第40話 ヤキモチ
合宿の前日に見たあの女の子だった。アイドルみたいに可愛くて、手足が長くて、顔が小っちゃくて、目がぱっちりと大きくて、ミニスカートが良く似合って、華奢で、守ってあげたくなるような……湊人と二人で一つの傘に入ってた女の子。
湊人の家からなら、画材屋さんに行く途中に瑠璃の家がある。迎えに来てくれればいいものを、今日は寄るところがあるからと言っていた。
――彼女と会っていたんだ。それならそうと素直に言えばいいのに、何故湊人は嘘をついたのか。
瑠璃の頭の中は湊人への不信感で埋め尽くされていた。
前回は瑠璃の単なるヤキモチで済まされていただろう、だが今回はそうはいかない。わざわざ「寄るところがあるから」と言っておきながら「偶然近くで会った」なんて、咄嗟の言い訳にしても酷すぎる。こんなバレバレの嘘をつくくらいなら、最初から「彼女と会ってた」と言って欲しかったのだ。
下から呼び鈴の音と、「こんちゃーっす」が聞こえて来た。瑠璃はいつものようにベッドに入ると布団を頭から被った。
――今更何しに来たんだろう。彼女と出かけたらいいのに。もう、この部屋に鍵つけちゃおうかな。
「瑠璃~、入るぞ~」
「やだ」
「なんだ、着替えてんのか?」
「違う」
「オレへのサプライズでも準備してんのか?」
「違う」
「じゃ、いいな」
ドアが開き、湊人が入ってくる。いつの間にか聞き慣れた湊人の足音が、ベッドサイドに近付いてくる。
「このクソ暑いのに何やってんだよ。冬眠ごっこか?」
「あっち行ってよ」
「なんだよ、画材屋行こうって言ったの瑠璃の方だろ」
「デートすっぽかしていいの? 早く行けば」
「すっぽかしたのお前だろ。オレはちゃんと来てんじゃん」
「意味わかんない」
急に布団をはがされた。湊人が感情の無い眼で見ていた。
「お前さ、約束すっぽかして何言ってんだよ。また始まったのかよ」
「また始まったってどういう意味よ、湊人が誤魔化すのがいけないんじゃない」
「はぁ? オレがいつ何を誤魔化したんだよ」
瑠璃はむくっと起き上がると、ベッドの上にぺたんと座った。だが、相変わらず布団の端っこは握りしめている。
「あの子、たまたま近くで会ったなんて、嘘に決まってる。今まで会ってたんでしょ、それで駅まで送るついでに画材屋さんに来たんでしょ」
「は?」
「さっきの女の子!」
「ああ、三宅か」
「今まで会ってたんでしょ、その三宅さんと」
「だから、すぐそこでばったり会ったって言ったじゃん」
「それが嘘だって言ってるの! なんで誤魔化すの? 普通に三宅さんと会ってたって言えばいいじゃない」
キョトンとして聞いていた湊人が、プッと噴き出すと、何を思ったのかゲラゲラ笑いだした。
「何がおかしいのよ」
「だーって、お前さ、なんかカレカノの痴話喧嘩みたいじゃね?」
「ちっ……違うもん!」
「だったらなんでオレが三宅と喋ってんのがそんなにムカつくの?」
「別にムカついてなんか無いもん。湊人が誤魔化すのが嫌なだけだってば」
「だから誤魔化してねえっての」
「じゃあ、どこ行ってたのよ」
「センセーんとこ」
今度は瑠璃がキョトンとする番だった。湊人が『センセー』と呼ぶのは澤田だけだ。
「たまに進捗の報告入れてんだよ。センセーのとこ出て画材屋向かう途中、三宅にばったり会ったんだよ。駅に行くって言うから一緒にダベりながら歩いて来たの」
「だけど……三宅さんと仲良さそうだった」
瑠璃は辛うじて聞こえるかというような声でボソボソと呪詛の言葉を吐いた。それに対する湊人の声は、真夏の空のようにからりと晴れ渡っていた。
「隣の席だしな。この前の合宿も席順で六人ずつだから、一緒の班だったんだよ。しかもオレら買い物当番」
「見たよ。一緒の傘で歩いてたの」
「なんだよ、声掛けてくれりゃいいのに。急に雨降って来て、あいつ傘持って来てなかったからな」
瑠璃は何か言いたげな顔で湊人を上目遣いに見た。が、何も言わない。言えないのだ。自分の勘違いだったことが恥ずかしかったが、それ以上に自分が『三宅さん』に対して嫉妬だらけの感情で居たことが情けなかったのだ。
そこに容赦なく湊人が図星を突いてくる。
「何、もしかしてヤキモチ?」
「違うもん!」
「じゃあなんでミサンガ切ったんだよ」
冷たい声だった。今までの冗談めいた笑いを含む声ではなかった。やはり湊人は気づいていたのだ、あのミサンガは『切れた』のではなく『切った』ということに。
「合宿の前日に見たんだろ、オレと三宅が歩いてんの。それから合宿行って、戻って来たらあからさまに会いたくなさそうにしてさ、お前こそ嘘ついたよな、『お腹痛い』って。あれはミサンガを切ったことに対する言い訳が思いつかなかったんだろ?」
そうだ、嘘をついたのは湊人ではない。瑠璃の方なのだ。
「オレがなんにも気づかないと思ってたのかよ。オレはセンセーみたいに大人じゃねえんだよ、こうやってお前を追い詰めたりするんだよ、ガキだからな」
先生はいつだって甘やかしてくれた。なんでも言うことを聞いてくれた。だけどそれは大人の人だからだ。『仕方ないなぁ』と許してくれていた。
だが、それだけでは瑠璃は絵描きとして成長できても、人間として成長できないのだ。
湊人は一度目は許してくれるが、二度目は許さない。だが、瑠璃にとって湊人の態度は必要なものに感じられた。
「……ごめんなさい」
「何がごめんなさいなんだ?」
「ミサンガ切ったこと。嘘ついたこと。湊人を疑ったこと。ヤキモチ妬いたこと」
湊人は滑稽なほどに神妙な顔をして「仕方ない、最初の三つは許す」と言った。
「ヤキモチ妬いたことは許してくれないの?」
「許す必要がねえ」
瑠璃がポカンとしていると、湊人が視線を逸らした。
「だーかーらー。ヤキモチは別に妬いてもいいってこと。迷惑にならない程度に」
湊人にとっては精一杯の告白だっただろう。だが、それが瑠璃に通じる日は……当分先になりそうである。
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