第41話 鈍感さん

 「湊人はあんまり腹の内を見せない子なんだけど、今のあの子はわかりやすくて笑っちゃうわ」


 ここのところ湊人も瑠璃もアトリエに来ないので、忍は遠慮なく澤田の家に来るようになった。

 そのお陰と言っては何だが、式の打ち合わせや新婚旅行の相談も以前からは想像できないほどとんとん拍子に進んでいる。


「湊人はしっかりしてるね。さすが君の息子だよ。僕が君におんぶに抱っこであるように、瑠璃ちゃんも湊人に任せておけば安心だ」

「おかしいわねぇ、わたし、瑠璃ちゃんを湊人に任せるためにあなたに託したわけじゃないんだけど」


 悪戯っぽく笑う忍に、澤田は「ごめんごめん」と手を合わせる。


「瑠璃ちゃんも同年代の子との付き合い方を覚えて行かないとね。最近の湊人はトサカも辞めちゃって、ここに来たばかりの頃からは考えられないほど大人になったよ」

「あなたのお陰よ」

「僕は絵を描かせただけだよ」


 忍は湊人が瑠璃の為にミサンガを編んでいたことを知っている。そのミサンガが切られたことも、作り直したことも全部だ。

 もちろん湊人から聞いたわけではないが、一緒に住んでいればなんでもわかってしまう。

 二人の間に何があったのかも、だいたい想像がついていた。


 少し前までは、瑠璃は澤田の事が好きだった筈だ。彼女に一体何があったのかは知らないが、湊人に気持ちが移っているのを忍は敏感に感じ取っていた。

 そして瑠璃が一方的に湊人に思いを寄せているのかと思いきや、どうやら湊人の方もまんざらではなさそうだということにも気づいたのだ。

 とは言え、親としては気づかぬふりをしてやるのが親切というものだろう。女の子なら母親とそんな話をするのかもしれないが、男の子はとかくそういう話をしたがらないので、忍は気になって仕方がない。


 澤田はそういうところに関して恐ろしく鈍感なので、湊人が瑠璃の世話を焼いているのも絵画教室の先輩としてやっていると思っているようだ。

 そうじゃないと知ったら澤田はひっくり返るほど驚くのだろう。それを想像すると忍はおかしくてたまらない。

 ――あなたのそういうところが放っておけないのよ、鈍感さん――


 瑠璃から見る澤田は、なんでもできるし、どんな我儘も聞いてくれる素敵なパーフェクト紳士なのだろう。しかし、実際のところは『絵の才能は抜きんでているけれど、それ以外は少し頼りないお兄さん』……いや、もうオジサンか。だが、彼の素朴で純粋で、裏表のない人柄に忍は惚れたのだ。別れた亭主と正反対な性格がストライクだったのかもしれない。


「新婚旅行、楽しみね」

「ルーブルはずっと行きたかったからなぁ」


 少年のように目をキラキラさせる澤田を見て、忍は改めて彼との出会いを神に感謝した。


***


 夏休みが終わる前日、湊人と瑠璃は二人で描いていた作品を澤田のアトリエに持って行くことになった。湊人がいないと瑠璃がサボってしまうため、澤田のところで描く事にしたようだ。

 前以て澤田から借りておいたキャンバスバッグに絵を入れて、二人で挟むようにして歩いた。お陰でその辺にぶつけることもなく、無事に澤田のアトリエまで運ぶことができたのだが……。

 なにしろ大きい。この狭い階段を上る時にぶつけてしまいそうだ。

 澤田は「階段は使わないから、下で待機するように」と言っていたがどうする気なのだろうかと瑠璃は気になっていた。


 澤田は二人を玄関前に待たせると、家の中からドアの横にある引き戸を全開にした。いつもの蝶番のドアと違って、こちらの引き戸を開けると二階までぶっ通しの吹き抜けの真下に来る形になる。


「ここで待ってて」


 澤田はトントンと軽やかに二階のアトリエへ上がると、吹き抜けの天井に設置した滑車に通したフックを下にするすると降ろした。


「湊人、そのバッグの持ち手のところをそのフックに引っ掛けて。上で引き上げるから限界まで手を放すなよ」

「おっけー」


 ――最初にこのアトリエに来た時から気になっていた滑車! こうやって使うのか! 普通はシーリングファンがある筈の場所に、と思っていたけど、そういうことか!


 瑠璃はようやくこの謎の吹き抜けの存在意義を理解した。

 その後はあれよあれよという間に湊人がフックに持ち手をかけ、上から澤田が引き上げアトリエに回収されてしまった。


 二階に上がると、既に澤田がバッグから作品を取り出して、イーゼルに掛けているところだった。


「なかなかいいじゃないか。テクスチャもだいぶ使いこなしてるようだね」

「ほんとですか、あたし、めちゃくちゃ頑張ったんですよ!」

「あはは、凄い凄い、よく頑張ったね」

「なんか馬鹿にされてる?」

「そんなことないさ、随分上達したよ」


 瑠璃が澤田とお喋りをしている間に湊人はさっさとテーブルとコップを出してきて、持ってきたアイスティーを注ぎ分ける。


「もうオレ、喉がカラカラだよ。すげー緊張するしすげー暑いし。ほら瑠璃も飲めよ」

「ありがとう、あたしも喉カラカラ!」

「湊人は本当によく気が付くね。いい嫁さんになるよ」

「なんでオレが嫁なんだよ。ってか、誰の嫁なんだよ」


 澤田と湊人の何気ない会話を聞きながら、瑠璃はまた気が滅入って来た。

 ――なぜ自分はそういうことに気が付けないんだろうか。湊人はなんでもすぐに気づいて、他人の為に動くことができるのに。どうして自分はADHDなんかに生まれてしまったのだろうか。

 だがこんなことでいちいち凹んでなどいられない。湊人の相棒として一緒にこの作品を世に出さなくてはならないのだから。このミサンガを編んでくれた湊人に対しての自分なりの誠意を見せなくてはならない。


「さて、じゃあ今後の方針を聞かせて貰おうかな。これからどういうふうにこの絵は化けて行くんだい? 言っておくけど、甲州トリエンナーレは一筋縄じゃ行かないよ?」


 二人は気を引き締めてイーゼルに架かった作品に向かった。

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