桜の木に宿る悪魔~み~

 男のあらうに対する印象は、『貧弱な青年』だった。今に至るまでは。


 ――人でも殺した事でもあるのか。なんだあの据わった目は。


 前髪の合間から見えるあらうの目に恐怖を覚えた男は自分の心臓が高鳴るのを感じていた。


 「くそが。てめぇなんかにビビるおれじゃねぇんだよ!」


 男は少し後ずさりしたものの、次の瞬間には恐怖を振り払うかのように、大声を上げながら、あらうに殴りかかった。

 振りかがされた右拳を鼻先でかわし、それとほぼ同時に突き上げられたあらうの右足は男へと振り下ろされた。

 仮に周りに見物人がいたならば、死期が迫った人間に対して、死神が鎌を振り下ろすように、容赦のない一撃に見えたに違いない。

 足が男の顎を捉えると、糸を切られた操り人形の如く、その場に崩れ、その反動で宙を舞ったカメラはあらうの手に自然と収まるように、静かに受け止められた。


 「女性には優しくしないと駄目だよ。おじさん」

 「あ、あの」

 「うわっ!」


 意識の外からかけられた声に驚き、後ろを振り向くと、先ほどの女性が立っていた。


 「そ、そのカメラ」

 「ん? あぁ! ごめん、ごめん。ちゃんと取り返したよ。壊れてるとことかないな? 大丈夫?」


 そう言って、あらうから手渡されたカメラを凝視する女性の顔からは殺気が溢れ出ていた。

 会話も早々に、カメラの状態確認に夢中で、あらうの言葉は届いていない様子だったが、一通り確認作業が終わると、我に返り、赤面した顔を俯かせ、ボソッとお礼を言った。


 「ん? なに?」


 女性はあらうの晴天の様に曇りがない爽やかな笑顔に、ますます赤面したものの、次は微かに聞き取れる程度の声で、ありがとうと応えた。


 「うん。君みたいな可愛い女性の『依頼』を断る訳にはいかないからね。どういたしまして」 


 あらうの言う通り、女性は確かに魅力的だった。

 髪は長く、ウェーブがかかり、胸元まで伸ばしている。前髪は一直線に揃えられていて、タレ目で綺麗な瞳は、あらうの目と合うことはなく、宙を泳いでいる。

 服装はお嬢様ファッションという感じだろうか。綺麗に着こなされた服からは、気品さを感じる。


 一点を除いて。


 女性の首元に見える黒いチョーカーだ。あらうは疑問を感じたものの、自分のファッションを見直してから疑問に思えと自問自答した。


 「あんなことがあったばかりだし……。目的地までは送ろうか? どこに向かっていたの?」

 「そ、そんな。悪いです。」

 「いいから、いいから!」


 少し強引かな……。でも、このままこの子を放っておくのは良心が痛む。


 「うぅ。こ、この先にあるこの辺りでも一番大きな公園です」

 「え? 僕もこれからそこに向かう途中だったんだよ! それなら、そこまで一緒にいこう」

 「あ、ありがとうございます」

 「いいよ。敬語なんて、歳も近そうだし、名前は?」

 「わ、私は兜杜かぶとひよりといいます」

 「僕はあらう須戸幕すとまくあらう。あらって呼んで!」

 「は、はい! ありがとうござ……」


 お礼を伝えようとするひよりにあらうは、自身の立てた人差し指を揺らし、敬語はなしだと悟らせる。


 「あ、ありがとう」そう言ったひよりの顔はまた赤面していた。


 その後、あらうにより男は警察に引き渡された。その際に意識を取り戻していた男は、車に乗せられるその瞬間まで、あらうから目を離すことはなかった。


 一方その頃、純次は一足先に現場へと到着していた。

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