第31話 瑠璃の親友

 湊人の作品はギリギリ三日前に仕上がり、滑り込みでなんとか締め切りに間に合わせることができた。それから発表までの間、瑠璃は澤田にテクスチャジェルの使い方を教わり、湊人はイメージを鍛えるためにいろいろな本を読み漁った。

 澤田が瑠璃に絵を教え、そのそばではハンモックに寝転んだ湊人が本を読む。ありきたりではあるが、確かな幸せがそこにあった。


 ある日、瑠璃が湊人に一冊の本を勧めた。『ルミエール』というハイファンタジーだった。

 瑠璃がこのアトリエに来るきっかけとなった本だ。このストーリーのワンシーンを色鉛筆で描いていて、澤田に「アトリエに来ないか」と声をかけられたのだ。

 湊人のイメージ能力を鍛えるにはファンタジーが手っ取り早いのではないかと、瑠璃なりに考えての提案だった。


 最初湊人は渋った。妖精が出てくるようなお伽話は好きではないと言う。だがせっかくの瑠璃の提案を無下に断るのもどうかと口ごもっていると、澤田が「あれは面白かったね」と横から口を挟んできたのだ。

 確かに瑠璃と湊人がアトリエで絵を描いている時、澤田はあの本をすぐ後ろのディレクターズチェアで読んでいた。彼の話では、楽しいだけの子供向けのファンタジーではなく、策略がいろいろに交錯した大人向けのファンタジーらしい。

 澤田のこの言葉に心が揺れた湊人は、せっかくだからという程度で読み始めた。が、これが大当たりだった。彼はその世界にどっぷりとハマってしまい、この映画を撮るくらいのつもりで、この世界観の絵が描きたいと言い出したのだ。


 こうなるともう止まらない。それならいっそ、共同制作をしたらどうかと澤田が言い出した。

「無理!」「とんでもねーこと考えるなぁ、センセー」などという二人に、澤田は「二人ともアクリルなんだから画材的な制約が何もない、やらなきゃ損だよ」と軽く言ってのけた。

 個々に作品を描くのもいいが、大判の画面で瑠璃は筆とナイフとメディウムを駆使し、湊人はエアブラシで徹底したリアリズムを追及する。面白い作品ができるのではないかという澤田の提案に、渋っていた二人も最後には乗り気になっていた。


 さあ、そこからが大変だ。画面のサイズから決めなければならない。それ以前にイラストボードにするかキャンバスにするか。P判にするかS判にするか、ボードならA判B判だ。

 シーンはどの部分を切り取るか。構図はどうするか。色調は。二人で決めなければならないことがありすぎて瑠璃はパニックになっていたが、澤田は「二人で考えてごらん」とだけ言ってヒントをくれようとはしなかった。


 そうこうしているうちに、梅雨明けと同時に澤田自身が私用でフィレンツェに二週間ほど行くことになった。澤田が出かけるのは問題ないのだが、アトリエが使えないという状況は二人にとってかなりの致命傷となった。

 そこで、瑠璃は自分の部屋で描く事を提案した。今は自分の部屋と一続きになっているアトリエがあるのだ、そこなら二人でゆっくり描ける。


 そうなると湊人としては断る理由が何もない。早速仕入れた巨大なキャンバスを瑠璃の部屋に持ち込んで、共同制作を開始した。もちろん、湊人のコンプレッサーやハンドピースなどの画材もすべて持参である。

 母は瑠璃が友達を家に連れて来たことが嬉しくて、毎日でも来て貰って構わないと言ってくれた。デジタルに完全移行してからというもの、アナログでワイワイと描くのを見るのは、母にとっても懐かしく楽しいものだったのだ。


 二人はまず、自分の気に入ったシーンをザックリと描き起こし、お互いに見せ合った。それをもとに議論しているうちに次第に白熱していき、クロッキー帳を使って「ここであれを描こうよ」「こっちでこのシーンを入れよう」と案を出しながら画面を詰めて行った。

 これがなかなかに楽しい作業で、酷い時にはテーブルを挟んで二人向かい合ったまま静かに本を読み耽っている日もあった。


 毎日が楽しくて仕方なかった。

 瑠璃の部屋は去年の夏に大改造してからは、半分から北側はローテーブルを挟んで瑠璃の勉強机とベッドが壁際にある。南側は全部アトリエだ。実際に作画に入るまではアトリエ側に行っても仕方がないのでローテーブルを挟んでお茶を飲みながらの作戦会議がメインだ。

 最初は真面目に作戦会議をしているのに、気づくと話が脱線している。大抵脱線させるのは瑠璃の方で、湊人は暫く話に付き合ってから「話し戻すぞ」と言って方向を修正する。女の子ばかりだったらこうはいかなかっただろう。瑠璃はこれに関しては随分と湊人に感謝した。


 二人は絵を通して急速にその距離を縮め、親友と呼べる間柄になった。そのことを最も喜んだのは、瑠璃の母だった。

 今までどこへ行っても周囲に馴染めず、一人だけ浮いてはポツンと孤立し、友達らしい友達がいなかった瑠璃に、やっと『親友』と呼べる友達ができたのだ。しかもそれがイラストレーターの卵だという。

 彼の作品は、本職である瑠璃の母からみても十分プロとして通用するレベルの技術を持っているように見えた。実力のある子が瑠璃の友達になり、一緒に作品を共同制作しようとしている、こんな日が来ようとは彼女は想像だにしていなかった。


 そんな中、武蔵野ビエンナーレの結果が発表になった。

 湊人の『川崎工業地域の夜景』は大賞こそ逃したものの、次点の優秀賞に選ばれた。

 瑠璃の『図書館のある風景』は、入選だった。

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