第33話 湊人の母

 夏休みに入り、湊人は宣言通り毎日瑠璃の家にやって来た。

 元々が人懐っこく、イラストレーター雨宮優子の作品もたくさん知っていた彼は、瑠璃の母ともすっかり仲良しになってしまっていた。


 更には湊人の母が働いていて日中家にいないことを知った優子の勧めで、湊人は雨宮家で一緒に昼食をとるようになった。

 いつも二人きりで食べていたテーブルも、湊人が入ることで急に活気づいた。毎日食卓に上がる話題はマンネリ化していたが、彼がそこに投入されることによって話題が広がり、食事が一気に彩に満ちたものになったのだ。


 当然と言えば当然だろう。優子は在宅ワークで、外に出るのは買い物くらい。瑠璃はと言えば図書館とアトリエくらいしか出かけない。それ以外のところに行くのが怖いのだ。

 それにひきかえ、湊人のホームはなんのかんの言っても学校である。高校を卒業したのが四半世紀前という優子と、高校というものを知らない瑠璃に質問攻めにされながらも、湊人はこの親子との昼食が毎日の楽しみの一つになっていた。


 そして今日は、湊人の母が瑠璃の家に挨拶に来るという。毎日湊人にお昼ご飯を食べさせているのだ、それは挨拶にも来るだろう。

 ところが、湊人が連れて来た女性を見て、瑠璃は物理的にひっくり返るほど驚いたのだ。


「これ、オレの親なんだけど」

「こんにちは、湊人がお世話になりまして」


 と頭を下げた女性は、なんと……。


「忍さん!」

「瑠璃ちゃん、こんにちは」

「なんで忍さんがこんなところに来るの、なんで湊人と一緒に来るの、図書館は? どうなってんの?」

「今日はお休みだからこうして来たの。湊人はわたしの息子なのよ」

「えええええええ!」


 口をパクパクさせたままそれっきり口がきけなくなっている瑠璃を他所に、母親同士は和気藹々、早速お喋りに花を咲かせている。


「図書館で瑠璃がお世話になっているそうで」

「瑠璃ちゃん、いつも話しかけてくれるんですよ。クロッキーのモデルになったこともあるんです」

「湊人君がうちに来てくれるようになってから私も若返っちゃって~。イケメン大歓迎ですから~」


 などという話から再婚の話まで大盛り上がりだ。とても初対面とは思えない。

 瑠璃と湊人の方は母たちの話に付き合いきれず、さっさと二人で二階へと上がった。


「湊人のお母さんが忍さんだったなんて聞いてない」

「言ってねえし」

「なんで教えてくれなかったの」

「必要ねえし」

「あたし、忍さんに湊人のことトサカ君とか言っちゃった」

「オレにも言ってんじゃん」


 確かに……という間が二人の間に流れる。


「なんであたし気づかなかったんだろう。よくよく見れば似てるよね、忍さんと湊人って。忍さんのこと勝手に独身だと思い込んでた」

「あれでも三十六だぜ。オレ、二十歳ん時の子だから」

「忍さん、あんなに美人なのにー」

「なんだよそれ」

「あー、でも湊人も一般的な男子の中ではカッコいい方かも」

「褒めるか貶すかどっちかにしろよ」


 画材を広げながら、不意に湊人が「そう言えば瑠璃に土産がある」と言い出した。


「なに? どっか行ったの?」

「ちげーよ。土産話。甲州トリエンナーレ知ってるか? 」

「何それ、ブドウ?」

「ファンタジーイラストの祭典。大賞一点、優秀賞二点、参加資格十五歳以上アマチュアのみ、共同制作可、既存ファンタジー作品のイラストも可、出品料一点五千円、搬入は十一月の二十九日と三十日。大賞作者は来年個展が約束されてる」


 瑠璃の手が止まった。


「ファンタジーイラスト?」

「出そうぜ。二人で」

「もしかして……」

「いいか、大賞はオレたちが貰う。ルミエールでな」


 しかし、澤田はまだフィレンツェだ。滞在予定が延びているらしい。こんなことを勝手に決めてしまっていいのだろうか。そんな瑠璃の心を読み取ったのか、湊人が続けた。


「心配すんな、センセーの許可は取ってある。搬入まで全部自分たちでするからって言っておいた。十一月末は一緒に山梨行くぞ」

「えっ、山梨? 泊りがけ?」

「二時間あれば行ける。日帰りで大丈夫」


 こんな大事なことを話しながらでも湊人の手は全く止まらない。一度に二つの事を処理できない瑠璃には、魔法のような芸当だ。

 だが、湊人の方は逆だった。どんな顔で話したらいいのかわからない、とにかく何か手を動かしていたかったのだ。

 二人きりで山梨まで出かけることを、なんとか必要事項のように尤もらしく話す必要がある。そうでないと、顔のニヤつきが抑えられそうになかったからだ。


「わかった。出そう、ルミエール。あたし、本気出す!」

「なんだよ、今まで本気じゃなかったのかよ」

「ううん、今回は湊人と組むんだから、絶対大賞取りたい!」


 この言葉がどんなに湊人を喜ばせ、瑠璃自身を勇気づけただろうか。


「ねえ、そのミサンガ、どこで手に入れたの? あたしも同じの手首につけて願掛けする!」

「これは特殊なルートで入手したからな。お前のも近いうちに持って来るよ。同じ色でいいのか?」


 うん、と言いそうになって、瑠璃は言葉を飲み込んだ。

 ――湊人の色はルビーの赤。あたしのラッキーカラーはサファイアの色だ。

 瑠璃が言葉を発する前に湊人がニヤリと笑った。


「わかった。ウルトラマリンで準備して来るよ」


 瑠璃は今度こそ「うん」と言った。

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