第23話 マフラー

「あたしね、あそこ、やめようかと思うんだ。一人で自己満足で描いてたらいいやって思って」

「はぁ?」


 湊人の口調が急に強くなった。


「なんでやめんだよ」

「あたしには才能がないってわかったから。いつも湊人のは賞に入るけど、あたしのは入らない。わかったんだ、自分の立ち位置が」

「違うだろ。先生に褒めて貰えないからだろ」

「そんな――」

「大好きな澤田先生に、褒めて欲しかったんだろ。先生を独り占めしたかったんだろ。オレにヤキモチ妬いただけだろ」

「そんなんじゃないもん。あそこは先生とか湊人とか、才能のある人の為のアトリエなんだ。あたしの居場所なんてあそこには無いじゃない!」


 突然湊人が瑠璃の腕を掴んだ。体ごと瑠璃の方を向いた湊人が、ゆっくりと落ち着いて言った。


「また逃げんのかよ」

「またって何よ」

「今まで学校で仲間外れにされてきたんだろ。クラスでも、部活でも。だから逃げて来たんだよな。それは別にいいんだよ。無理して行かなきゃならないなんてことはねえ。学校にはお前の居場所は無かったんだからな」


 瑠璃は黙って聞いた。湊人の目が彼女の割り込みを許さなかった。


「でもな、あのアトリエには瑠璃の居場所があるんだよ。それを『居場所がない』なんて言われたら、オレたちって一体なんなんだよ。オレと先生、一度だってお前を仲間はずれにしたことがあったか?」


 湊人の真っ直ぐな瞳が瑠璃を射抜いた。それだけで彼女は、そのまま十字架に張り付けられたかのように身動きが取れなくなった。


「……ない」

「居場所があるのに来ないのは、オレたちを拒否してるってことだよな。それは瑠璃の学校の連中が瑠璃に対してやったことと同じじゃねえのか」


 湊人を拒否する。居場所があるのに、その居場所を拒否する。そんなことをして、自分の落ち着く場所が手に入るのか。

 怖いくらい真剣に迫って来る湊人の手から、瑠璃は逃げ出したくなっていた。しかし彼はそれを許してくれそうになかった。


 こんなに真剣に、こんなに必死に、語り掛けてくれた人が今までいただろうか。

 母さえもこの『ADHD』という何者かわからない特性に振り回され、手探りで瑠璃を育てて来た。それを瑠璃自身、ひしひしと感じ取っていた。だからこそ瑠璃も母に苦労させたくないと思うとともに、母にだけは我儘も言えていた。


 湊人は? 彼は瑠璃の特性などお構いなしに、ガンガンと本気でぶつかって来る。澤田のように懐深く何もかも包み込んでくれるようなことがない代わりに、瑠璃を自分と対等の位置に置き、本音で話をしてくれる。

 こんな存在を手放してしまっていいのだろうか。


「行きたくなければ、しばらく行かなきゃいいよ。それでも絵は続けて、描き上がった頃に持って行ったらいいんだよ。オレはあのアトリエに瑠璃が必要だと思う」


 初めて言われた『瑠璃が必要』という言葉。彼女はこの言葉をずっとずっと欲していた。それを言ってくれる存在が目の前にいる。どうしてこの人を拒否してしまったのだろうか。


「うん、わかった。ごめん。ありがとう。三人で三原色。そうだね、あたしがバカだった」


 湊人は黙って瑠璃の頭をくしゃくしゃっと撫でた。それが瑠璃には心地良かった。


「暗くなってきたな。帰るか。瑠璃んちどの辺?」

「郵便局の近く」


 湊人は巻いていたマフラーを外して、瑠璃に巻いてやった。


「じゃ、ちょうどオレんちの途中だ。瑠璃んちまではこれ巻いとけ」

「うん。ありがと」


 両手をポケットに突っ込んで先に歩く湊人の不器用な優しさが身に沁みた。マフラーからは湊人の匂いがした。

 歩き出して、瑠璃はふとさっきのことが気になった。


「そういえば湊人はここに何しに来てたの?」


 湊人は思い出したように「あぁ」と苦笑いを見せた。


「たいしたことじゃねえよ」

「でも……湊人こそ何か悩みでもあるんじゃないの?」

「うん、まあ大丈夫。慣れりゃどうってことない」

「慣れる? 何か環境が変わったの? まさか、また引っ越しするの? 湊人、居なくなっちゃうなんてこと無いよね?」


 いつになく必死に食い付いてくる瑠璃に戸惑いながら、湊人はどう説明したらいいものか悩んでいた。


「遅かれ早かれ、引っ越しはする。いつになるかはわかんねえし、この近くで別の家に引っ越すだけになるかも」

「近くなら引っ越す必要ないじゃん。契約が切れて出て行かなきゃならないの?」

「そういうわけじゃねえよ」


 なかなかに今日の湊人は歯切れが悪い。


「オレんち、瑠璃んとこと同じで母子家庭なんだ」

「えっ、そうだったの? なんであたしんちが母子家庭だって言った時話してくれなかったの?」

「あの時は、瑠璃んちの話をしてたんであって、オレんちのことは関係なかっただろ? どうでもいいオレんちの話なんかして、瑠璃の話を中断させたくなかったからさぁ」


 瑠璃は冷水を頭から浴びせられた気分だった。

 もしも自分だったらどうしただろうか。「あたしんちも母子家庭」と言って話に割り込み、そのまま自分の話を延々としただろう。あたしはね、あたしんちはね、あたしのお母さんはね……こうやっていつもみんなの話に割り込んでは、話題を乗っ取っていた。

 ある時、クラスメイトの一人に言われたのだ、「雨宮さんって、いつも自分語りばっかりしたがるよね。誰も雨宮さんの話なんて興味無いんだけど」と。

 空気が読めない、自分を中心に世界が回ってる、いつもそう言われてきた。だが、それをどうやって気を付けたらいいのかわからなかった。

 今だってこうして湊人に話を聞きながら、自分のことばかり考えてる。


「母子家庭で、引っ越しとどういう関係があるの?」

「親がさ、再婚するんだ」


 再婚……もしも自分の母が、別の男と再婚するとなったら、自分はどうするだろう。知らないおじさんと同じ家に住む、そんなこと考えられない。いくら母が気に入った相手であってもだ。

 湊人は今、そういう位置に立たされている――それは瑠璃にも想像できた。


「それで、再婚相手と一緒に住むことになるから、家も引っ越すことになるかなって。でもまだ籍も入れてないし、もう少し先のことだけどな」

「そうなんだ……それは確かに慣れるまでが大変だね」

「まあ、慣れればどうってことないし、オレが独り立ちして家を出てもいいんだしな」

「まだ十六歳じゃん」

「もう十六歳だよ」


 大通りは帰宅のサラリーマンがみんなこちらへ向かってくる。この時刻に駅の方に向かえば、自ずと流れに逆行することになる。


「湊人は再婚に反対なの?」

「うーん、そうだなぁ、再婚自体は別にいいと思ってる。オレの人生じゃねえ、親の人生だしな。ただ、家であんまり顔を合わせたくねえかな」

「そっか。そうだよね。でもさ、そうなったらアトリエにずっといたらいいんだよ。ずっと絵を描いてたらいいよ」


 それを聞いて、何故か湊人は「そうもいかねえよ」と笑った。


「郵便局だな。この近く?」

「この奥」

「奥かよ、危ねえな。家までついてくわ」


 家の前まで来ると、瑠璃はマフラーを外して湊人の首に巻き付けた。


「ありがと。話聞いてくれて。あたし、絵、描くよ。なんか吹っ切れた」

「良かったな、脳の構造が単純で」

「あーもう、うるさい」


 マフラーで軽く首を絞められて「ロープロープ!」と湊人が笑う。


「じゃ、またな。アトリエで待ってるよ」

「うん、またね」


 瑠璃が玄関で手を振るのを背中に感じながら、湊人は歩き出した。首元のマフラーには、まだ瑠璃の温もりが残っていた。

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