第43話 主語はなんだ

「こんちゃーっす」

「あら湊人くん久しぶりねぇ。うちで描かなくなってから全然見なくなっちゃったから、どうしてるかなーって思ってたのよ。今度お母さんにお茶しに来てって伝えといてねー」


 階下から湊人と母の会話が聞こえてくる。


「センセーのとこ行くんで瑠璃迎えに来たんですけど」

「上にいるから連れてってくれる?」

「はーい」


 階段をすたすたと上って来るいつもの足音。


「瑠璃ー、入るぞー」


 一拍待ってからドアが開く。今日は隠れる気すら起きず、ベッドに仰向けにひっくり返ったまま、入って来た湊人に一瞥をくれる。


「何?」

「何、じゃねえよ。センセーんとこ行くぞ。昨日来なかっただろーが。今日は土曜日だし、たっぷり時間あっからな。みっちり描くぞ」

「あたし行かない」


 湊人は大仰に溜息をつくと、ベッドサイドで腕を組んだ。


「まーた始まった。今度は何だよ」

「また始まったって何よ、湊人なんか嫌い」

「はぁ? 嫌いになるのは仕方ねえけど、なんで嫌いになったのか教えろよ。共同制作やってんのに嫌われたんじゃシャレになんねえよ」

「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」


 と言われて本当に胸に手を当てるところが湊人の湊人たる所以である。「うーん、思い当たる節がございません」などとかしこまっている。


「ほら、グズグズ言ってないで、ちゃんと話せよ」


 湊人はベッドに寄り掛かって座ると、布団の上に肘をついた。瑠璃はわざと寝返りを打って、湊人に背中を向けた。断固戦う意思のようである。


「なんで内緒にしてたの。あたしだけが知らなかったんじゃない」

「何がよ」

「先生のカノジョ。忍さんだったんでしょ。忍さんと先生が結婚するってことは、湊人は先生の息子になるって事じゃない。この前、お母さんが再婚するって言ってた時、再婚相手をお父さんとは呼べないって言ってたの、先生だからでしょ」

「そうだよ」


 湊人はあっさりと白状した。


「だってセンセーはオレにとってセンセーだもん。親父になってもやっぱセンセーだよ。あの時言っただろ、再婚相手とは仲良くやってるって」

「でもね!」


 瑠璃が湊人の方に振り返った。目にたくさんの涙を溜めていた。


「でも、あたしの居場所は、図書館と先生のアトリエしかないの! なのに、先生と忍さんが結婚したら、先生と忍さんと湊人は家族になるんだよ、あたしだけがまた仲間外れじゃない、あたしだけまた居場所がないじゃない!」

「いや、オレだって相当居づらいんだけどな」

「先生、今まで一言も言ってくれなかった。もっと早く言ってくれたら、もっと早く諦めがついたのに」

「お前さ……」


 湊人が膝立ちになった。瑠璃を上から見下ろしてくる。


「まだ先生のこと諦めてなかったのかよ」

「だって……あたしもよくわかんないんだもん。先生のこと尊敬してるだけだと思ってたけど、やっぱり好きなんだもん。それなのにみんなで家族になっちゃって、あたしだけ一人ぼっちで――」

「二つの話をごっちゃにしてんじゃねえよ。お前は関係ない二つのことをわざわざくっつけて、勝手に悲劇のヒロイン気取ってるだけだろうが」


 瑠璃は勢いよく起き上がると、湊人に布団を押し付けた。


「湊人なんかわかんないんだ、一人ぼっちのあたしの気持ちなんか」

「ふざけんなよ、お前だけが世界中の不幸を背負ってんのかよ」

「誰もあたしのことなんか好きじゃない、先生もあたしがいない方がいいと思ってるんだ」

「そんなにセンセーが好きかよ! センセーのことなんかオレが忘れさせてやるよ!」


 湊人としてはこれが精一杯だった。そんな湊人の気持ちが、瑠璃に伝わるわけがなかった。

 湊人はなんでもそつなくこなす一方で、こういうところだけ異常に不器用なうえに、発達障害を持つ瑠璃はストレートな言葉でないと理解ができないのだ。


「先生の事忘れたいわけじゃないもん」

「いや……だから、そういう意味じゃなくて……ああ、もう!」

「じゃあ、どういう意味よ。あたしが理解できないからってお腹の底で笑ってるんでしょ」


 湊人は頭を抱え込んだ。――どうしてこいつはそっち行くんだ?


「なんでそういう発想になるんだよ。オレがいつお前のことバカにしたんだよ」

「初めて会った時だって『絵、描いたことあるのか』とか、『デッサンできてない』とか!」

「それはバカにしたんじゃねえよ、『絵、描いたことあるのか』ってのは経験者かどうか聞いただけだし、『デッサンできてない』ってのは教えてやろうと思っただけじゃねえか。お前が人の話を最後まで聞かねえんだろ」

「湊人は悪くないって言いたいの?」


 折れそうになる気持ちを必死に立て直して、湊人は自分と瑠璃を落ち着けることに専念した。ここで冷静さを欠いたら元も子もない。


「ちげーよ、そういう話じゃなくて、まず瑠璃は人の話をちゃんと最後まで聞けよ。それと、人の話を勝手な解釈で上書きすんのやめろよ」

「湊人はあたしのことなんか嫌いなんでしょ!」


 ――だーかーらー。


「なんで主語がオレなんだよ。瑠璃自身はどうなんだよ」

「あたしのことはどうだっていいでしょ」

「良くねえよ。お前はオレのことが嫌いなのか。一緒に共同制作するのも嫌なほど。顔も見たくない、声も聴きたくないのか」

「そんなこと言ってないじゃない。湊人があたしのこと嫌いなんだ!」

「お前いい加減にしろよ」


 彼の最後の言葉は自分でも驚くほど冷たかった。そのまま彼は静かに続けた。


「もう一度言う。主語は自分にしろ。自分の気持ちを語るのに、オレのせいにするな。オレと一緒にやるのが嫌になったなら、『自分が』一緒にやりたくなくなったって言え。『オレが』じゃねえ。『瑠璃が』だ。オレの気持ちはオレにしかわからねえ」

「湊人……怒ったの?」

「いや。情けなくて凹んだよ、自分にな」


 彼は大きな溜息を一つつくと、気が抜けたように立ち上がった。


「どこ行くの」

「センセーのアトリエ。オレは瑠璃が来なくても絵を描く」

「あたしがいなくてもいいって事なんだ」

「なんでそうなるんだよ……なんでそうやってどこまでも自分が世界の中心なんだよ。『瑠璃が』いなくてもいいんじゃなくて、『絵が』待ってるんだよ、オレを」


 それだけ言うと、湊人は部屋を出て行った。後には瑠璃だけが取り残されていた。

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