世界の最奥にて

「ククク……ハハッ……ハハハハハ」

 彼は哄笑していた。世界の最奥にて、世界の最高位に存する彼は興奮を垣間見せる。

「貴様は戻って来るのか。オレの庭が失敗作だと知りながら、存続する価値のない掃き溜めだと知りながら、ただ一人の幸福のために地獄へと立ち返るのか。あぁ、貴様は勇敢だ。貴様は高潔だ。貴様は英雄譚の一説を飾るに相応しい女だ。やはり我の目に狂いはなかった。貴様を呼び寄せて正解だった。幸福を求める女、幸福を願う女、死を忌避する女。されど己を殺すことには、己を傷付けることには躊躇を抱かない破綻した女よ――」

 言祝ぐように香蓮を評し、かの世界の過去と現在のあまねくを知り、されど未来だけは埒外とする彼は、かの世界の神は瞑目した。未来視だけは手にしていない。されど神と呼ばれるに相応しいだけの過去と現在を覗く眼が彼にはある。視たものを分析して、解析して、未来を予測することはできる。それもまた神と呼ばれるだけのこと。彼の未来予測は限りなく未来予知に逼迫していた。疑似未来視を保有しているといっても過言ではないほどに。

 そして、そのような彼は張り裂けそうな胸を宥めるように悲痛な声を出した。

「女よ。貴様は美しいばかりの気高さゆえに『めくら』となっている。真に守るべきもの、真に尊ぶべきものを誤り、決して触れてはいけない盃へと手を伸ばしてしまった。貴様は踏み込んでしまう。自分を存続させることが何よりも重要であることを忘れ、この命は誰かのためでなければならないと、否、彼女のためでなければならないと強迫観念に突き動かされ、己が手によって破滅を招いてしまう。忘れてはいない。貴様は断じて忘れてなどいない。己が破滅させるものが何よりも護りたかった彼女だと知りながら、彼女に己の人生を明け渡してしまったことが、高潔な意志が仇となり、貴様は道を踏み外す。

 彼女だけでも幸せならばいいと、己を見捨ててしまう。天秤からかけ外してしまう。

 悲しいことだ。あぁ、これは悲劇だ。悲譚だ。我が望んでいたものはこんな結末ではない。このような人間に屈する終焉ではない。斯様な出来損ないに勝利など掴ませてはならん。盃だ。盃を掲げよ。その美酒は貴様に飲み干されるためにこそ用意したというのに。

 だが、我は助けない。我に見初められたからなどと、自惚れによって貴様が破滅したところで我は手を貸さない。貴様ではダメだったと見捨てるだけだ。次の駒を呼び寄せるだけだ。

 冷徹だと詰るか? 冷酷だと罵るか? ダメだ、我には何もできないのだ。神と崇められようと、祀られようと、我も貴様達と何ら変わらないのだ。余人よりも多くの特権を与えられているだけで、我も『創世の記憶』の被造物に過ぎない。定められた摂理から逸脱することはできない。どれだけ我が望もうとも、懇願しようともそれを行う権利は与えられていない。人間も亜人も問わず、アガレシアに生きるすべての生命の【願い】を叶えることはできない。

 だからこそ、我の庭はあれほどまでに衰退したのだ。

 忌々しい『創世の記憶』め。我が貴様の管理者でなかったならば、すぐにでも焼き払ってやったものを。あぁ、だが、もしも貴様が願うのではなく――」

 神の独白は虚しく消えていく。その言葉を届けたい相手は、彼の前にいないのだから。

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