第48話 ほうとう

 十一月二十八日土曜日。甲州トリエンナーレの搬入日は快晴に恵まれた。

 二人は九時に澤田のアトリエに集合し、三人で最終チェックをしてから額装した。


 澤田に見送られてアトリエを出た二人は、作品を大切に抱えて山梨へと向かった。目指す塩山までは立川で一回乗り換えるだけだが、瑠璃は異常に緊張して落ち着きがなかった。


「ねえ、大丈夫かな。二人で山梨行けるかな」

「山梨ったって隣りじゃん。東京から神奈川行くのと同じだろ。乗り換えなんか一回だけだし、迷う方が難しいだろ」

「だってあたし電車ほとんど乗ったことないし、乗るのだってお母さんと一緒だったし、子供同士でそんなに遠出とかしたこと無いんだもん」


 オドオドと落ち着きなく辺りを見回す瑠璃を安心させるように、湊人は彼女の手を取った。本当はどさくさ紛れに手を握りたかっただけかもしれないが。


「子供同士って、小学生じゃねえんだから。オレらもう高二だぜ? 瑠璃が乗ったことがなくても、オレはフツーに一人で電車乗ってあちこち出かけてるから、心配いらねえって」

「ほんと? 湊人に全部任せちゃうからね?」


 十二歳で社会的な成長が止まってしまったらしい瑠璃に、湊人は少なからず衝撃を受けていた。

 確かにそうなるだろうということは理解できる。そのころからは家と図書館を往復していただけなのだ。修学旅行にも行かないのだから、家で電車やバスに乗る用事が発生しない限り全く乗ることはないだろう。

 これで大学でも目指していれば三宅のようにオープンキャンパスなどに行くこともあるだろうが、瑠璃に至ってはそれすらない。あったとしても親と一緒に行くに違いない。

 彼女の『社会』は湊人の知るそれより遥かに狭いのだ。


「これからオレがいろいろ連れてってやるよ。電車にもバスにも一人で乗れるようにしてやる。瑠璃ももう子供じゃねえんだから、少し自覚しろよ」

「うん」


 少々わかりにくかったか、と湊人は手応えの無さに地味に凹む。「いっぱいデートしようぜ」と伝えたつもりだろうが、こんな遠回しな言い方が瑠璃に通じるわけがない。湊人は何をさせても器用で要領が良いのに、なぜかこんなところだけ絶望的に不器用だ。


 青梅線ではそれなりに気を使ったが、立川で乗り換えてからは座席も広く余裕がある。車両の一番端の席が取れたのも運が良かった。絵に気を使う事もなく、のんびり旅行気分を味わえた。

 何よりも、瑠璃が「修学旅行みたい」とはしゃいでいたのが、湊人には嬉しかった。単なる作品の搬入でしかないのだが、その行程を『旅行のようだ』と喜んでくれたのが湊人にとってツボだったのだ。


「春になったらさ、スケッチ旅行しねえ? ゴールデンウィークとか。もちろん泊りがけってわけにはいかねえから、近場で電車でサクッと行けるところでさ。植物園とかでもいいな。ハーブ園とか」

「いいね! 行きたい! お母さんに連れてってもらうの待ってたら、お婆ちゃんになっちゃうもん。湊人と一緒にお出かけする!」

「うん、だから……」


 他のやつと一緒に出掛けたりすんなよ、と言いそうになって、湊人は慌てて別の言葉を探した。


「だから、あれだ。もうガキじゃねえんだから、『お母さんと』とか言うなよ?」

「うん、そうだね。あたし、一緒にいても湊人が恥ずかしく感じないような大人になるよ。頑張る」


 ――うっわ、こいつ、天然かよ! マジで抱きしめたくなるような事、さらっと言いやがる!


 一人悶絶する湊人に気付くわけもなく、瑠璃は楽し気に「おやつおやつ~」と小学校の遠足さながらの楽しみようだ。

 この瑠璃の子供のような純粋さをずっと守っていくべきなのか、少しでも社会に順応できるように誘導してやるべきなのか、湊人には正解はわからない。だが、発達障害の生き辛さを理解して、少しでもクッションになってやることは可能だという気はした。


 塩山の駅に着くと、瑠璃はそれこそ子供のようにはしゃぎまくっていた。


「こっちの出口でいいの?」

「わかんねえよ。出て見りゃわかるだろ」

「ねえねえ、あそこ見て! 武田信玄がいる!」

「え? じゃあ、反対側に出ちゃったか。戻るぞ」

「武田信玄と写真撮ろうよ!」


 なんで武田信玄と? という疑問はとりあえず置いといて、瑠璃が楽しそうだからまあいいかと、湊人は写真に付き合う。

 ついでに澤田に到着報告を兼ねて写真を送ってしまうあたりが湊人というべきか。


 地図を片手に、その辺の人を捕まえて道を訊きながらやっと到着した搬入会場には、たくさんの人が訪れていた。

 ほとんどが大人で慣れた感じだった。二人は初心者丸出しのていでウロウロしつつもなんとか手続きを終え、思ったよりもあっさりと搬入が終わってしまった。


 せっかくこんなところまで来たのだ、このまますぐに帰るのは勿体ない。とは言っても十一月の末、快晴と言えどさすがに冷える。二人はお昼ご飯にと『ほうとう』を食べて温まった。幅広の麺とカボチャやジャガイモが不思議に良く合っていた。

 お店の入り口に置いてあった観光案内を手に取ると、ハーブ園などがあるのがわかったが、ここから四キロもあるらしい。しかもこの時期だ、あまり花にも期待できそうにないことから、初夏に来ようと約束して今日のところは帰ることにした。


 信玄餅とワインをお土産に買って、帰りはゆっくりの電車で帰った。急ぐ必要もない。二人でいろいろな話をした。

 澤田と忍は家を買うことにしたらしい。今のアトリエは湊人にそのままそっくり譲ってくれるのだそうだ。一階のプライベートルームも、湊人のものになるようだ。

 瑠璃は今まで通り、あのアトリエに自由に出入りできる。一つ今までと違うとすれば、そこに澤田はいないということだ。とは言っても、すぐ近くに家を買ってあるという話なので、今後はそちらに習いに行くことになるのだろう。


 結婚式は来年三月。それまでに新居への引っ越しを完了して、フランスへ新婚旅行に行く。湊人が高校三年生になる直前の春休みだ。高三からは一人暮らしである。


 瑠璃には考えられない世界だ。高校生が一人暮らしだなんて。だが、忍も澤田も近所に住んでいる。最初こそ食事に困るだろうが、忍がちょこちょこ作りに来てくれるというし、少しずつ自炊するようにと湊人は考えているようだ。

 因みに湊人の得意料理はカレーと焼きそばだそうだ。瑠璃をランチに招待してくれるという湊人は照れ臭そうにしつつも、ちょっと腕に自信があるようにも見えた。


 青梅に帰ると午後の四時を回っていた。辺りは薄暗くなりつつあり、心地よい疲れが二人を包んでいた。


「終わったね」

「おう。相棒は解散か?」

「何言ってんの、これからだよ。あたしたち大賞取って個展やるんだから、その為の作品描かなきゃ」


 真顔で言う瑠璃に、湊人は「そうだったな」と笑う。


「明日、個展の相談しような。じゃあな、お疲れ」

「うん、またね」


 ドアの中に消えて行く瑠璃を見送りながら、湊人はまた溜息をついた。


「あー、今日もいっぱいチャンスあったのに……くっそ」

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