第11話 母子家庭

「何突然出てってんだよ」

「何しに来たの、ついて来ないでよ」


 踵を返す瑠璃の腕を湊人が掴んだ。


「待てって」

「何よ、放してよ」

「放したらちゃんと話聞くか?」

「なんであんたの話なんか聞かなきゃならないの!」

「オレ、『あんた』じゃなくて『湊人』。この前言ったじゃん」


 自分と対照的に落ち着き払っている湊人を見て、瑠璃は忍に言われたことを思い出した。湊人はもしかすると瑠璃と仲良くしようと思っているのかもしれない。


「ごめん、湊人だった。でも、なんで湊人の話なんか聞かなきゃならないの」

「別に聞かなくたっていいよ、逃げなきゃそれで」

「逃げないから、手、放して」


 湊人は素直に従った。


「先生が心配してるから戻ろうぜ」

「湊人と一緒に?」

「オレが探してくるって言ったんだから、一緒に行かないわけにはいかねえだろ。ガキの遣いじゃねえんだから」

「ガキの遣い? 何それ」

「言われたことだけやるのがガキの遣い。言われてないことまでこなすのがオトナの遣い。ちょっと見てくるって出てきたんだから連れて帰るのが当然だろ」


 つまり自分が一緒に行かなければ、湊人は『ガキの遣い』をした事になる、いくら瑠璃でもそれくらいは理解できた。


「じゃあ、一緒に行く」

「おう」


 湊人は両手をポケットに突っこんだまま先に歩き出した。瑠璃もあわてて横に並ぶ。

 湊人と並んで歩くと、自分の目の高さに彼の肩があることに瑠璃は気づいた。友達と肩を並べて歩くということが全く無かった瑠璃にとって、それはとても新鮮だった。


「湊人、おっきいね」

「フツーだよ。瑠璃よりはデカいけどな。澤田先生はもっとデケえ」


 確かに澤田先生はもっと大きかった。湊人と違って、何から何まで大人だ。

 柔らかい物腰も、穏やかな話し方も、ゆっくりと考えて答えを出すところも。相手の話をよく聞いて、包み込むように話してくれるところも。言葉遣いだって湊人みたいにガキっぽくない。


「なんであたしがここにいると思ったの?」

「前にもここでボケーッとしてたじゃん。オレが青梅に引っ越してきたばっかの頃だから、二年前か。そこの吊り橋で夜までボケーッとしてた変な女子がいたの、瑠璃だろ?」

「え、見られてたの?」

「やっぱし瑠璃じゃん」


 湊人はあははと声を上げて笑った。だが嫌な感じはしなかった。


「湊人、引っ越してきたの?」

「ん、まあな」

「寂しくなかった?」

「なんでよ」

「引っ越しする時、友達と別れて来たんでしょ?」

「別に死ぬわけじゃねえし、いつか会えるだろ」

「あたしは友達いないの」


 湊人はチラリと瑠璃を見たが、何も言わずにまた視線を逸らした。


「でも両親が可愛がってくれるだろ」

「あたしんち母子家庭なんだ」

「……そうなんだ」


 小学生のころいつも父親参観に母が来ているのを見て「どうして雨宮さんちはお父さん来ないの?」と訊かれた。「死んだから」って答えると、みんな腫れものを触るような扱いをした。それなら聞かなきゃいいじゃない、いつも瑠璃はそう思っていた。


 だが、湊人は何も聞かない。不思議な事に、聞かれないと聞いて欲しくなる。

 瑠璃は「本当はあたし、みんなに聞いて欲しかったんだ」とここへきて気づいた。聞いて欲しいけど、腫れ物に触るような扱いはされたくない。かと言って無下にもされたくない。結局のところ、自分はどんな扱いをされても不満なんじゃないのか。


「友達出来たじゃん。一人いれば十分だろ」


 唐突に湊人が言った。さっきの「そうなんだ」の続きだったようだ。彼の言う「一人」とは、自分のことを言っているのだろうか。


「あの日ね、学校飛び出したの。全部嫌になっちゃった。あの日以来学校行ってないんだ」

「ふうん。そういうのもアリだよな」

「え、湊人もそう思うの?」

「ナシじゃねえだろ? 実際瑠璃もやってんだし」


 瑠璃のすることを否定しない。母以外にそんな人間がいようとは、彼女は夢にも思わなかった。


「オレは学校行ってるけど、学校に行くのが偉いわけじゃねえよ。大学行く気はねえから、受験のための勉強なんかする気ねえし」

「でも毎日学校で勉強してるのは偉いよ、何年生?」

「今年高校入ったばっかし」

「同い年なんだね」


 ――同い年なのに、ちゃんと高校行って、帰りに絵の勉強をしに来ている。大学に行く気が無くても勉強してる。こんなチャラい恰好してても、きちんとやることはやってる。あたしとは大違い。


 瑠璃が俯いていると、湊人が突然「おっ」と声を上げた。


「シラサギがいる」

「え、どこ?」

「ほら、あのデカい岩のとこ」

「あーっ、ほんとだ」

「ここ、たまにいるんだよな。アオサギも」


 瑠璃は子供のころからこの公園には何度も来ているし、多摩川に入って遊ぶこともしょっちゅうだった。だが、シラサギを見たことはない。ここへ引っ越してきてたったの二年しか経っていない湊人が何度も目撃しているのに、何故自分が来るときにはシラサギもアオサギも来てくれないのだろうか、とそこまで考えて瑠璃は自分の考えが間違っていることに気付いた。

 きっとシラサギもアオサギもそこにいたのだろう。瑠璃の見えるところに現れてくれなかったのではなく、瑠璃が見落としていたのだ。

 湊人は自然の姿を自然そのままに、まっさらな心で見ていたに違いない。瑠璃は湊人の真っ赤なトサカ頭の下の澄んだ瞳にしばし見入った。


「アトリエ戻ったらあのシラサギ描くかな」

「ねえ、昔から絵を描いてたの?」

「こっち来てからだな。一年前だ。澤田先生のところに連れて来られて初めて絵を描いた」

「お母さんが連れて来てくれたの?」


 湊人がフッと笑った。


「いや、警察だよ」

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