は湊人と組んだこともあり、そこそこの賞は取れるのではないかという気は澤田もしていた。

 何より、大賞を取ったつもりになって、瑠璃が機嫌よく絵を描いていることの方が大切だ。澤田はその瑠璃の気持ちを大切にしたかった。


「それにね、あたし、もう少し大人になろうと思うんです」

「え? どうしちゃったんだい? 山梨に行ってからちょっと変わったね、瑠璃ちゃん」

「はい。子供同士で遠出とか今までありえなかったんですけど、湊人が同い年なのに凄く大人で、あたしもそうならなきゃって思ったんです。あたしが図書館と家を往復している間に、同い年の人達はみんな大人になってたんです。だから追いつかないと。湊人の相棒に相応しい人間になりたいから」


 『湊人の相棒として相応しくなりたい』という言葉が、澤田には新鮮だった。今までの瑠璃からは考えられない。一皮剥けたな、と澤田は心の中でニヤついた。


「立ち居振る舞いももっと大人にならなくちゃって思ってるんです」

「ここ一週間で随分大人になったような気がするけど」

「はい、もちろんです!」


 ここで「はい」と言ってしまえるところも、瑠璃の瑠璃たる所以なのだが。


「授賞式でスピーチさせられるかもしれないじゃないですか。それにね、受賞パーティで大人の女性として振舞わないと、湊人が相棒として恥をかいちゃいますから。湊人の隣で堂々としていられる女性になるって決めたんです」

「それは楽しみだね」


 湊人が聞いたら爆笑しそうなセリフも、澤田はニコニコと受け入れてしまう。そういう意味では澤田は最高の師匠であろう。


「受賞スピーチは何を話したらいいんだろう。初めてだからわかんないんですよね」

「湊人と一緒に考えたらいいじゃないか」

「あ、それもそうですよね!」

「今は個展の為の絵の構成を考えるのが先だよ。スピーチや授賞式のドレスを考えるのよりもね」

「あ、バレてる!」


 実際、瑠璃は毎日母と授賞式のドレスの話ばかりしていた。優子もそれが捕らぬ狸の皮算用なことは百も承知していたが、そうやってモチベーションを保たせるのは必要だと感じていた。集中して取り組んだという成功体験をたくさんさせるべきだと判断したのだ。

 それに、暴走気味になってもその時は湊人が抑えてくれる。湊人がいるからこそ、澤田も優子も安心して瑠璃の妄想なり暴走なりを許しておける部分があった。


 暫くして湊人が冬休みに入った。

 ところが瑠璃の暴走ストッパーとして期待されていた湊人は、大人たちの期待を裏切って瑠璃と一緒に暴走するのを楽しんでいた。もう大賞は取ったとばかりに二人で『個展用』の作品を描き始めたのである。

 もしかすると湊人はそのつもりなど全く無く、単に次々と作品を描いて共同制作に慣れようと、話を合わせているだけかもしれない。それでも瑠璃がどんどんアクリルで上達していくのを見るのは澤田としても楽しかった。


 そうこうしているうちにクリスマスが過ぎ、年が明けた。再び湊人は学校へ行き、瑠璃は一人で描いていた。それでも彼女の情熱が衰えることは無かった。なにしろ彼女の中では既に自分は『大賞受賞者』のつもりだったのだから。


 そして運命の日は必ずやって来る。

 澤田はこの結果を伝えたときの瑠璃のリアクションを想像して、一日中笑いが堪えられなかった。


「今日は二人にお知らせがあるんだ。心して聞いてくれるかな」


 珍しく神妙な顔をする瑠璃に噴き出しそうになりながらも、澤田も神妙な顔を作ってみせる。


「君たちの『ルミエール』なんだけどね」

「なんだ、そんなことですか。もちろん大賞ですよね、もうわかってますから勿体つけなくていいです」


 やはり澤田が想像した通りのリアクションだ。瑠璃は期待を裏切らない。

 そして湊人の反応も澤田の想像通りだ。彼はチラリと瑠璃を見てやれやれと溜息をついている。これからどうやって彼女を宥めるか、早くも気が滅入っているようだ。


 が。


「そう。大賞だって。良かったね。スピーチ考えないとね」

「センセー、冗談キツイぜ」

「なんで冗談なのよ、湊人も大賞だって言ってたじゃない」


 さも当たり前という顔で瑠璃は言い放つ。この根拠のない自信が湊人には欲しいところだ。


「あーいや、そうだけど」

「冗談なんかじゃないよ。見る?」


 澤田は事務局から送られてきた審査結果を二人に見せた。そこには大賞という文字と、ルミエールというタイトル、そして二人の名前が記されていた。


「いやいやいや、センセー、このジョークは手が込みすぎ。笑えないって」

「うん、笑っちゃダメだよ、冗談じゃないから」


 そういう澤田が一番笑っている。


「お母さんとドレス買いに行かなきゃ!」

「とびきり可愛いのをねだってくるといいよ」

「待て、そうじゃねえだろ。ドレスの前に……ってーか、え? は? 大賞? ちょ、優秀賞とか特別賞じゃなくて? 大賞?」

「湊人、ルミエールで組み作品描こうよ、描きたいシーンがたくさんあるんだ」

「待てって、ちょっと、待て。えええ? うっそ、なんで?」


 最も現実を直視できていないのは、どうやら湊人のようであった。

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